落語「雑俳」の舞台を行く
   

 

 立川談志の噺、「雑俳」(ざっぱい)より


 

 八っつぁんが隠居の所に遊びに来た。毎日働かず柔らか物を着て良いもの食べているが、町内で噂になって「もしかしたら泥棒ではないか」、「八っつぁんもそこに居たなら弁解して欲しかった」、「言いましたよ。もうやめちゃったって・・・」、「それじゃ、昔やっていたみたいだ」。「何で、こんなに良い生活が出来るんですか」、「昔は真っ黒になって働いて、今では息子夫婦に譲り、分米を貰って生活している」、「隠居って良い商売だな。あっしもなりたいので、隠居さんの子分にして下さい」、「それは出来ないが、道楽を楽しんでいる」、「道楽? 西(西方極楽浄土=死ね)に行けば良いのに、北(北廓=吉原)に行くんだろ」、「私の道楽は俳諧」、「知ってるよ。『初雪やトンビ転んで河童の屁』と言うんだろ」、「違うな」、「俺にも出来る?」、「出来るよ。出来たら世の中の人が同じ目で見てくれる」。
 「今は、八と呼び捨てだ。口の悪いのはガラっ八と言う」、「それが八っつぁんとなり、八五郎さまとなる」、「さま付けが殿になる」、「それから・・・」、「八五郎先生だな」、「その次は?」、「その位、みんなが尊んでくれる」。

 「どうやるの」、「自然に思ったことを言えば良いんだ。五七五で『なになにや何が何して何とやら』と言えば良いんだ」、「浪花節みたいだな。そのまま言えば良いんだね。『朝起きて顔を洗って飯を食う』、と言うのは・・・」、「当たり前すぎるな。俳句には季節、季題が無いと駄目だ」、「季題(きらい)ね~、好きにならないとダメ?」、「『句を作らないと土手に来てみりゃ秋の蝶』と言うのがある。自然だろう。季題があるだろう」、「季節が無いと駄目ですか。花札はダメですか」、「あれも季節だな」。
 「みんな季題があるの? 蛙が池に飛び込んだらドボン、と言うのがあるだろう」、「『古池や蛙飛び込む水の音』、芭蕉の句だな。蛙で夏だな」、「俺も作ろうか、『夕立や蛙飛び込む水の音』」、「それはダメだ」、「その人は上手いんですか」、「上手いね。色々な話が有ってね。山道を歩いていたら、月見の宴があった。村人が『爺さんも出来るかい』と言ったがムッとするところを『三ヶ月の・・・』と書いた。この爺さんもうろくしているな『十五夜なのに』と言う顔をしたが続けてさらさらと書いた、『・・・頃より待ちし今宵かな』と言う有名な話が有る」、「トンボ追いかけた、と言うの有るよね」、「『トンボ釣り今日は何処まで行ったやら』、トンボで秋の句だな」、「蚊帳が広いの・・・とか」、「『起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな』加賀の千代女だな。蚊帳で夏だな」、「家では一年中吊っている。寒いから・・・」。

 「初雪でどうだ」、「『初雪や方々の屋根が白くなる』。どうだ見たままだ」、「見たまま過ぎる。色気が無いとな」、「『初雪や小便(しょんべん)すると黄色くポツポツ穴が開く』どうだ。氷レモンと同じだ」、「『初雪や瓦の鬼も薄化粧』、『初雪や今朝も茶滓の捨て所』、綺麗だろ」、「それだったら出来る『初雪や一番目立つインド人』」、「『初雪やせめて雀の三里まで』この位は言って欲しい」、「『初雪やキリンの首の潜るまで』」、「初雪なのに随分降るな。それにキリンが居るところに雪が降るかい。『初雪や草履を履いて隣まで』、高下駄では大袈裟だし、ワラジでは濡れるし、草履ぐらいが丁度良い。『初雪や狭き庭にも風情あり』」、「『初雪や俺んとこには庭がない』」、「愚痴っちゃダメだ。家の庭でやんな」、「『初雪や人の庭じゃくだらない』」、「愚痴ばっかりじゃダメだ」。
 「『初雪や二の字二の字の下駄の跡』、『初雪や二の字踏み出す下駄の跡』千代女だ」、「判った『初雪や一の字一の字一本歯の下駄の跡』、鞍馬山から天狗が出て来て一本歯の下駄の跡だ」、「理屈ぽくて駄目だな」、「『初雪や馬の足跡お椀かな』、『初雪や竹馬の跡は穴かな』、『初雪や大坊主小坊主負ぶさって転んで頭の足跡お供えかな』」、「『・・・坊主転んで蹴鞠かな』位言って欲しいな」。
 「『初雪やこれが塩なら金儲け』」、「ダメだよ。風流なんだから金から離れろ」、「『初雪やお金が落ちてても拾わない』」、「露骨だね」。「『初雪や塩屋の小僧転んであっち舐めこっち舐め』。塩屋が転んでみんな白いからあっち舐めこっち舐め」、「ダメだ。『猿飛んでひと枝青し峰の松』、雪と言わなくても分かるだろ」。

 「狂歌、狂句、川柳、かぶり付けなど有るが、かぶり付けからやった方がイイかな。『サア事だ馬のション便渡し船』、『サア事だ研ぎ屋の親父気が違い』。あとはダジャレ、回文、ナゾ掛けなどが有るよ。どんか七度返しなどが良いかもしれない」。
 「『瓜売りが瓜売りに来て売り残り瓜売り帰る瓜売りの声』なんてな」、「まだ有りますか?」、「『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』、『富士の火事茶園火焔と燃え上がり茶摘み茶仕事チャッチャ無茶苦茶』。お前さんもやってごらん」、「そんなら出来るよ『アリアリとアリアリ見えるアリの群れ、アリに見えるのがアリの大将』。まだ有りますかね?」、「『山王の桜に茶園三下がり相の手と手とお手と手と』だ」、「ラッパの稽古みたいだね」、「『猫の子のこの子のこの猫の子 この猫の子猫 この猫』」、「猫が沢山居るね。猫猫猫」、(私、吟醸も上手く書き出せません)「舌噛むといけないから止めな」。

 「題を出すからやってごらん。『春雨』なんだが出来るかい」、「『船底をガリガリかじる春の鮫』」、「『クチナシ』だ」、「『口無しや鼻から下はすぐにあご』。「蝙蝠で」、『コウモリや借りっぱなしが五六本』」、「『サルスベリ』」、「『狩人に追っかけられて猿滑り』」、「バカバカしいから止めた」。
 「リン回しだ。最初と終わりにリンが付く『リンリンと構えし別荘の奥でゆかしき琴がコロリン』、まだ有るよ『リンリンと凛と反ったる小薙刀 一振りすれば敵もチリリン』、『リンリンと綸子(りんず)や繻子(しゅす)の振り袖を 娘に着せてビラリシャラリン』。お前さんもやってごらん」、「『リンリンと綸子や繻子は高いから 襦袢(じゅばん)の袖は安いモスリン』」、「それで良いんだ」、「『リンリンとリンを鳴らした競輪の銭を取られて家にケエリン』」、「『リンリンとリンと鳴ったる電話口 話が済んで元にチリリン』」、八っつあんもやります「『リンリンと悋気喧嘩は損なものヤカン・七輪ガタンピシャリン』」。
 「『リンリンとリンと咲いたる桃・桜 嵐につれて花がチリ(=散り)リン』」、「『リンリンとリンゴや桃の実がブラリン・・・』」、「偉いな花が済んだら実を結ばすなんぞは偉い」、「『リンゴや桃の実がブラリン さも欲しそうに立ってあたりチョロリン』」。「『リンリンとリンと鳴いたる鈴虫の軒端に吊す赤い風リン』」、「言うことが綺麗だな。『リンリンとリンを鳴らした夜鷹蕎麦 タダで食わせろアカンベロリン』」、「後が悪いな」。「悲しいのなら、『リンリンと淋病病みは痛かろう 小便するたびチョビリチョビリン』」、「これだけしゃべっていて、満足なのが一つも無いな」。

 隠居に俳句の仲間が来て講評を願いたいと、作品を持ってきた。「八っつぁんや、私がここで点取りをするので、申し訳ないが向こうの部屋で婆さん相手に話でもしていて、静かにしておくれ」。
 「では、作はどうなったかな」、「『四つ足』の題でしたから、この様になりました」、「はいはい、『子ネズミが阿漕にかじる網戸だな 度重なりて猫にハマるな』、阿漕の浦に掛けて面白いですな」、「天になりますか?」、「後のを見てからにしましょう。猫ですな、『猫の子を秤に掛けて貰うなり 夜と昼では目(値)が違うなり』。面白いですな」、「天になりますか?」、「もうチョットですな。次のは、『飼う人の恩を魚の骨にまで 良くかみ分けて門護る犬』か、これもチョット」。
 八っつぁんが突然割り込んで、「初雪や・・・」、「大きな声だな。静かにして下さい。後で聞きますから・・・」、「これはどうですか・・・」、「『狩人が鉄砲置いて月を見ん 今宵はしかと(=鹿と) 隈(=熊)もなければ』、上手いがまだまだ、天にはなりませんな」。
 「初雪や・・・」、「怒るよ。八っつぁん、私の仕事なんだ。静かにしておくれ。『ポンポンが痛いと空を月の夜に 鼓の稽古休む子狸』面白いな」、「天になりますか」、「これも天には・・・」。
 「初雪や・・・」、「なんだ!」、「『初雪や六尺あまりの大イタチ この行く末は何になるらん』」、
「ん、これが貂(てん=天)になる」。

 



ことば

雑俳(ざっぱい);江戸時代に行われた通俗的俳諧(はいかい)。連想形式でつながっていく長編の本格的俳諧に対し、その練習形態として、2句間のみの付合(つけあい)である前句付(まえくづけ)俳諧が行われ、それから派生した一種の懸賞文芸が雑俳である。点者(てんじゃ)の出題に対して、会所(かいしょ)(仲介者)が広く句を募り、各地の取次(とりつぎ)所を通じて集められた投句(とうく)のなかから、点者が優秀作品を選び、その入選句を刷り物にして賞品とともに投句者に配るという興行形態(万句寄(まんくよせ)・万句合(まんくあわせ)などとよぶ場合もある)をとった。雑俳書として本屋が出版するものは、この勝句(かちく)刷り物をさらに編集したものである。点者は、初期においては正式な俳諧師がこれにあたったが、やがて専門点者の輩出をみ、雑俳は俳諧の第二文芸的性格を有するものとして独立する。出題には、種々の形式が行われたが、前句付(まえくづけ)型、笠付(かさづけ)型、非付合(つけあい)型の三つに大別できる。

前句付型:連歌(れんが)発生の基本的形態で、七・七の前句に対して、五・七・五を付けるもの(またはその逆の型)。長連歌(ちょうれんが)成立以降も、付合の基本形態として、つねに連歌・俳諧の底流に位置してきた。雑俳では、七・七の短句を出題して、五・七・五の長句を付けるのが一般的となり、さらに題がしだいに単純化されて、ついに川柳(せんりゅう)評(柄井(からい)川柳の評)においては、前句にかかわらぬ付句が詠まれることとなり、川柳風狂句(いわゆる川柳)の独詠句が生まれた。
  (題) 障子に穴を開くるいたづら
  (付句) 這(は)へば立て立てば走れと親心(不角(ふかく)評『千代見草(ちよみぐさ)』)
  そのほか、前句付の変型として、「謎句付(なぞくづけ)」「一口前句(ひとくちまえく)」「物付(ものづけ)(物(もの)は付(づけ))」などがある。

 ◇洒落附(しゃれづけ) 必ず冒頭部分でひねりをきかせる。例えば「酒一切」(酒に関することなら何でも)という題に、 『ラムあれば苦あり』 という具合に遊ぶ。
 ◇前句附(まえくづけ) 下句(七七)を決め、前句(五七五)を考える。例えば「切りたくもあり切りたくもなし」という題に、 『盗人を捕えて見れば吾(わ)が子なり(切りたくもあり~)』 とウイットを効かせる。

笠付型:前句付を簡略化したもので、五文字の題に、七・五の句を付けるもの。京都の点者雲鼓(うんこ)らが興行し始め、おもに上方(かみがた)で流行した。冠付(かむりづけ)ともいう。
  (題) おちにけり
  (付句) 井戸替までは待ちなさい(川柳評『万句合刷物(すりもの)』宝暦7年=1757)
  そのほか、笠付の変型として、「小倉付(おぐらづけ)」「西国付(さいこくづけ)」「笠段々付(かさだんだんづけ)」「もじり」「場付(ばづけ)」「伊勢(いせ)笠付」「狂俳冠句(きょうはいかむりく)」「沓付(くつづけ)」などがある。

非付合型:付合性をもたぬもので、和歌や連歌などで行われた遊戯的手法を取り込んで、発句(ほっく)または平句(ひらく)1句を仕立てるもの。「折句(おりく)」(五・七・五または七・七の句頭に、題の3字または2字を詠み込むもの。初期には意味のある題であったが、やがて無意味な3字または2字の題となる)、「回文(かいぶん)」(上から読んでも下から読んでも同じ句をつくるもの)、「~尽(づくし)」(国尽(くにづくし)・魚尽(うおづくし)・鳥尽(とりづくし)など、1句中に物の名をできるだけたくさん詠み込むもの)、「切句(きりく)」(5文字の題によって発句を仕立てるもの)、「天地(てんち)」(句頭と句末とに、題の漢字2字の熟語を詠み込むもの)などが、この型に入る。なお、雑俳興行には「発句(ほっく)」も加えられていた。
  こうした遊戯性の強い雑俳であるが、句の内容は、俳諧でも詠み残されたきわめて卑俗な人間生活万般にわたる事象を日常語を用いて表現しており、雑俳のこの方向性は、俳諧が元来もっていた性格を受けたもので、ある意味では、雑俳から川柳狂句への流れは、連歌・俳諧の本道ともいえるものである。
 以上、日本大百科全書(ニッポニカ)による。

川柳(せんりゅう):前句付から独立した雑俳様式で、滑稽(こっけい)、諧謔(かいぎゃく)、風刺を主旨とする江戸文芸の一種。前句付の点者柄井(からい)川柳の点を川柳点と呼んだが、その高点句集《柳多留》で前句付の前句を省いて、付句を単独で示す編集方針をとったため、付味(つけあじ)より1句独立の作柄に関心がうつり、五・七・五単独1句でつくられるようになった。
  百科事典マイペディアより

柳多留(やなぎだる):江戸時代の川柳風狂句集。《誹風柳多留》ともいう。明和2年(1765),呉陵軒(ごりようけん)可有の編で初篇を刊行、世に受けて続刊。寛政3年(1791)までに初代川柳の撰句の前句を省いて24編を刊行。以後、二世川柳評で70編まで、四世川柳が110編まで,五世が167編(天保11年(1840))まで出して終刊。あと《新編柳多留》と改称し、嘉永3年(1850)までに40編を出した。〈当世の前句は誹諧の足代ともならんや〉(二篇)ともあるように、単なる雑俳前句付(まえくづけ)でなく、俳諧的風韻を重んじた作をねらっており、10編あたりまで実行されているが、しだいに観念遊戯的な傾向を強めた。
 世界大百科事典 第2版より

雑俳での評価;俳諧で、句を添削・評価する人を「点者」といい、雑俳では、天・地・人の三段階で判定します。
天(てん);最秀句。

隠居の言う句とは

・『古池や蛙飛び込む水の音』、芭蕉。有名すぎる名句です。

・『トンボ釣り今日は何処まで行ったやら』 加賀の千代女。落語「加賀の千代」に千代女について書いています。

・『起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな』 加賀の千代女。一人残された女の実感。千代女の作ではないという説もあります。

・『初雪やせめて雀の三里まで』。雀の足の中程まで・・・、位の降りよう。圓朝の「大仏餅」で、怪我をして薬をもらいに幸右衛門が店に入って来ます。外の雪の状況をこの様に言っています。初雪はこの位で充分で、キリンが潜ってはいけません。
 三里とは、灸穴のひとつ。手と足にあり、手の三里は橈骨小頭の外下方、足の三里は膝頭の下で外側の少しくぼんだ所。ここに灸をすると、万病に効くという。下図、手三里と足三里。

 

・『初雪や瓦の鬼も薄化粧』、『初雪や今朝も茶滓の捨て所』。良いですね、鬼瓦も薄化粧です。

・『初雪や草履を履いて隣まで』。高下駄では大袈裟だし、ワラジでは濡れるし、草履ぐらいが丁度良い。

・『初雪や狭き庭にも風情あり』。

・『初雪や二の字二の字の下駄の跡』。談志は千代女と言っていますが、本当は田 捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、寛永11年(1634)。 元禄11年8月10日(1698年9月13日))で、江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。

・『初雪や二の字踏み出す下駄の跡』。類句『雪の日や二の字踏み出す下駄の跡』田捨女。6歳の時に詠んだ句。天才です。

・『猿飛んでひと枝青し峰の松』。

・『リンリンとリンと鳴いたる鈴虫の軒端に吊す赤い風リン』。

八五郎自作の迷句、

・『初雪や塩屋の小僧転んであっち舐めこっち舐め』

・『アリアリとアリアリ見えるアリの群れ、アリに見えるのがアリの大将』 

・春雨で、『船底をガリガリかじる春の鮫』

・蝙蝠で、『コウモリや借りっぱなしが五六本』

・梔子で、『口無しや鼻から下はすぐにあご』、迷句です。実生活でも使うフレーズ。

・百日紅で、『狩人に追っかけられて猿滑り』または『ターザンに追っかけられて猿滑り』

・『リンリンと淋病病みは痛かろう 小便するたびチョビリチョビリン』、淋病、痛いんでしょうね。

・『初雪や六尺あまりの大イタチ この行く末は何になるらん』、(談志の別の音源では二尺あまりの・・・と言っています)。落語「両国八景」に出て来る見世物小屋の一つではありませんが、血が付いた板で6尺もあれば、倒れてきたら危ない。

回文(かいぶん);上から読んでも下から読んでも同じもの。和歌・連歌・俳諧などで、上から読んでも下から読んでも同音のもの。回文歌・回文連歌・回文俳諧などの称がある。回文詩は上から読んでも下から読んでも一詩をなすもの。回文対は上の句から読んでも下の句から読んでも同意の構成になる対句。
例:『ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな』。初夢の時、枕の下に敷く回文。
『 稲荷頼もう、物足りない 』
おいおい尾
『 酒命 覚悟地獄か 血の池さ 』 しもしも作
『 素でキス出来んほど本気で好きです 』 阿呆兄弟作
『 松茸摘みに来て奇跡的に見つけた妻 』のー作
以上4点「回文21面相」より拝借。一千以上の回文が集まっています。

どんか七度返し(どんか しちどがえし);道歌七度返し(どうかななたびがえし)のこと。道歌に畳語法を採り入れ、これを原則五七五七七各句に散らして一首にまとめたもの。
『月月に、月見る月は、多けれど、月見る月は、この月の月』
『宇治の火事、茶園火炎と燃え上がり、茶摘み茶仕事、茶っ茶無茶苦茶』
『猫の子の、此の子の猫の、此の猫の、子猫此の猫、此の子猫猫』
『クリクリの、坊主が庫裏(くり)を九里(くり)歩き、栗食いながら、目玉クリクリ』
『瓜売りが、瓜売りに来て、瓜売れ残り、売り売り帰る、瓜売りの声』
『南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いふが愚かじゃ』一休禅師
『心こそ 心を迷わす 心なれ 心に心 心ゆるすな』
『為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』上杉鷹山

・りんまわし=狂歌七度返しはどうだと、隠居が言う。
『りんりんりんと咲いたる桃さくら 嵐につられ花はちり(散り)りん』
『りんりんりんと振ったるなぎなた 一振り振れば首はちりりん』
『りんりんりんとりんごや桃を売っている さも欲しそうに立ってキョロリン』
『リンリンとリンと鳴いたる鈴虫の軒端に吊す赤い風リン』
『山王の桜に茶園三下がり 相の手と手とお手と手と』
「トテテトテトテトテテテ」、「ラッパだね。手と手と手手と手と手と」 

柔らか物;着物の生地で、絹物を言います。贅沢な素材です。反対に固ものというと、木綿や麻を言います。

狂歌(きょうか);諧謔・滑稽を詠んだ卑俗な短歌。万葉集の戯笑(ギシヨウ)歌、古今集の誹諧歌の系統をうけつぐもので、鎌倉・室町時代にも行われ、特に江戸初期および中期の天明頃に流行した。えびすうた。ざれごとう
た。ひなぶり。へなぶり。

狂句(きょうく);おどけた句。滑稽な句。連歌の無心の句や俳諧の風狂の句。また、川柳、特に文化・文政(1804~1830)以後の、知的遊戯に堕した川柳をいう。

阿漕の浦(あこぎのうら);『伊勢の海 阿漕(あこぎ)が浦に ひく網も度重なれば人もこそ知れ』という古今六帖の古歌から。阿漕ケ浦は、今の三重県津市南部の海岸。伊勢神宮の禁漁区域で、一度だけなら分からないでしょうが、度重なれば噂に上りバレてしまうでしょう。
 落語「西行」より孫引き
『子ネズミが阿漕にかじる網戸だな 度重なりて猫にハマるな』は、そのもじり。

(てん);イタチ科テン属の哺乳類の総称。7~8種に分けられる。その一種、テンは本州・四国・九州に分布。北海道にはクロテンが分布。いずれも体長40cmほど。本州北部のテンはキテンと呼ばれ、夏毛は全体に黒く、喉が黄色であるが、冬毛は四肢の先端のみ黒く、他は美しい黄色。南部のテンはスステンと呼ばれ、夏は全身褐色で、冬毛もあまり変らない。山林で単独生活し雑食性。イタチより一回り大きい。右写真:広辞苑
 それにしても6尺(182cm)の大イタチは居ません。まるで、メダカが大きくなると鯨になる、みたいです。
 隠居が言った貂と天が掛け言葉になって、オチとしています。

イタチ;ネコ目(食肉類)イタチ科の哺乳類の総称。また、その一種。雄は体長約30cm、雌はこれより小さい。体は細長く、赤褐色。夜間、鼠・鶏などの小動物を捕食。敵に襲われると悪臭を放って逃げる。日本特産。近似種タイリクイタチ(チョウセンイタチ)の亜種とされることもある。タイリクイタチは最近西日本に入り込み、特に都市部でよく見かける。イタチよりやや大きい。



                                                            2016年5月記

 

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