落語「笑い茸」の舞台を行く
   

 

 立川談志の噺、「笑い茸」(わらいだけ)より


 

 「おい、表を見な。仏頂さんが通るよ」、「仏頂面で笑ったことが無いんだって」、「家に帰ればかみさんと笑うんじゃ無いの」、「でも、かみさんも笑ったと、聞いたこと無いな」、「偉い先生は笑わないのかナ」、「難しいシシ学とかやっていると笑わなくなるのかナ」、「シシ学って何だ?」、「シシてんさくの五とか言うだろ。そんな難しいことやってるというよ」、「そんな話を聞くと我々は笑っちゃうよな」。

 「ごめん下さいませ」、「オッ、いけね~。仏頂さんの奥さんが来ちゃったよ」、「お買い物ですか?」、「いえ、今、仏頂のこと言ってましたわよね~」、「いえ、悪口でなく四十五年笑わないって・・・」、「そうなんです。で、どうしたら笑えるのでしょう?」、「どうやったら笑えると言われても・・・ね~。そこに寄席が有りますから、そこに行けば笑えますよ」、「そこに行けば何が可笑しいか分かりますよ」。

 「あなた、話を聞いて下さい。私寄席に行ってきました。私と一緒に行ってくれませんか。私貴方の笑ったところ見たことが無いんです」、「そうでしょう。笑ったことが無いんですから」、「笑うことが嫌なんですか?」、「笑う必要が無いんです。でも、貴方が寄席に行くというので有れば、私も行きましょう~」。
 「いらっしゃい」、「入場料を払って・・・」、「落語家さんが出て来ましたよ」、「矛盾したことを言ってるばかりですよ」、「あれがシャレで面白いでしょ」、「何が・・・」、「・・・うッ。出ましょうッ」。

 「先日のお話しで、寄席に行ったのですがダメでした。他に何か有りませんか?」、「無いな~。おッ、笑い茸はどうだッ」、「何処にある」、「あすこの天狗堂に有るよ」、「笑い茸を粉にしたのを飲むと笑うと言いますよ」、「笑い茸ですね」。

 「貴方もう一度お願いが有るんですけれども・・・」、「今度は何処に行きます?」、「いえ、買ってきた薬を飲んで下さい」、「身体も悪くないし風邪も引いていないよ」、「笑う薬です。そう聞いています。私の気が済みますからお願いします」、「はい、はい、分かりました」、「お水が有ります・・・」、「飲みましたが、私は貴方が納得すればと思って飲みましたが、急にどうしたんだね」、「だんだん効いてくると思います」、「世の中は笑えば・・・、フフ、と言うことはどういう事ですか?」、「アレ、あなた、お笑いなすった! 」、「笑った?笑う理由が無いのに・・・」、「今、顔がほころびました」、「ほころんた?ハハハハ、フフフフ・・・ 」、「それごらんなさい、お笑いなすっていますよ」、「笑うだろうと思っているので、笑うようにみえるんだ、フフフフフ、ハハハハハ。妙なところから声を出しているのがわしか?」、「そうです」、「おい、どうも、これは妙だ・・・・、アハハハハハ。人間というものは、奇態なものだナ、今まで、わしが笑ったことがない。バカな話で、フフフフフ、ハハハハハ、ハハハハハ・・・」、どうにも止まらなく成っちゃいました。

 2、3日したら、「貴方お薬です」、「そうかな~薬か~」、1週間、1ヶ月、2ヶ月もやっていると、薬を飲まなくても笑えるように成ってきました。「貴方ご飯です」、「ご飯かッ、ギャハハハ。ご飯だフフフフハハハ」、気持ち悪いが、笑い声が絶えなくなってくる。”笑う門には福来る”・・・とはよく言ったもので、金が自然とドンドン集まってくる。
 他のところでは不景気だと、それが天国まで聞こえていくようになった。天国では地上の様子を調べるために、お血脈以来天国に来ていた石川五右衛門を使わした。
 「笑う門には福来たるで、笑い声が絶えないところに金が集まっています」、「多いに笑えッ」、”金は天下の回り物”と言ってじっとしているのがやになった。金に羽が生えたように、天国にゾロゾロ上がって行くから、仏頂さん慌てて止めに入った。
 「上の方で笑い声が聞こえますから、あちらに参ります」、「それには及ばん、あれはみんな、ソラ笑いだッ」。

 



ことば

■この噺は、古典落語の演目のひとつで、初代三遊亭圓朝の作とされます。 立川談志はこの噺の続きとして、正反対の「胡椒の悔やみ」を演じています。

■日本の古典芸能である狂言に「茸」があるくらいだから、きっと落語にもあるのではないかと思っていたところ、本当に存在し た。とはいっても CD の録音で、立川談志演じる『笑い茸』。 平 成11年1月12日、国立劇場演芸場 『談志ひとり会』で演じられたものの生録、いわばライブの CD である。それゆえ、少々聞きにくいところもあるが、臨場感がある。うれしかったのは『笑い茸』を演ってくれたことだ。二代目三遊亭金馬、お爺さんの五代目三升家小勝の速記が残っているので、『笑い茸』という噺があることは知っていた。しかし演り手が絶えてしまったため、中学生の頃から寄席に通いはじめたにもかかわらず、一度も聞いたことがなく「もう聞けないだろう」とあきらめかけていたからである。ここに収めた音がそれで、六十二歳になってはじめて聞いた『笑い茸』だ。
 (川戸貞吉・ジャケット解説より抜粋)

オオワライタケ;傘の径は5~15cm、柄は5~15cm、太さは6~30mmほどで、傘は半球形ないしはまんじゅう形から平らに開き、黄金色ないしは黄色、褐色、褐色系黄色であり、ひだは黄色から後に錆色となる。肉は淡黄色で繊維質。柄の上部にはつばがある。秋にシイ、コナラなどの枯れ木に密生するように生える。 日本のみならず全世界に広く自生する。8~11月、広葉樹、まれに針葉樹に発生。木の生死は関係ない。やや稀に傘径20cm以上の巨大な物が発見されることがあり、ニュースなどで取り上げられることもある。
 全体的に黄色みがかった褐色でおいしそうに見えるが、肉は汗臭いような不快な臭気を持ち、味は強烈に苦い。食用のコガネタケ(英語版) (Phaeolepiota aurea) と間違えられる事があるが、コガネタケは苦くなく地上に生えることから区別できる。
 強い苦味があるが、歯切れはよく、大型なので食用の価値がある。オオワライタケは、フランスでは市販されオリーブ油に漬けて食用にする。東北でもオオワライタケを食べていることがあり、煮こぼして塩漬けし2、3ヵ月保存すれば毒が緩和されるので食べ物の少ない冬に備えた。
 1982年、1984年の報告で、苦味成分としてのジムノピリン (Gymnopilin)、その他関連成分のジムノピリンAとBなどと命名したものが検出された。苦味成分ジムノピリンに中枢神経作用があるとの基礎研究があり、1980年代には幻覚誘発の原因ではないかと考えられた。

ワライタケ;傘径2~4cm、柄の長さ5~10cm。春~秋、牧草地、芝生、牛馬の糞などに発生。しばしば亀甲状にひび割れる。長らくヒカゲタケ (Panaeolus sphinctrinus) やサイギョウガサ(Panaeolus retirugis)、P.campanulatusと区別されてきたが、これら4種は生息環境が違うことによって見た目が変わるだけで最近では同種と考えられている。 6月から10月の本州に発生し、北海道、沖縄の庭の菜園でも観測されている。
 1917年(大正6年)の石川県における玉田十太郎とその妻が、栗の木の下で採取したキノコを汁に入れて食べたところ、妻が裸で踊るやら、三味線を弾きだしたやらということであり、 Panaeolus papilionaceus だと同定しワライタケと命名した。
 1本食べた11歳と12歳の児童ではしびれ笑い出し数時間でおさまり、15本から20本食べた成人では、しびれて笑い出し呼吸を忘れるくらい(呼吸停止)になり、幻覚としては光る物体、幾何学模様などを見て、魚に食べられたり、湾岸戦争に参加したりもし、12時間持続した。
 麻薬及び向精神薬取締法において麻薬原料植物として指定されており、売買はもちろん故意の採取や所持も法律で規制されている。

仏頂(ぶっちょう);[名]仏の頭の頂。肉髻 (にくけい) をさす。一字金輪王,一字頂輪王,金輪仏頂王などともいう。仏頂部の中で最もすぐれた仏頂(如来)を意味する。
  仏頂、仏様の頭の天辺あたり、マゲのように肉が盛り上がっている所を仏頂と言います。仏様の三十二相のひとつに数えられる吉相です。肉髻相(にっけいそう)とか無見頂相(むけんちょうそう)と呼ばれます。 肉髻も仏頂も烏瑟膩沙うしつにしゃの訳です。烏瑟膩沙はサンスクリット語の音写で、一般的にはターバンや冠をさします。  無見頂相は、仏様の頭の上は普通の人には見ることができない、と言う意味です。

 [名・形動]無愛想なこと。また、そのさま。 「誰が来てもああいう―な顔をしているのだから」〈紅葉・二人女房〉
 仏頂面=《仏頂尊の恐ろしい面相にたとえたもの。また、一説に「不承面 (ふしょうづら) 」の転とも》不機嫌にふくれた顔つき。不平らしい顔つき。仏頂顔。「仏頂面をする」。
 仏頂尊の恐ろしい顔に例えられたもの、とする説明もありますが、仏頂尊はおおむね如来ですから、恐ろしい顔はまずありません。ただ異国情緒豊かな仏像になると、多少怖く見えるかも知れません。 真剣に考えている時、宿った仏様が仏頂尊ですから、仏頂面は無愛想な顔、と言うことでしょう。日常生活でも考え事をしていて無愛想なのと、不機嫌なのとは見分けがつきにくく、困ることがあります。 考え事をしていたのに、不機嫌なように思われたら・・・日頃の行いが大切ですね。 仏頂面は、広大無辺の功徳から生まれた仏様の顔で、智恵に優れ、威厳に満ちた顔です。

シシ学朱子学。朱子学(しゅしがく)とは、南宋の朱熹(右図)によって再構築された儒教の新しい学問体系。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤と合わせて程朱学(程朱理学)・程朱学派と呼ばれ、宋明理学に属す。当時は、程頤ら聖人の道を標榜する学派から派生した学の一つとして道学(Daoism)とも呼ばれた。 陸王心学と合わせて人間や物に先天的に存在するという理に依拠して学説が作られているため理学(宋明理学)と呼ばれ、また、清代、漢唐訓詁学に依拠する漢学(考証学)からは宋学と呼ばれた。

 江戸時代に入り林羅山によって「上下定分の理」やその名分論が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされた。全国で教えられた朱子学は、武士や町人に広く浸透したが、儒学者や思想家の中には朱子学批判を行うものも現れた。荻生徂徠、貝原益軒、中江藤樹、本居宣長、平田篤胤などがそれである。大坂の町人学問所懐徳堂では、中井竹山や中井履軒などの朱子学者の他、富永仲基や山片蟠桃の朱子学批判者(合理主義者)を生み出した。 松平定信は、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を発している。だが皮肉なことに、この朱子学の台頭によって天皇を中心とした国づくりをするべきという尊王論と尊王運動が起こり、後の倒幕運動と明治維新へ繋がっていくのである。ただし、幕末・維新期の尊皇派の主要人物である西郷隆盛や吉田松陰は、ともに朱子学ではなく陽明学に近い人物であり、佐幕派の中核であった会津藩、桑名藩はそれぞれ保科正之、松平定信の流れであり朱子学を尊重していた。  

シシてんさくの五;正確には、二一天作の五(にいちてんさくのご)。旧式珠算での割算の九九の一つ。10を2で割るとき、一〇の位の一の珠 (たま) をはらい、桁 (けた) の上の珠を一つおろして五とおくこと。
 昔の中国では、わり算をするときに、わり声(わり算九九)を工夫して計算しました。わが国でも、そのわり声を輸入し、昭和10年代まで大いに使われていました。 わり声は、1けたの数でわる際の「商と余り」を歌にし、かけ算九九と同じように覚えたものです。 二一天作五は「2で10をわると、答えは5」を意味します。 「3で10をわると、"三一三十一(さんいちさんじゅうのいち)"。これは、答えが3で余りが1」ということです。

寄席(よせ);日本の都市において講談・落語・浪曲・萬歳(から漫才)・過去に於いての義太夫(特に女義太夫)、などの技芸(演芸)を観客に見せる興行小屋。

 上写真、上野・鈴本演芸場。

笑う門には福来る(わらうかどには ふくきたる);いつも笑い声が溢れる家には、自然に幸運が訪れる。明るく朗らかにいれば幸せがやってくるという意味。 また、悲しいこと・苦しいことがあっても、希望を失わずにいれば幸せがやって来るということ。 「門」は、家・家族の意。 『上方(京都)いろはかるた』の一つ。 「笑う門に福来る」「笑う所へ福来る」とも。 笑門来福。

お血脈(おけちみゃく);古典落語の演目の一つ。同演題では東京で広く演じられる。 演者の地の語りを中心に進める「地噺(じばなし)」のひとつ。ストーリー自体は比較的短いため、演者によって独自のクスグリを入れるなどして口演時間を様々に調整する。主な演者に十代目桂文治が知られる。
 落語「お血脈」を参照。

石川五右衛門(いしかわごえもん);(生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代の盗賊。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺された。 従来その実在が疑問視されていたが、近年発見されたイエズス会の宣教師の日記などを史料として、同名の人物の実在が確定した。
 五右衛門は地獄にいるはずが、この落語によって、天国に往生できるというお血脈の御印を盗み出すことに成功、つい、見得を切って額に御印を当てたことにより天国にいるのです。正確には天国では無く極楽です。
 右、浮世絵;市川小団次、演ずる「石川五右衛門」 国明画。

金は天下の回り物(かねはてんかのまわりもの);金は一箇所にとどまるものではなく、常に人から人へ回っているものだから、今はお金が無い人の所にもいつかは回ってくるという励まし。また、金がない者に対し、今貧しいからといって悲観するな、まじめに働いていればいつか自分のところにも回ってくるだろうという励ましの意味を込めて使う。 「金は天下の回り持ち」「金は世界の回り物」「金は世界の回り持ち」ともいう。



                                                            2020年10月記

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