落語「松医者」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「松医者」(まついしゃ)より


 

 植木屋が出てくる落語といぅのは「植木屋娘」といぅのがございますが、それ以外あんまりないんですが、小咄、短い噺にはチョイチョイ植木やら盆栽やらを扱こぉた噺もございます。

 「おい植木屋。お前とこ、どんな花でもあるか」、「どんな花でも木ぃでもおまっせ」、「ほな、もの言ぅ花ちゅうのはあるかい」、「なぶりに来やがったな、こいつ・・・。へぇ、おます。うちのな、花でも木ぃでもみなもの言ぃまっさかい。なんやったら、名前なと尋んねてみなはれ、返事しよるさかい」、「へぇ~ッ・・・、お前なんちゅう名前や」、「サクラ」。「おい、もの言ぅたで、これ。えらいことがあるなぁ・・・、お前は」、「ウメ」。「不思議なことがあるもんやなぁ・・・、お前は」、「ボタン」。「お前は」、「サツキ」。「へぇ~ッ・・・、お前は」、「・・・」、「お前は?」、「・・・」、「おい植木屋、こいつもの言えへんがな」、「あぁ、そら『クチナシ』や」。
 これだけの噺でございますがな。こんなしょ~もない噺といぅのがあるんですなぁ。

  「おい、どないしてん」、「いや、ちょっとうちの出入先の隠居が機嫌が悪ぅてなぁ」。
 隠居が大事に大事にしてた盆栽の松が枯れかけている。どの植木屋に見せても寿命だと手を出さない。隠居は自分の寿命が終わるのではないかと心配している。そこに友人が現れ、その松の盆栽を治すという。見込みがありゃこそ言ぅとりまんねん。ほんならこれをしばらくお預かりしまっせ。確かに・・・

 「喜ぃさん、喜ぃさん、ホンマにこれ治んのんかいな」、「そんなもんが治るわけがないやないか」、「あっさり言ぅなぁおい・・・、お前そんなこと言ぅてこれ枯らしてもたら、わしゃどぉなんねん? 出入先しくじるがな」、「大丈夫やて。どぉせあそこらの家へ出入りしてる植木屋や、そぉらえぇ植木屋に違いないがな。それが見て、『これはあかん』ちゅうたもんが、タダで治るわけがない」、「ほな、お前あんな請合ぉて大丈夫?」、「大丈夫やて・・・、あのな、盆栽の松てなものはこれ、おんなじよぉな格好してんねや、みなな。で、これを植木屋へズ~ッと見せ回ってな、これとなるべく似た松をザッと探し回んねん、入れ替えんねん」、「向こぉは大事に大事にしてる秘蔵の松やで、そんなもんいっぺんに分かる」、「分からへん分からへん。そらまぁ、今すり替えて持ってったら分かるわいな。これお前、二十日ほど置いててみぃな、そんなもん忘れてまうわ」、「大丈夫かいな・・・」、「大丈夫、だいじょ~ぶ、銭儲け、銭儲け。儲かったらお前にも分ぅ回すやないかい」。

 えらい男があるもんでな、これからその枯れかけてる盆栽の松を、ズ~ッとありとあらゆる植木屋に見せ回りまして、「似たやつがあったら探してくれ、似たやつがあったら探してくれ。金に糸目は付けん」と言ぅて探し回ったら、やっぱりあるもんでございましてな、ほぼ似たよぉなやつがあった。
 「これなら誤魔化せるやろぉ」といぅので、ちゃんとおんなじよぉに葉刈りをいたしまして、枝なんかもおんなじよぉな格好に。二十日余り日を置きまして、もぉ向こぉの前の面影がだいぶ薄れてるやろぉといぅ計算に入れて。

 「えらいお待たせをいたしました、え~、元気になりましたんで持ってまいりました」、「元気になりましたかいな」、「大和のなぁ、もぉそこへ行くと空気も良ければ土もえぇんで、こない元気になりました」、「ホンにまぁ、青々と元気になったなぁ」、「いかがなもんでございます」、「おぉ、こらありがたい。いやぁ、そぉいぅ病院があるとは知らなんだなぁ・・・、かなり高こついたやろなぁ」、「えぇ、ちょっと高こつきましてな、まことに申しにくいんでおますけど、三百円ほど頂戴いたします」、「三百円とは、ちと法外な」、「でもな、これ手に手を尽くしまして、ずいぶん高いえぇお薬をずいぶんと使いましたんで、それぐらいになりましたんで。入院代やらいろいろとかさんどりますのでな」、「そぉかえ喜ぃさん・・・、ん~ん、なるほど元気にはなったが・・・、おまはん、あんまり高いえぇきつい薬を使い過ぎたんと違うか」、「何ででおまんねん?」、「木が、違ぉてしもたがな」。

 



ことば

植木屋娘;落語「植木屋娘」(うえきやむすめ)、桂米朝の噺でここに有ります

なぶりに;もてあそぶ。おもちゃにする。からかう。

サクラ(桜);サクラはヨーロッパ・西シベリア、日本、中国、米国・カナダなど、主に北半球の温帯に広範囲に自生しているが、歴史的に日本文化に馴染みの深い植物であり、その変異しやすい特質から特に日本で花見目的に多くの栽培品種が作出されてきた。このうち観賞用として最も多く植えられているのがソメイヨシノである。鑑賞用としてカンザンなど日本由来の多くの栽培品種が世界各国に寄贈されて各地に根付いており、英語では桜の花のことを「Cherry blossom」と呼ぶのが一般的であるが、日本文化の影響から「Sakura」と呼ばれることも多くなってきている。 サクラの果実はサクランボまたはチェリーと呼ばれ、世界中で広く食用とされる。サクラ全般の花言葉は「精神の美」「優美な女性」、西洋では「優れた教育」も追加される。桜では開花のみならず、散って桜吹雪が舞う雅な様を日本人の精神に現した。 国の天然記念物に指定されているサクラは、沖縄県から東北地方まで25都府県に39件指定されている。

  

ウメ(梅);中国原産の落葉小高木。日本でもよく知られる果樹や花木で、多数の園芸品種がある。早春、葉に先だって前年枝の葉腋に、1 - 3個の花がつく。毎年1 - 3月ごろに、5枚の花弁のある1cmから3cmほどの花を葉に先立って咲かせる。花の色は白、淡紅、紅色など。花柄は短い。葉は互生で先が尖った卵形で、周囲が鋸歯状。 果実は6 - 7月頃に結実し、形は丸く、片側に浅い溝があり、細かい毛が密生する。果実の中には硬い核が1個あり、中果皮で、表面にくぼみが多い。未熟果に青酸を含むため、生で食べると中毒を起こすと言われている。青ウメの果実は燻製にして漢方で烏梅(うばい)と称して薬用されるほか、民間で梅肉エキス、梅干し、梅酒に果実を用いる。可食部である果肉部分は、子房の壁が膨らんだもので、構成する細胞の遺伝子は母となる雌由来である。中にある種子は、半分は花粉由来なので、種子から発芽した株は母株と同じ性質になるとは限らない。しかし、果肉については母由来のため、雄親である花粉が様々異なっても、同じものができる。

  

ボタン(牡丹);原産地は中国西北部。花を観賞するために栽培されている。落葉の低木で、幹は直立して枝分かれする。葉は1回3出羽状分裂し、小葉は卵形から披針形をしており、葉先は2-3裂するか全縁である。初夏(5月ごろ)に本年枝の上端に、大型の花を1個つける。 元は薬用として利用されていたが、盛唐期以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。たとえば、『松窓雑録』によれば、玄宗の頃に初めて牡丹が愛でられるようになったものの、当時は「木芍薬」と呼ばれていたと記載される。また、隋の煬帝や初唐の則天武后が牡丹を愛でたという故事がある。

  

サツキ(皐月);ツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)、映山紅(えいさんこう)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5~6月頃、つまり旧暦の5月 (皐月) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われている。ほかのツツジ類と比べて花形や樹形についてはほとんど相違がないが、開花期が異なるために園芸的に区別されている。

  

クチナシ(梔子、巵子、支子);和名クチナシの語源には諸説ある。果実が熟しても裂開しないため、口がない実の意味から「口無し」という説。また、上部に残る萼を口(クチ)、細かい種子のある果実を梨(ナシ)とし、クチのある梨の意味であるとする説。他にはクチナワナシ(クチナワ=ヘビ、ナシ=果実のなる木)、よってヘビくらいしか食べない果実をつける木という意味からクチナシに変化したという説もある。
 樹高1-3mほどの常緑の低木で株立ちする。葉は対生で、時に三輪生となり、長楕円形で全縁、長さ5cmから12cm、皮質で表面に強いつやがある。葉身には、並行に並ぶ筋状の葉脈が目立つ。筒状の托葉をもつ。枝先の芽は尖っている。 花期は6 - 7月で、葉腋から短い柄を出し、一個ずつ芳香がある花を咲かせる。花の直径は5-8 cmで、開花当初は白色だが、徐々に黄色がかるように変化していく。萼、花冠の基部が筒状で、先は大きく6裂または、5 - 7片に分かれる。花はふつう一重咲きであるが、八重咲きのものもある。

  

盆栽の松(ぼんさいのまつ);<マツ科マツ属の常緑高木の総称。樹皮は赤褐色・黒褐色または灰褐色でひびわれしてはげる。葉は針状、種類によって二本・三本・五本が短枝の上に束生する。雌雄同株。雌雄花ともに花被はなく、雌花は球状に集って新芽の頂につき、雄花序は穂状で新芽の下部に密生する。果実は多数が集って球果をなし松かさと呼ばれる。アカマツ、クロマツ、ハイマツ、チョウセンゴヨウ、ゴヨウマツなど世界中に一〇〇種ぐらいある。日本では神の依(よ)る木として門松などにされ、古くから長寿や慶賀を表わすものとして尊ばれている。盆栽にして楽しむ。材は建築・薪炭用。

  

金に糸目を付けない;惜しみなくいくらでも金を使うことを意味する語。糸目とは、凧の表面に数本付けて、揚がり具合や姿勢を制御するための糸、あるいはその糸を括るために空ける穴のことである。糸目の付いていない凧が制御不能になり、風に任せて飛んでいってしまうことと、出費を抑えないことを掛けた表現である。

誤魔化す(ごまかす);都合の悪いことを隠したり、相手に分からないようにすること。 あるいは、質問などについてまともに答えないで、うやむやにすること。
 ごまかすは、江戸時代から見られる語で、漢字で「誤魔化す」と書くのは当て字。 ごまかすの語源には、二通りの説がある。 ひとつは、祈祷の際に焚く「護摩(ごま)」に、「紛らかす(まぎらかす)」などと同じ接尾語「かす」が付き、ごまかすになったとする説。 この説は、弘法大師の護摩の灰と偽り、ただの灰を売る詐欺がいたため、その詐欺を「護摩の灰」、その行為を「ごまかす」と言ったことからとされる。
  もうひとつは、「胡麻菓子(ごまかし)」を語源とする説。 「胡麻菓子」とは、江戸時代の「胡麻胴乱(ごまどうらん)」という菓子のことで、中が空洞になっているため、見掛け倒しのたとえに用いられたことから、「ごまかす」と言いうようになったというものである。右写真。

大和(やまと);近畿地方の中央やや南寄り、現在の奈良県全体を含む地域の旧名。 古代には奈良盆地内のみを意味し、吉野、宇智(うち)、宇陀(うだ)、東山中(ひがしさんちゅう)は、その後に繰り込まれたが、この地が大和政権発生の本源地であることから、日本全体を意味することばともなっている。

 


                                                            2022年3月記

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