落語「雑俳」の舞台を行く 立川談志の噺、「雑俳」(ざっぱい)より
■雑俳(ざっぱい);江戸時代に行われた通俗的俳諧(はいかい)。連想形式でつながっていく長編の本格的俳諧に対し、その練習形態として、2句間のみの付合(つけあい)である前句付(まえくづけ)俳諧が行われ、それから派生した一種の懸賞文芸が雑俳である。点者(てんじゃ)の出題に対して、会所(かいしょ)(仲介者)が広く句を募り、各地の取次(とりつぎ)所を通じて集められた投句(とうく)のなかから、点者が優秀作品を選び、その入選句を刷り物にして賞品とともに投句者に配るという興行形態(万句寄(まんくよせ)・万句合(まんくあわせ)などとよぶ場合もある)をとった。雑俳書として本屋が出版するものは、この勝句(かちく)刷り物をさらに編集したものである。点者は、初期においては正式な俳諧師がこれにあたったが、やがて専門点者の輩出をみ、雑俳は俳諧の第二文芸的性格を有するものとして独立する。出題には、種々の形式が行われたが、前句付(まえくづけ)型、笠付(かさづけ)型、非付合(つけあい)型の三つに大別できる。
前句付型:連歌(れんが)発生の基本的形態で、七・七の前句に対して、五・七・五を付けるもの(またはその逆の型)。長連歌(ちょうれんが)成立以降も、付合の基本形態として、つねに連歌・俳諧の底流に位置してきた。雑俳では、七・七の短句を出題して、五・七・五の長句を付けるのが一般的となり、さらに題がしだいに単純化されて、ついに川柳(せんりゅう)評(柄井(からい)川柳の評)においては、前句にかかわらぬ付句が詠まれることとなり、川柳風狂句(いわゆる川柳)の独詠句が生まれた。 ◇洒落附(しゃれづけ) 必ず冒頭部分でひねりをきかせる。例えば「酒一切」(酒に関することなら何でも)という題に、 『ラムあれば苦あり』 という具合に遊ぶ。
笠付型:前句付を簡略化したもので、五文字の題に、七・五の句を付けるもの。京都の点者雲鼓(うんこ)らが興行し始め、おもに上方(かみがた)で流行した。冠付(かむりづけ)ともいう。
非付合型:付合性をもたぬもので、和歌や連歌などで行われた遊戯的手法を取り込んで、発句(ほっく)または平句(ひらく)1句を仕立てるもの。「折句(おりく)」(五・七・五または七・七の句頭に、題の3字または2字を詠み込むもの。初期には意味のある題であったが、やがて無意味な3字または2字の題となる)、「回文(かいぶん)」(上から読んでも下から読んでも同じ句をつくるもの)、「~尽(づくし)」(国尽(くにづくし)・魚尽(うおづくし)・鳥尽(とりづくし)など、1句中に物の名をできるだけたくさん詠み込むもの)、「切句(きりく)」(5文字の題によって発句を仕立てるもの)、「天地(てんち)」(句頭と句末とに、題の漢字2字の熟語を詠み込むもの)などが、この型に入る。なお、雑俳興行には「発句(ほっく)」も加えられていた。
川柳(せんりゅう):前句付から独立した雑俳様式で、滑稽(こっけい)、諧謔(かいぎゃく)、風刺を主旨とする江戸文芸の一種。前句付の点者柄井(からい)川柳の点を川柳点と呼んだが、その高点句集《柳多留》で前句付の前句を省いて、付句を単独で示す編集方針をとったため、付味(つけあじ)より1句独立の作柄に関心がうつり、五・七・五単独1句でつくられるようになった。
柳多留(やなぎだる):江戸時代の川柳風狂句集。《誹風柳多留》ともいう。明和2年(1765),呉陵軒(ごりようけん)可有の編で初篇を刊行、世に受けて続刊。寛政3年(1791)までに初代川柳の撰句の前句を省いて24編を刊行。以後、二世川柳評で70編まで、四世川柳が110編まで,五世が167編(天保11年(1840))まで出して終刊。あと《新編柳多留》と改称し、嘉永3年(1850)までに40編を出した。〈当世の前句は誹諧の足代ともならんや〉(二篇)ともあるように、単なる雑俳前句付(まえくづけ)でなく、俳諧的風韻を重んじた作をねらっており、10編あたりまで実行されているが、しだいに観念遊戯的な傾向を強めた。
■雑俳での評価;俳諧で、句を添削・評価する人を「点者」といい、雑俳では、天・地・人の三段階で判定します。
■隠居の言う句とは、
・『古池や蛙飛び込む水の音』、芭蕉。有名すぎる名句です。
・『トンボ釣り今日は何処まで行ったやら』 加賀の千代女。落語「加賀の千代」に千代女について書いています。
・『起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな』 加賀の千代女。一人残された女の実感。千代女の作ではないという説もあります。
・『初雪やせめて雀の三里まで』。雀の足の中程まで・・・、位の降りよう。圓朝の「大仏餅」で、怪我をして薬をもらいに幸右衛門が店に入って来ます。外の雪の状況をこの様に言っています。初雪はこの位で充分で、キリンが潜ってはいけません。
・『初雪や瓦の鬼も薄化粧』、『初雪や今朝も茶滓の捨て所』。良いですね、鬼瓦も薄化粧です。
・『初雪や草履を履いて隣まで』。高下駄では大袈裟だし、ワラジでは濡れるし、草履ぐらいが丁度良い。
・『初雪や狭き庭にも風情あり』。
・『初雪や二の字二の字の下駄の跡』。談志は千代女と言っていますが、本当は田 捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、寛永11年(1634)。
元禄11年8月10日(1698年9月13日))で、江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。
・『初雪や二の字踏み出す下駄の跡』。類句『雪の日や二の字踏み出す下駄の跡』田捨女。6歳の時に詠んだ句。天才です。
・『猿飛んでひと枝青し峰の松』。
・『リンリンとリンと鳴いたる鈴虫の軒端に吊す赤い風リン』。
■八五郎自作の迷句、
・『初雪や塩屋の小僧転んであっち舐めこっち舐め』
・『アリアリとアリアリ見えるアリの群れ、アリに見えるのがアリの大将』
・春雨で、『船底をガリガリかじる春の鮫』
・蝙蝠で、『コウモリや借りっぱなしが五六本』
・梔子で、『口無しや鼻から下はすぐにあご』、迷句です。実生活でも使うフレーズ。
・百日紅で、『狩人に追っかけられて猿滑り』または『ターザンに追っかけられて猿滑り』
・『リンリンと淋病病みは痛かろう 小便するたびチョビリチョビリン』、淋病、痛いんでしょうね。
・『初雪や六尺あまりの大イタチ この行く末は何になるらん』、(談志の別の音源では二尺あまりの・・・と言っています)。落語「両国八景」に出て来る見世物小屋の一つではありませんが、血が付いた板で6尺もあれば、倒れてきたら危ない。
■回文(かいぶん);上から読んでも下から読んでも同じもの。和歌・連歌・俳諧などで、上から読んでも下から読んでも同音のもの。回文歌・回文連歌・回文俳諧などの称がある。回文詩は上から読んでも下から読んでも一詩をなすもの。回文対は上の句から読んでも下の句から読んでも同意の構成になる対句。
■どんか七度返し(どんか しちどがえし);道歌七度返し(どうかななたびがえし)のこと。道歌に畳語法を採り入れ、これを原則五七五七七各句に散らして一首にまとめたもの。 ・りんまわし=狂歌七度返しはどうだと、隠居が言う。
■柔らか物;着物の生地で、絹物を言います。贅沢な素材です。反対に固ものというと、木綿や麻を言います。
■狂歌(きょうか);諧謔・滑稽を詠んだ卑俗な短歌。万葉集の戯笑(ギシヨウ)歌、古今集の誹諧歌の系統をうけつぐもので、鎌倉・室町時代にも行われ、特に江戸初期および中期の天明頃に流行した。えびすうた。ざれごとう
■狂句(きょうく);おどけた句。滑稽な句。連歌の無心の句や俳諧の風狂の句。また、川柳、特に文化・文政(1804~1830)以後の、知的遊戯に堕した川柳をいう。
■阿漕の浦(あこぎのうら);『伊勢の海 阿漕(あこぎ)が浦に ひく網も度重なれば人もこそ知れ』という古今六帖の古歌から。阿漕ケ浦は、今の三重県津市南部の海岸。伊勢神宮の禁漁区域で、一度だけなら分からないでしょうが、度重なれば噂に上りバレてしまうでしょう。
■貂(てん);イタチ科テン属の哺乳類の総称。7~8種に分けられる。その一種、テンは本州・四国・九州に分布。北海道にはクロテンが分布。いずれも体長40cmほど。本州北部のテンはキテンと呼ばれ、夏毛は全体に黒く、喉が黄色であるが、冬毛は四肢の先端のみ黒く、他は美しい黄色。南部のテンはスステンと呼ばれ、夏は全身褐色で、冬毛もあまり変らない。山林で単独生活し雑食性。イタチより一回り大きい。右写真:広辞苑
■イタチ;ネコ目(食肉類)イタチ科の哺乳類の総称。また、その一種。雄は体長約30cm、雌はこれより小さい。体は細長く、赤褐色。夜間、鼠・鶏などの小動物を捕食。敵に襲われると悪臭を放って逃げる。日本特産。近似種タイリクイタチ(チョウセンイタチ)の亜種とされることもある。タイリクイタチは最近西日本に入り込み、特に都市部でよく見かける。イタチよりやや大きい。
2016年5月記
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