落語「船弁慶」の舞台を行く
   

 

 桂枝雀の噺、「船弁慶」(ふなべんけい)より


 

 夏の暑い時は夕涼みに川端に出たりして、自然の風に当たるのが一番の涼み方です。

 仲間同士で気兼ね無しに船を出して涼みに行こうという話になった。友達とは、まず米屋のヨネ公に牛(ぎゅ~)屋のウシ公、金物(かなもん)屋のテツに風呂屋のユゥ公、酒屋のトラ、花屋のマツにお前と俺。と、こぉいぅ顔ぶれや。その上、飲み放題に食べ放題、芸者も連れて行く。今回は割り前で、一人前三円で、金を出してくれる旦那はいない。
 「わいこうやって一生懸命手仕事してて、一日二十銭か二十五銭にしかなれへんねんで。それをいっぺんに三円てな大胆な金使こたら、嬶(かか)にどない言ぅてお仕置きされるや分からんで」、「使うんは、たまに使うんやがな。たまには自前の酒呑んでみ、気分が違うで」、「うちら嫁はんと二人暮しやさかいなぁ」、「そうか、綺麗ぇな姐さんに背中のひとつもト~ンと叩かれてくるわ。ほなさいなら」。
 「清ぇや~ん、そぉ気ぃ短こせんと、ちょっとお戻り。仕事してても、皆が楽しんでいると思うと、仕事の手が付かん。けど、三円の割り前が・・・、行きたいが、止めとこか。清水の舞台から飛び降りた気持ちで、止める」、「ボケッ、止めるんやったら飛ぶな。カス、ヒョットコ。町で会っても声かけるなよ」。
 「怒らないで聞いてや。一緒に行く芸者は、『喜ぃさん』とは呼んでくれず、義経のお供をする弁慶だと、いつもお供で行くので『弁慶ぇはん、弁慶ぇはん』と言って、最近では『けべんさん、けべんさん』と言われたら三円が死に金になる」、「相手の芸者は玄人だ。お供で来ているのか、自前で来ているのか直ぐ分かる。お前の顔見て誰かが『弁慶』とひとことでも言ぅたら、わしゃお前から割り前取らん」、「そうか、今、着替えるから待ってて・・・」。

 着物を着替えてますところへ帰ってまいりましたのが、ここの嫁さんでございます。近所で『スズメのお松』とか『カミナリのお松』とか言われているだけに、表から大ぉ~きな声張り上げよって、「おぉ~暑やのぉ~」。この声聞くなり清八ビックリして、逃げ場失なって段梯子の下へ小ぃそぉなってしまいよった。喜六は喜六で「わっ、帰って来よった」てなもんで、声聞ぃたらすくんで足が前に進みません。着物着替えたまま仕事場へ、ベタッとへたばってしまいよった。

 表で長屋中に聞こえるような大声で長々と世間話をして家に入ってきた。「外から入ってきて暗くて見えなかったが、仕事しているのではなく着物着替えてんねやないか。着物着替えて、どこ行くねん」、「清ぇやんが行こ言うねん」、「あんなもんとまだ付き合いしてるんか。これといぅ用も無いくせに昼日中から大きな風呂敷包み背たろぉて、あんなやつに限ってド盗人しよんねんがな。もぉちょっと早よ帰って来て清八いやがったら、向こぉずねカブリ付いてやったのに」、「カブリ付いたり。お前の後ろに立ってるわ」。「まぁ~清ぇやんやないか」、清やんにおべっか並べて言う、言う。
 「喜六が浄瑠璃の会言ぃよったん、あら嘘や。喧嘩の仲直りがあるねん。米屋のヨネ公と牛屋のウシ公がえらい喧嘩しよってなぁ、わいら二人があいだ入って『まぁまぁ・・・』と抑えたぁるんやけど、いつまでも赤目吊り上げてるちゅうのも具合悪いでな、ミナミの小料理屋で仲直りすることになったんや。仲人は俺と喜ぃ公の二人やよって『二人揃ろてその場にいてて盃持ってもらわんことには困る』言ぃよるんで誘いに来たところが、お松っつぁん留守で出られんから『そのうち帰ってくるわい、着替えて待ってたらえぇわい』言ぅてるところへ帰って来たちゅうわけや。すまんけどなぁ、盃さえ持ってもろたらじきに帰ってもらう、二時間か三時間や。喜ぃ公わいに貸して。『うん』ちゅうて」、「うちの人出て行ったら鉄砲玉と一緒、帰ってくるの忘れるさかい。ほな、今日は清八兄さんに預けまっさかい、あとあんじょ~連れて帰っとくなはれな」。

 「清やんがいたから、あれで済んだ」、「何かい、お前とこの嫁さんてそんな恐いんか」、「だいぶ前に、『晩のオカズにするさかい焼き豆腐買ぉてき』言ぃよってん。わい『よっゃ』言ぅてザル持って表出たら、路地口のとこへいかけ屋がいた。それ見てたら、仕事が終わって皆何処かに行ってしまった。『わい、何でこんなとこ立ってるんかいなぁ』思てザルの中見たら二銭あったんで『そぉか、二銭で何ぞ買ぉて帰ったらえぇねんなぁ』思てとりあえず、豆腐屋でコンニャク買ぉて帰って来たんや。嬶の顔色が変わったので、すっ飛んで行ってダイコン買ってきた」、「念の入ったあわてもんやなぁ」、「今度は嬶、怒りよれへんで。ザルの中見るなりニタ~ッと笑いよってな『おおき、はばかりさん。ホンマに使いはあんたに限るわ。ちょっとこっちおいなはれ』うちの嬶が優しぃ言ぃよったら恐いで。ぎゅっと胸ぐらつかんで奥の間へズルズルズル。グルグルッと着物脱がされて裸にしよったんやで。どないなるんやろ思てたら、わいの背中へこ~んな大きな灸(やいと)据えよったんや『嬶、堪忍してぇ~、熱い~』ちゅうたら『何、熱い? 熱けりゃ熱ないよぉにしたるわい』言ぅて、今度は井戸端へズルズルズル引っ張って行きよって、夏の井戸水冷たいのを頭からザブ~ッ。『嬶、冷たいわ~い。堪忍してくれ~、冷たいわ~い』言ぅてたら『何、冷たい? 冷たけりゃ冷たないよぉにしたるわい』ちゅうて奥の間へズルズルズル灸や『熱いわ~い』またズルズルズル『冷たいわ~い』『熱いわ~い』『冷たいわ~い』。わい、フッと焼き豆腐思い出したんや」、「そんなとこで思い出すな」、「そしたら、奥の端のお梅はん出てきはって『まぁお松っつぁん、腹も立つやろけど今日はわてに免じて堪忍したげとぉ。喜ぃさんあんたも気ぃ付けんねんで』言ぅて涙拭いて鼻かんで、煎餅二枚くれはったんや」。
 「お前、嫁はんドツイタことないやろ」、「清ぇやん聞ぃて聞ぃて、いっぺんだけあるねん、いっぺんだけ」、「嬉しそぉな顔すな」、「友達と酒呑んで言ぃ合い喧嘩して帰って来たんや。表の戸ぉ開けるなり『今時分までどこのたくり歩いてけつかんねん、このアンケラソォ』言ぃよって、『何ぬかしてけっかんねん』。わい、金槌振り上げてん。振り上げた手ぇにしがみつきよって『まぁ、今のはわてが言ぃ過ぎたんやないか。これもみんなあんたのこと思やこそ、今は憎いと思うか知らんけど、また可愛ぃといぅこともあるやないかいなぁ』言われたら清ぇやん、ドツケンもんやなぁ」。
 「溝へはまるで。目ぇ明けて歩け」、わぁわぁ言ぃながら二人がやってまいりましたのが大川、難波(なにわ) 橋の上でございます。大勢の人が出て、遊山船が出て楽しんでいます。

 「みな大きな船乗って散財してるのに、わいらこんな小さい船か?」、「違う違う。向こぉに高張提灯に川市丸て書いた大きぃ船があるやろ、あれを岸へ着けることができんので、通い船で向こぉまでやってもらうねん」。(お囃子が入り、賑わいが出て来た)
 「おッ、みな揃ろてるよぉやな、喜ぃ公連れ出すのに手間取ってしもてな。(芸者の)チョネやん、お前の喧嘩相手来てるで」、「まぁ~、喜ぃさんのベン・・・」、「シ~ッ」、「あ、さよか、喜ぃさんのモッつぁん、モッつぁん」、「清ぇやんちょっと聞ぃた、チョネやんわいのこと『モッつぁん』やて」、「誰の尻にでもついて行くさかい、鳥もちのモッつぁんや言ぅとんねん」、「チョネやんよぉもわいのこと鳥もちや言ぃやがったなぁ」、「何言ぅてやんの、金持ちや言ぅてまんのん」。
 後から来たから、ガブガブ飲んで、バクバク食べて、割り前だからと、言うことが賤しい。友達連中もムカッときて「こっちの酒も呑んでや、こっちもの酒も・・・」とヤケになって呑ましたもんですから、しばらくうちにはヘベのレケに酔ぉてしまいよった。
 「暑いから裸にしてやれ。喜ぃ公のフンドシが赤い、わしのフンドシが白いがな。紅白、源平になったぁる。船尾のほぉへ出て、源平踊りやろやないか」、「ほなチョネやん囃子方頼むで」、(囃子が入って賑やかに)
  それ、♪ヤット、ヤット、ヤットヤット
  ♪ア、コリャコリャ、コリャコリャ・・・
  ♪ソリャソリャ、ソリャソリャ・・・
さぁ、船の上は大騒ぎでございます。

 一方カミナリのお松っつぁんの方でございます。これもやっぱり家におっても暑いといぅんで、近所のお上さんを誘いましてやってまいりましたのが難波橋でございます。
 「ちょっとお咲さん、えらい人だんなぁ。えらい散財でんなぁ。ぎょ~さんお金かかりまんねやろなぁ」、「そらそぉだっせ。ちょっとお松っつぁん。あそこで踊ってるのん、あんたとこの喜ぃさん違いまんのか」、「うちの人なぁ、今日はミナミで友達の仲直りがある言ぅて行ってまんねんわ。あんなパァみたいな親っさんでも、行かなんだら話が丸ぅ収まらんねやてぇ」、「よぉ似たぁるシ・・・。隣で踊ってるのん、あんたとこに遊びに来る清八とかいぅ人と違うか」、「清八さん?どこに」、「あの、川市丸と書いた船」。
「うちの親父と清八やわぁ。こんなとこで遊んでるわ」。
 「通い舟の~ッ」、「へ~い、川市丸まで? 分かりました。出しますで、ヤウン、トショッイ・・・」。
川市丸では、
  ♪ア、コリャコリャ、コリャコリャ・・・
  ♪ソリャソリャ、ソリャソリャ・・・
「あ、あんた。こんなとこで何してなはんねん」、お松っつぁんが大きな声を出しましたんで、喜六は一瞬「ギクッ!」としましたが、そこは酒が入ったぁる、友達の手前がある、「何をぬかすねんッ」。
 ド~ンと突きますといぅと、可哀相にお松っつぁん、川の中へドボ~ン。立ち上がりますといぅと、幸い川は浅瀬でございます。水は腰きりよりございません。白地の浴衣が身にピチ~ッとまとわりついて、髪はさんばら、顔は真っ青。上手から流れてまいりました手ごろな竹をつかむと、川の真中へすっくと立って~、

 (能『船弁慶』の「祈り」の段における知盛の霊を演じはじめた)「そもそも我わぁ~、桓武(かんむ)天皇九代の後胤(こうえん)、平の知盛(とももり)、幽霊なぁりぃ~」、
「喜ぃ公、お前のお松っつぁん、えらいことなってしもたがな」、「大丈夫。チョネやんちょっとシゴキ貸してんか・・・」、シゴキを輪ぁにしたやつを数珠の代わりにいたしますと、
(能の語りで)「その時ぃ 喜六はぁ 少しも騒がずぅ 数珠サラサラとぉ おし揉んでぇ、東方降三世(こうざんぜ)夜叉明王 南方軍茶利(ぐんだり)夜叉明王 西方大威徳夜叉明王 北方に金剛夜叉明王、中央に大日大聖不動明王~」。

 「もし、えらい喧嘩だんなぁ」、「あれを喧嘩と見てやったら可哀相ぉだっせ。あら仁輪加だんなぁ。男は太鼓持ち、女ごは仲居、夫婦(みょ~と)喧嘩と見せかけて、弁慶と知盛の『祈り』やってまんねんがな。こんなもん褒めたらな、褒めるとこおまへんで・・・」、「さよか。川の中の知盛はんもええけども、船の上の弁慶はんも秀逸秀逸。よう!よう! 船の上の弁慶はん! 弁慶はん!」、
「何、弁慶や? おい清ぇやん今日の割り前、取らんとぉいてね」。

「能の船弁慶」 文挙画

 



ことば

能の船弁慶(ふなべんけい);『平家物語』、『吾妻鏡』などに取材した能楽作品。作者はほぼ観世小次郎信光と比定されている。源義経、武蔵坊弁慶、静御前、平知盛を主たる登場人物とし、前半と後半でシテの演じる役柄がまったく異なるなど、華やかで劇的な構成が特徴である。
 源義経が、兄、頼朝と不仲になり、九州へ逃れようと、浪速の大物浦から船出をしようとした。 そこへ、静御前が来て、私も連れて行って欲しいとせがむが、弁慶や義経は女連れは難しいと、静をなだめ、佐藤忠信に預けて分かれる。落語では「猫忠」。 芝居では、ここで静の別れの「舞」がある。
 さて、いよいよ船を出して行くと、にわかに空は曇り、黒い雲が一面に出た。風も出て嵐となった。そして現れたのは、壇ノ浦で滅んだはずの平家の「怨霊」たちだった。中でも「平知盛」は大きな長刀を抱え、「あら、めずらしや、源義経、あの時の恨み、今こそ」と襲い掛かってくるのだった。 弁慶は、この怨霊に対して、一心に数珠をもみ、経を上げて祈るのだった。 やがて、弁慶の祈りが通じたのか、怨霊は静かに去っていくのだった。
 歴史上、義経が大物浦から九州へ船出しようとしたが、嵐で難破し、吹き戻されたことを題材にしたもの。

オチの部分は、この能の後半部分を取り入れたパロディーになっています。

  

 上左:波間に立ち薙刀を構える「平知盛」の亡霊      上右:荒波に漕ぎ出す「源義経」

佐藤忠信;平安時代末期の武将で、源義経の家臣。『源平盛衰記』では義経四天王の1人。父は奥州藤原氏に仕えた佐藤基治、もしくは藤原忠継。 奥州藤原氏から送られ、義経の郎党として随行。兄の佐藤継信は屋島の合戦で討死している。忠信享年は26。(菩提寺である医王寺の忠信の石塔には享年34とある)。どちらにしても若い。「義経千本桜」の「狐忠信」こと「源九郎狐」のモデルになった。

弁慶(べんけい);武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい。 武藏坊辨慶、生年不詳 - 文治5年閏4月30日(1189年6月15日))は、平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。 五条の大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。講談などでは義経に仕える怪力無双の荒法師として名高い。『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。なお、和歌山県田辺市は、弁慶の生誕地であると観光資料などに記している。和歌山県田辺市では、毎年10月第1金曜・土曜日に弁慶誕生の地に因んだ、弁慶まつりを開催している。元は比叡山の僧で、武術を好み、義経に仕えたと言われるが、『吾妻鏡』には文治元年(1185年)11月3日に「辨慶法師已下相從」11月6日に「相從豫州之輩纔四人 所謂伊豆右衛門尉 堀弥太郎 武藏房辨慶」と記されているだけであり、『平家物語』では義経郎党として名があるのみで、その生涯についてはほとんど判らない。一時期は実在すら疑われたこともある。しかし、『義経記』を初めとした創作の世界では大活躍をしており、義経と並んで主役格の人気がある。上図。

 上方の遊里で大尽客を判官(ほうがん)と言い、これを九郎判官義経に見立てて、この取り巻きを弁慶と言った。それから人のおごりで遊ぶのを弁慶と言うようになった。

いかけ屋(鋳掛屋);なべ・かまなど銅・鉄器の漏れを止めるため「しろめ」などをとかし込んで穴をふさぐこと。
・しろめ(白鑞・白目):鑞接(ロウセツ)剤のひとつ。銅と亜鉛との合金で、鉄・アンチモン・砒素などを含む。銅合金・ニッケル合金・鋳鉄・鋼製の継手の鑞接に適する。黄銅鑞。
落語「いかけ屋」をご覧下さい。

大川(おおかわ);旧淀川(きゅうよどがわ)は、淀川の毛馬水門(毛馬閘門)で南へ分岐する旧・淀川本流。 上流から大川(おおかわ)、堂島川(どうじまがわ)、安治川(あじがわ)が旧淀川として一級河川に指定されている。右写真。
 かつての淀川本流であるが、淀川放水路が開削された1907年(明治40年)以降は旧川扱いとなっている。当初「新淀川」「淀川」だった呼び分けは、次第に「淀川」「旧淀川」となったが、旧淀川は上述の区間ごとの名称で呼ばれることが多い。 中之島より上流が大川、または天満川(てんまがわ)、下流が安治川と呼ばれる。中之島では南北両岸に分かれ、北が堂島川、南が土佐堀川(とさぼりがわ)と呼ばれる。なお、河川調書では土佐堀川は別河川扱いとなる。

難波橋(なにわばし);大阪市の大川に架かる橋。浪速の名橋50選選定橋。大阪弁では「ナンニャバシ」と発音する。 大阪市中央区北浜~北区西天満の堺筋にかかる、全長189.7m、幅21.8mの橋である。中之島を挟んで土佐堀川と堂島川の2つの川を渡る。橋の中央で下流側に中之島通を分岐させ、上流側に中之島公園へ降りる階段が設けられている。
 難波橋辺りの最初の橋は、元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれている。天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。「浪華橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管理する公儀橋とされた。ライオンの像が立つのでライオン橋の異名がある。右写真。

遊山船(ゆさんぶね);船遊びの船。貴人が乗る船で、多くは遊山用。江戸時代以降、川遊びなどに賃貸するものが現れた。

 「東都名所両国夕涼図」 歌川国郷画 江戸東京博物館蔵 江戸両国の夕涼み景と同じ”川一丸”です。

高張提灯(たかはり ちょうちん);長い竿の先につけて高くあげるようにこしらえた提灯。たかちょうちん。

ミナミ(みなみ);島之内・道頓堀・難波・千日前といった地域に広がる繁華街の総称で、これらの地域が大阪市の中心業務地区である船場の南側に位置することや、大半がかつて存在した南区の区域にあたることからミナミと呼ばれている。ミナミに対して北の繁華街をキタと呼ぶ。右写真。

桓武天皇(かんむ てんのう);奈良後期~平安初期の天皇。柏原天皇とも。光仁天皇の第2皇子。母は高野新笠。名は山部(ヤマノベ)。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北に派遣、794年(延暦13)都を山城国宇太に遷した(平安京)。(在位781~806)(737~806)

桓武天皇九代の後胤(こうえん);桓武天皇の第5皇子である葛原親王から数えて9代目の後胤(末裔・子孫)が平正盛であり、正盛の孫で忠盛の嫡男が平清盛ということ。

平の知盛(とももり)平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の四男。母は継室の平時子で、時子の子としては次男となる。同母兄に平宗盛、同母妹に平徳子がいる。新中納言知盛(しんちゅうなごん とももり)です。 平家方きっての知将であり人格者、 桓武天皇の後胤(子孫)、壇ノ浦で義経に負けて、我が身に錨を巻き付け、鎧二領着て、壇ノ浦の水底深く沈んで亡くなった武将。
 落語「源平盛衰記」に水中に沈む知盛に絵が有ります。

五大明王(ごだいみょうおう);密教で、威力ある五明王の総称。中央の不動明王と東南西北の四方に配される。東:降三世(ゴウサンゼ)明王・南:軍荼利(グンダリ)明王・西:大威徳(だいいとく )明王・北:金剛夜叉明王(台密では烏枢沙摩ウスサマ)の各明王。五大尊。五大忿怒。

祈り(いのり);能の囃子事のひとつ。能でワキの僧や山伏が数珠をもんで襲ってくるシテの鬼女を祈り伏せる動きの激しい働き事。祈り働き。

仁輪加(にわか);俄狂言の略。素人が座敷・街頭で行なった即興の滑稽寸劇で、のちに寄席などで興行されたもの。もと京の島原で始まり、江戸吉原にも移された。明治以後、改良俄・新聞俄・大阪俄といわれたものから喜劇劇団が生れた。地方では博多俄が名高い。茶番狂言。仁輪加。

太鼓持ち(たいこもち);宴席などに出て、客の機嫌をとり、その席のとりもちをすることを職業とする男。幇間(ほうかん)。男芸者。

仲居(なかい);遊女屋・料理屋・旅館などで、客に応接しその用をする女中。

割り前(わりまえ);割り当てる高。分配額。配当額。割り勘。

紅白の源平(こうはくの げんぺい);源氏は白旗、平氏は赤旗を用いたからいう、 白組と紅組。

シゴキ(扱き帯);女の腰帯のひとつ。一幅(ヒトハバ)の布を適当の長さに切り、しごいて用いる帯。抱え帯。



                                                            2016年5月記

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