落語「笑い茸」の舞台を行く 立川談志の噺、「笑い茸」(わらいだけ)より
■この噺は、古典落語の演目のひとつで、初代三遊亭圓朝の作とされます。
立川談志はこの噺の続きとして、正反対の「胡椒の悔やみ」を演じています。
■日本の古典芸能である狂言に「茸」があるくらいだから、きっと落語にもあるのではないかと思っていたところ、本当に存在し た。とはいっても CD の録音で、立川談志演じる『笑い茸』。 平 成11年1月12日、国立劇場演芸場
『談志ひとり会』で演じられたものの生録、いわばライブの CD である。それゆえ、少々聞きにくいところもあるが、臨場感がある。うれしかったのは『笑い茸』を演ってくれたことだ。二代目三遊亭金馬、お爺さんの五代目三升家小勝の速記が残っているので、『笑い茸』という噺があることは知っていた。しかし演り手が絶えてしまったため、中学生の頃から寄席に通いはじめたにもかかわらず、一度も聞いたことがなく「もう聞けないだろう」とあきらめかけていたからである。ここに収めた音がそれで、六十二歳になってはじめて聞いた『笑い茸』だ。
■オオワライタケ;傘の径は5~15cm、柄は5~15cm、太さは6~30mmほどで、傘は半球形ないしはまんじゅう形から平らに開き、黄金色ないしは黄色、褐色、褐色系黄色であり、ひだは黄色から後に錆色となる。肉は淡黄色で繊維質。柄の上部にはつばがある。秋にシイ、コナラなどの枯れ木に密生するように生える。
日本のみならず全世界に広く自生する。8~11月、広葉樹、まれに針葉樹に発生。木の生死は関係ない。やや稀に傘径20cm以上の巨大な物が発見されることがあり、ニュースなどで取り上げられることもある。
■ワライタケ;傘径2~4cm、柄の長さ5~10cm。春~秋、牧草地、芝生、牛馬の糞などに発生。しばしば亀甲状にひび割れる。長らくヒカゲタケ (Panaeolus sphinctrinus) やサイギョウガサ(Panaeolus retirugis)、P.campanulatusと区別されてきたが、これら4種は生息環境が違うことによって見た目が変わるだけで最近では同種と考えられている。
6月から10月の本州に発生し、北海道、沖縄の庭の菜園でも観測されている。
■仏頂(ぶっちょう);[名]仏の頭の頂。肉髻 (にくけい) をさす。一字金輪王,一字頂輪王,金輪仏頂王などともいう。仏頂部の中で最もすぐれた仏頂(如来)を意味する。
[名・形動]無愛想なこと。また、そのさま。
「誰が来てもああいう―な顔をしているのだから」〈紅葉・二人女房〉
■シシ学;朱子学。朱子学(しゅしがく)とは、南宋の朱熹(右図)によって再構築された儒教の新しい学問体系。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤と合わせて程朱学(程朱理学)・程朱学派と呼ばれ、宋明理学に属す。当時は、程頤ら聖人の道を標榜する学派から派生した学の一つとして道学(Daoism)とも呼ばれた。
陸王心学と合わせて人間や物に先天的に存在するという理に依拠して学説が作られているため理学(宋明理学)と呼ばれ、また、清代、漢唐訓詁学に依拠する漢学(考証学)からは宋学と呼ばれた。
江戸時代に入り林羅山によって「上下定分の理」やその名分論が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされた。全国で教えられた朱子学は、武士や町人に広く浸透したが、儒学者や思想家の中には朱子学批判を行うものも現れた。荻生徂徠、貝原益軒、中江藤樹、本居宣長、平田篤胤などがそれである。大坂の町人学問所懐徳堂では、中井竹山や中井履軒などの朱子学者の他、富永仲基や山片蟠桃の朱子学批判者(合理主義者)を生み出した。 松平定信は、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を発している。だが皮肉なことに、この朱子学の台頭によって天皇を中心とした国づくりをするべきという尊王論と尊王運動が起こり、後の倒幕運動と明治維新へ繋がっていくのである。ただし、幕末・維新期の尊皇派の主要人物である西郷隆盛や吉田松陰は、ともに朱子学ではなく陽明学に近い人物であり、佐幕派の中核であった会津藩、桑名藩はそれぞれ保科正之、松平定信の流れであり朱子学を尊重していた。
■シシてんさくの五;正確には、二一天作の五(にいちてんさくのご)。旧式珠算での割算の九九の一つ。10を2で割るとき、一〇の位の一の珠 (たま) をはらい、桁 (けた) の上の珠を一つおろして五とおくこと。
■寄席(よせ);日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋。
上写真、上野・鈴本演芸場。
■笑う門には福来る(わらうかどには ふくきたる);いつも笑い声が溢れる家には、自然に幸運が訪れる。明るく朗らかにいれば幸せがやってくるという意味。
また、悲しいこと・苦しいことがあっても、希望を失わずにいれば幸せがやって来るということ。
「門」は、家・家族の意。
『上方(京都)いろはかるた』の一つ。
「笑う門に福来る」「笑う所へ福来る」とも。 笑門来福。
■お血脈(おけちみゃく);古典落語の演目の一つ。同演題では東京で広く演じられる。 演者の地の語りを中心に進める「地噺(じばなし)」のひとつ。ストーリー自体は比較的短いため、演者によって独自のクスグリを入れるなどして口演時間を様々に調整する。主な演者に十代目桂文治が知られる。
■石川五右衛門(いしかわごえもん);(生年不詳
- 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代の盗賊。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺された。
従来その実在が疑問視されていたが、近年発見されたイエズス会の宣教師の日記などを史料として、同名の人物の実在が確定した。
■金は天下の回り物(かねはてんかのまわりもの);金は一箇所にとどまるものではなく、常に人から人へ回っているものだから、今はお金が無い人の所にもいつかは回ってくるという励まし。また、金がない者に対し、今貧しいからといって悲観するな、まじめに働いていればいつか自分のところにも回ってくるだろうという励ましの意味を込めて使う。
「金は天下の回り持ち」「金は世界の回り物」「金は世界の回り持ち」ともいう。
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