落語「米揚げ笊」の舞台を行く
   

 

 桂枝雀の噺、「米揚げ笊」(こめあげいかき)より


 

 「さ~、こっち入りや」、「へぇ、へぇ」、「小遣い儲けをやらしてやろ~と、思てな。友達にな、天満の源蔵町、笊(いかき)屋重兵衛という笊屋をやっている男がある。売り子を一人紹介してもらいたいちゅうてきたんやが、どや?おまさん行くか?」、「やらしてもらいます」、「行くというのなれば紹介状というか手紙が一本書いてあるでな、これを持って行といなはれ。それから、向こ~行ってもおまさん、あんまり要らんことベラベラしゃべらんよ~にな、おまはんだいたいしゃべりやさかいな、男のしゃべりはみっともないで「三言しゃべれば氏素性が現われる、言葉多きは品少なし、口開いて五臓の見えるあくびかな」ちゅうてな、向こ~行ってもなんにも言わんよ~に、『委細はお手紙でございます』ちゅうてこの手紙渡したら分かるようになったるよってな」。
 「ほな、これから行てきます」、「おまはん行く道は分かったるか」、「尋ねまひょか?」、「うち表へ出るとこれが丼池筋。これをド~ンと北へ突き当たる」、「わぁ、デボチン打つわ」、「それが『要らんこと言い』やちゅうねん、黙って聞きなはれ。と、この丼池の北浜には橋が無い」、「昔から無い未だに無いこれ一つの不思議」、「別に不思議なことはないけれどもな『橋無い川は渡れん』てなこと言うてあるな」、「船で渡るとかね、泳いで渡るとか・・・」、「それではことが大胆ながな。右へ曲がって少~し行たところに栴檀(せんだん)の木橋という橋がある」、「この橋渡りまんねな」、「これは渡れへんねん。も~少々行くとあるのが難波(なにわ)橋」、「難波橋、これも渡りまへんな」、「今度は渡たんねん。これを渡ったところ一帯が天満の源蔵(げんぞう)町、『笊屋重兵衛』と書いた大~きな看板が掲がったるで、すぐに分かると思うけれども、分からなんだら尋ねながら行きなはれ」、「さよか、おっきありがと~」。

 「誰ぞにいっぺん道尋ねたろ。おんなじ道尋ねんのでも、忙しそ~にしてるヤツに尋ねんと、落ち着いたヤツに尋ねると手間がかかってどんならんよって、誰ぞ忙しそ~にしてるヤツに・・・、向こ~から走って来るヤツ、こいつにいっぺん尋んねたろ。
 ちょっとお尋ねします」、「はい、何です?」、「あんた、えらい急いでなはんな~?」、「うちの家内に気(け)が付いてまんねん」、「あんたとこの嫁はんにケツネが憑いた?」、「ケツネと違います。『気~』です、気~。産気です」、「子ども、めでたいな~。オンかメンか?」、「口の悪い人やな~、生まれてみな分かりますかいな」、「忙しいのに、いったいどこへ行こ~となさるんです?」、「産婆はんを呼びに行きまんねがな」、「そら急ぎなはれ、それ急かないけまへん。ところでちょっともの尋んねますが・・・」、「なるべく早いことしとくなれ」、「へぇ、つかんこと尋んねまんねんけど、あんた、丼池の甚兵衛はんちゅう人ご存知ですか」、「そんな人知りまへん」、「おかしいな~、こないだウドンよばれたがな」、「知らんがな」。
 「その家、表出るとこれが丼池筋でんねん、これをば北へド~ンと突き当たる、言うたらあんた『デボチン打つ』てなこと言おと思て・・・」、「別に思てまへん」、「と、この丼池筋の北浜には橋が無い、昔から無い、未だに無い、これ一つの不思議。何の不思議なことあろ~か、橋無い川は渡れん。渡るに渡れんことない。ど~して渡ろ、船で渡ろか泳いで渡ろか、それではことが大胆な。 ほたらいったいど~しましょ?」、「何をゴジャゴジャ言うてなはんねん?」、「右へ曲がって少~し行たところに栴檀の木橋という橋がおまんねけれども、この橋わたいが渡ると思うか、渡らんと思うか?」、「分かりますかいな」、「人間には当て推量いうもんがおまっしゃろ。ど~すると思いなはる」、「えらい人につかまってしもたなァ・・・、橋があんねんさかい渡んなはんねんやろ」、「ところが、これ渡りまへんねん。も~少々行くとあんのが難波橋、この橋わたいが渡ると思うか渡らんと思うか?」、「今度も渡りまへんねやろ」、「今度は渡りまんねん」、「せぇだい逆らえ」、「この橋渡ったところ一帯が天満の源蔵町「笊屋重兵衛」と書いた大~きな看板の掲がったところへ行くには、もし、ど~行ったらよろしおます?」、「今あんたが言うた通~りに行ったらよろしい」、「あ~そうですか」。
 「も~いっぺん誰ぞに尋ねたろ。向こうからお婆さんの手引っ張って、えらい勢いでこっち走ってくるヤツがあるな~、あいつにいっぺん尋ねたろ。ちょっとお尋ねします」、「何やねん、ちょいちょいと」、「わッ、同じやっちゃ。嫌んなってきたな~」。

 アホがあっちで尋ね、こっちで尋ね、やってまいりましたのが天満の源蔵町『笊屋重兵衛』と書いた大~きな看板の下へ立ちよって、「こんちぁ~」、「はいぃ~」、「ちょっともの尋ねますねやが、『天満の源蔵町』ちゅうのはどの辺りでしょ?」、「この辺り一帯がそ~ですぞ」、「再びつかんこと尋ねますねやが『笊屋重兵衛』の家はどこでしょ?笊屋重兵衛ッ」、「口の悪い人やな~、重兵衛、重兵衛と・・・、『重兵衛』なら手前じゃぞ」、「手前ですか?どれぐらい手前ですか?」、「違うねん、うちが重兵衛や。ご用件は何ですかいな?」、「それ、言えまへんねん。男のしゃべりはみっともない。向こう行てもな~んにも言わんよ~に。くれぐれも言われてきてまんので・・・」、「それではご用件が分かりまへんで」、「委細はお手紙でっせ」、「見せなさい。こないだ甚兵衛さんにお頼みしといた『笊の売り子』あったんやそ~ですな」、「その人は、あんたかいな。いつから行とくなはる?」、「今から行きまひょか」、「うちは、ちゃ~んと荷ごしらえだけはしてございますのでな。いつでも・・・。はじめから品数が多いとややこしい。大間目(まめ)、中間目、小間目に米を揚げる米揚げ笊と、この四通りにしておます。何でこ~して売りに行てもらいますかと申しますと、二八(にっぱち)と申しまして二月と八月に切った竹はど~といぅことはないんですが、あいだに切った竹は虫がついて粉を吹きます。使い込んでもらうとど~といぅことはないんですが、やっぱり買いなはる時、皆さん方嫌がりなさる。うちで売るわけにいかん、こ~してあんさんに売りに行てもらいます。売ってもらいます時にちょっとコツがおましてな、笊をば二つでも三つでも重ねてもらいます。上から(ポンポン)と叩いてもらう。『叩いてもつぶれるよ~な品もんと品もんが違います』『強いねんな~、丈夫やねんな~』なかなかそ~やおません。叩いて粉を下へみな落してしまいます。これが商売の駆け引き、コツですな~。値はそれぞれ紙に書いて入れておまんので、その値で売ってもらいま したら、お礼はこちらから別にさし上げます」、「さよか、ほな行てまいります。いょ~いとしょッと『いかぁ~きぃ~~ッ!』」。

 表へ出ますと人なかで声のひとつもよ~出しよらん。口ばっかりパ~クパク開けよって、段々上手になってきた。『おぉ~まめ、ちゅうまめ・・・』とアホが大声出してやってまいりましたのが堂島でございます。ご承知のよ~に米相場の立ちました所で「堂島の朝のひと声は天から降る」てなことを申しまして、強気の方も弱気の方もその日の辻占、見徳(けんとく)というものをなさったのでございます。
  強気の方は昇る、揚がるということを喜ぶ、また反対に弱気の方は降る、下がるということを喜ぶ。強気も強気、カンカンの強気の家の前に立ちよって『米を揚げる米揚げいか~~き!』こんな験(げん)のえ~言葉はございま せん。米が揚がる米揚げ笊、これがこの家(や)の旦さんの耳に入りましたからたまりません。「番頭! 藤兵衛!」、「へぇ~い」普通の家ならお辞儀をいたしますが、この家では頭が下がる、下がるのが気に入らん「番頭! 藤兵衛!」、「へぇ~ い」とそっくり返っと~る。

 「いま表で大きな声がしてるが、あら何じゃ?」、「笊屋が米揚げ笊を売りにまいっとります」、「米、揚げ、笊、とは気に入ったやないか。呼んで買~てやれ」。
 「旦さんが買~てやろ~とおっしゃる・・・、暖簾が邪魔なら外してやろか」、「上げて入りよったがな番頭どん、嬉しいやっちゃな、みな買~てやるぞ」、「みな買~てもらいましたら、お家へ放~り上げる」、「わっ!『放~り上げよった』。嬉しいやっちゃ気に入った。財布をもっといで、さ~笊屋、嬉しいやっちゃ一枚やるぞ」、「こんなんもらいましたら、飛び上がるほど嬉しい」、「『飛び上がる』、も~一枚やろ」、「二枚ももらいましたら、浮かび上がります」、「『浮かび上がる』、財布ぐちやろ。お金は大事にせないかんぞ」、「大事にいたしませ~でかいな、神棚へ上げて拝み上げとります」、「拝み上げてる、着物三枚ほどこしらえたげたってんかこの男に、嬉し~男やでホンマに。で、お前兄弟はあんのか?」、「上ばっかりで・・・」、「『上ばっかり』か、米五斗ほど運んでやんなはれ。嬉しい男やなぁ、兄さんはどこにいてんねん?」、「淀川の上の京都でおます」、「『淀川の上』、っちゅうのが気に入ったやないかいな、借家十軒ほどやってくれこの男に、嬉しい男やで、兄さんどんな男や?」、「高田屋高助と申しまして、背~の高~い、鼻の高~い、偉高い、気高~い男でおます」、「須磨の別荘やってんか、嬉しい男やな~、姉さんはどこにいてんねん?」、「上町の上汐町の上田屋上右衛門という紙屋の上(かみ)の女中をいたしております」、「たまらんな~、大阪のお城と、梅田のステンショやってくれ・・・」、「そんなアホなことをおっしゃる・・・、旦さん何をおっしゃんねん、そんな無茶なこと言うてもろたら困りまっせ。そ~何でもかんでも上げてしもたら、うちの身上(しんしょ)が潰れてしまいまんがな」、
「アホらしもない、潰れるよ~な品もんと(ポンポン)品もんが違います」。

 



ことば

■前回の「蛇含草」と同じように、この噺も、上方落語です。この噺が東京に移入されて「ざる屋」となりました。
落語演目では、「米揚げ笊(いかき)/いかき屋」は上方落語で、初代桂文團治作。「ざる屋」は江戸落語。

■笊(いかき);笊籬。竹で編んだ籠(カゴ)。ざる。
 ざるは一般に、水洗い後の野菜や磨いだ米、茹でた食物などの水分を切る場合に用いられることが多い(米揚げザルなど)。いかき(笊籬)は関西方面のざるの古い呼び方。  
右図:「笊屋」 大坂ことば事典より
 
天満の源蔵町(てんまの げんぞうちょう);北区西天満3丁目あたりで、町名変更しているので、その町名は現存しない。
大阪天満宮の表門の道を西へ高速道・守口線(旧堀川)を越えたところが旧源蔵町。

丼池筋(どぶいけすじ);大阪市中央区、船場(せんば)の繊維問屋街。三休橋(さんきゅうばし)筋と心斎橋筋の間の細長い南北の地域。地名は、付近に芦間(あしま)の池というどぶ池があったから言われる。明治7年(1874)に埋められた。第二次世界大戦前の高級家具商が空襲で全焼し、戦後、本町(ほんまち)の繊維問屋街が延長し、小売りも手がける繊維の現金問屋が密集して全国にその名を知られた。スーパーマーケット方式や週休制などを採用し、伝統と革新を備えた大阪商人の心意気を示した。

丼池の北浜(どぶいけの きたはま);丼池の北にある浜で、つまり北浜。土佐堀川の南岸。

デボチン打つ;額(ひたい)をぶつける。

栴檀(せんだん)木橋;江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、船場との連絡のために土佐掘川には多くの橋が架けられていた。栴檀木橋もそうした橋の一つであった。橋名の由来は『摂津名所図会』ではこの橋筋に栴檀ノ木の大木があったためとしている。明治になっても木橋のままであった栴檀木橋は明治18年の大洪水で流失した。再び架けられたのは大正3年のこととされる。 中之島と中央区北浜を結ぶ橋。土佐堀川をまたぐ。島の中に渡ることは出来ても、島の向こう側に渡れない。

難波(なにわ)天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、最も西(下流)に位置する。「浪華橋」とも表記され、明治末期まで堺筋の一筋西の難波橋筋に架かっており、橋の長さが108間(約207m)もの大型の反り橋だったという。1661年(寛文元年)天神橋とともに幕府が管理する公儀橋とされた。目的の源蔵町に行くにはこの橋を渡らないと行けない。
 新橋は当初は難波橋筋に架かる旧橋と区別するため、堺筋に架かる新橋は大川橋とも呼ばれた。新橋は当初中之島を跨いでいなかったが、1921年(大正10年)以降、大川の浚渫で出た土砂埋め立てによりさらに上流へ拡張された中之島公園を跨ぐようになった。中之島通敷設の際に旧橋は撤去され、新橋は名実共に難波橋となった。橋長:189.65m 幅員:21.80mで、ライオン橋とも俗に言われる。
右写真:大正期の難波橋。

間目(まめ);笊の編み目の粗さ。

相場師の強気、弱気;取引で、相場が上がると予想し買い続けることを強気といい、逆に相場が将来下がると予想して売り続けることを弱気という。
 ブルとベアとも言われ、ブル(Bull)は強気のことで、雄牛が角を下から上へ突き上げる仕草から相場が上昇していることを表し、ベア(Bear)は弱気のことで、熊が前足を振り下ろす仕草、あるいは背中を丸めている姿から相場が下落していることを表す言葉として使われています。

堂島(どうじま);堂島の米市場は、堂島浜1丁目・ANAクラウンプラザホテルの敷地にあった。いま、モニュメントが建っている。
 当時大坂は全国の年貢米が集まるところで、米会所では米の所有権を示す米切手が売買されていた。ここでは、正米取引と帳合米取引が行われていたが、前者は現物取引、後者は先物取引である。敷銀という証拠金を積むだけで、差金決済による先物取引が可能であり、現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、世界初の整備された先物取引市場であった。

 

 『浪花名所図会』堂島米あきない 歌川広重筆(大阪歴史博物館蔵)  堂島河岸の米市での取引。終了の合図後も取引を続けるので、水をかけて退散させたという。

見徳(けんとく);前兆。予感。縁起。

(げん);げんがいい、げんが悪いなど、兆しの意味に用いられる。現在は験の字を当てるが、縁起(えんぎ)の倒語ギエンをゲンと約めたもの。

上町の上汐町(うえまちの うえしおまち);上町台地(うえまちだいち)とは、大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地。北部は中央区の大阪城付近・天満橋の辺りで、そこから緩やかに小山を形成し、天王寺区・阿倍野区周辺を経て、南部の住吉区・住吉大社付近に至り、その辺りでほぼ平地になり清水丘を以て終わり、長さ12kmに及ぶ。大阪(大坂)の歴史の発祥地であり、要所である。上町台地の中に大阪市中央区上町と上汐町が有ります。

(かみ)の女中;店の賄いや雑用をする下の女中にたいして家の中、家族の身の回りの世話をする女中。上(かみ)は、商売に直接関係しない家庭生活に関する場所、奥向き。商家特有の言葉。

淀川の上(よどがわの かみ);淀川の上流は京都。淀川(よどがわ)は、琵琶湖から流れ出る唯一の河川。瀬田川(せたがわ)、宇治川(うじがわ)、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。滋賀県、京都府及び大阪府を流れる淀川水系の本流で一級河川。落語「三十石」の舞台となったところ。

須磨(すま);須磨区(すまく)は、神戸市を構成する9区のうちのひとつで、同市の西部に位置する。南部の板宿を中心とする旧市街地、北部の妙法寺や名谷を中心とする新興市街地など様々な街の景色を持つ。 平安時代末期に起きた一ノ谷の戦いの舞台でもある。また、須磨海岸は古来より白砂青松の美しい砂浜を持つ海岸として有名で、近年は京阪神地域随一の海水浴場でもある。ここに別荘を持っていた。

ステンショ;ステーション(station)の訛。鉄道の駅。停車場。
大阪駅、明治7年(1874)東海道線 神戸-大阪間が開通。明治10年(1877) 大阪-京都間が遅れて開通。

 初代大阪駅舎

身上(しんしょ);財産。身代。しんしょう。身上持ちと言えば、資産家。かねもち。



                                                            2017年6月記

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