落語「米揚げ笊」の舞台を行く 桂枝雀の噺、「米揚げ笊」(こめあげいかき)より
■前回の「蛇含草」と同じように、この噺も、上方落語です。この噺が東京に移入されて「ざる屋」となりました。
■笊(いかき);笊籬。竹で編んだ籠(カゴ)。ざる。
■丼池筋(どぶいけすじ);大阪市中央区、船場(せんば)の繊維問屋街。三休橋(さんきゅうばし)筋と心斎橋筋の間の細長い南北の地域。地名は、付近に芦間(あしま)の池というどぶ池があったから言われる。明治7年(1874)に埋められた。第二次世界大戦前の高級家具商が空襲で全焼し、戦後、本町(ほんまち)の繊維問屋街が延長し、小売りも手がける繊維の現金問屋が密集して全国にその名を知られた。スーパーマーケット方式や週休制などを採用し、伝統と革新を備えた大阪商人の心意気を示した。
■丼池の北浜(どぶいけの
きたはま);丼池の北にある浜で、つまり北浜。土佐堀川の南岸。
■デボチン打つ;額(ひたい)をぶつける。
■栴檀(せんだん)木橋;江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、船場との連絡のために土佐掘川には多くの橋が架けられていた。栴檀木橋もそうした橋の一つであった。橋名の由来は『摂津名所図会』ではこの橋筋に栴檀ノ木の大木があったためとしている。明治になっても木橋のままであった栴檀木橋は明治18年の大洪水で流失した。再び架けられたのは大正3年のこととされる。
中之島と中央区北浜を結ぶ橋。土佐堀川をまたぐ。島の中に渡ることは出来ても、島の向こう側に渡れない。
■難波(なにわ)橋;天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。「浪華橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管理する公儀橋とされた。目的の源蔵町に行くにはこの橋を渡らないと行けない。
■間目(まめ);笊の編み目の粗さ。
■相場師の強気、弱気;取引で、相場が上がると予想し買い続けることを強気といい、逆に相場が将来下がると予想して売り続けることを弱気という。
■堂島(どうじま);堂島の米市場は、堂島浜1丁目・ANAクラウンプラザホテルの敷地にあった。いま、モニュメントが建っている。
『浪花名所図会』堂島米あきない 歌川広重筆(大阪歴史博物館蔵)
堂島河岸の米市での取引。終了の合図後も取引を続けるので、水をかけて退散させたという。
■見徳(けんとく);前兆。予感。縁起。
■験(げん);げんがいい、げんが悪いなど、兆しの意味に用いられる。現在は験の字を当てるが、縁起(えんぎ)の倒語ギエンをゲンと約めたもの。
■上町の上汐町(うえまちの うえしおまち);上町台地(うえまちだいち)とは、大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地。北部は中央区の大阪城付近・天満橋の辺りで、そこから緩やかに小山を形成し、天王寺区・阿倍野区周辺を経て、南部の住吉区・住吉大社付近に至り、その辺りでほぼ平地になり清水丘を以て終わり、長さ12kmに及ぶ。大阪(大坂)の歴史の発祥地であり、要所である。上町台地の中に大阪市中央区上町と上汐町が有ります。
■上(かみ)の女中;店の賄いや雑用をする下の女中にたいして家の中、家族の身の回りの世話をする女中。上(かみ)は、商売に直接関係しない家庭生活に関する場所、奥向き。商家特有の言葉。
■淀川の上(よどがわの かみ);淀川の上流は京都。淀川(よどがわ)は、琵琶湖から流れ出る唯一の河川。瀬田川(せたがわ)、宇治川(うじがわ)、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。滋賀県、京都府及び大阪府を流れる淀川水系の本流で一級河川。落語「三十石」の舞台となったところ。
■須磨(すま);須磨区(すまく)は、神戸市を構成する9区のうちのひとつで、同市の西部に位置する。南部の板宿を中心とする旧市街地、北部の妙法寺や名谷を中心とする新興市街地など様々な街の景色を持つ。
平安時代末期に起きた一ノ谷の戦いの舞台でもある。また、須磨海岸は古来より白砂青松の美しい砂浜を持つ海岸として有名で、近年は京阪神地域随一の海水浴場でもある。ここに別荘を持っていた。
■ステンショ;ステーション(station)の訛。鉄道の駅。停車場。
初代大阪駅舎
■身上(しんしょ);財産。身代。しんしょう。身上持ちと言えば、資産家。かねもち。
2017年6月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |