落語「鬼あざみ」の舞台を行く 四代目 桂文紅の噺、「鬼あざみ」(おにあざみ)より
■四代目桂文紅(かつら ぶんこう);(1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、上方落語家。出囃子は『お兼晒し』。本名:奥村 壽賀男(すがお)。
■落語「双蝶々」(ふたつちょうちょう);「鬼あざみ」は、講釈ネタで、上方落語には珍しい人情噺で、オチはありません。前半部の清吉が引き起こす家庭内騒動の件は、東京の六代目三遊亭圓生が演じた長編人情噺『双蝶々』の発端部と同じであり、何らかの関連性が有るのかも・・・。また、中間部の清吉が銭湯に行く場面や、財布を覗き驚き思案する場面は、金馬の「藪入り」にそっくりです。後半部の安兵衛と清吉との会話は、はめものが入り芝居がかった演出がとられている。
なお、清吉が親の元を去ったあと、「このあと、おまさは気に病んで死んでしまいます。三年後、世をはかなんだ安兵衛が橋から身を投げようとしたのを、清吉が助けるという因果となり、清吉は金持ちの家に入り貧しい家には入らず盗んだ金子を与えるという、義賊のようなもので。『武蔵野に はびこるほどの 鬼あざみ 今日の暑さに 枝葉しおるる』という辞世の句を詠んで、30歳を一期として刑場の露と消える、鬼あざみの発端の一席…」と講釈風の説明を入れてこの噺は終わる。しかし、義賊のようなことはありません。
■鬼あざみ清吉(おにあざみ せいきち);鬼坊主 清吉(おにぼうず せいきち、安永5年(1776年) - 文化2年6月27日(1805年7月23日))こと無宿清吉は、江戸時代の実在の盗賊。
牛込生まれ。父は漁師をしていたらしいが家は貧しく、京橋の加治屋という商家に奉公に出される。盗みで捕縛され、入墨を入れられ重敲(じゅうたたき。敲のうち重いもの。ムチ100を加えた)の刑を受けたが非人小屋に入って入墨を消し、日雇いとなった。しかし、入墨を消した罪で再び捕縛され、再度入墨を入れられた上で江戸追放の刑を受けた。しかしそんなものは鬼坊主にとって全く意味がなかったようで、数人の仲間と徒党を組み、路上強盗、引ったくり、武装強盗を連日にわたって繰り返し、懸命の捜査を行う町奉行や火付盗賊改方をあざ笑うかのごとく江戸中を蹂躙(じゅうりん)した。右浮世絵。
墓所、東京都豊島区雑司が谷1丁目23−7 安永5年生まれ 文化2年丑年6月29日没 行年30才。
「すり抜け」(穴や隙間、本来通り抜けられない壁などを通り抜けてしまうこと)の名人で全国各地を股にかけ窃盗を繰り返していた。
江戸時代、お墓には「清吉大明神」ののぼりが立てられご利益にあやかろうと昔は博打打ちが、今では自首するまで運良く捕まらなかった事から、志望校に運良く合格するとのいわれてから受験生が、鼠小僧次郎吉と同じように墓石を削りもって帰るため、墓の上部が欠けています。
■鬼あざみ;1.キク科の多年草。日本特産で、本州の山中に自生。高さ0.5~1m。全体に毛が多い。葉は基部が広く、縁に長いとげがある。6~9月ごろ、粘りけのある紫色の頭状花をつける。
アザミ。向島百花園にて。2022.10.追記。
■継子(ままこ);親子の関係にあって、両親のどちらかと血のつながりを持たない子。配偶者の子で、自分の実子でないもの。ままこ。
■継母(ままはは);
血のつながっていない母。父の後添いの妻。けいぼ。父の妻で、実母や養母ではない者。父の後妻。
夫の先妻の子と後妻、あるいは、妻の先夫の子と後夫との関係を継親(母または父)子関係という。明治民法の下では、継親子が同じ家に属していた場合には、その間に当然法律上の親子関係を認めていた。もともと家族制度に基づくものであり、1948年(昭和23)の民法改正によりこの取扱いは廃止され、現在では単なる姻族1親等の関係にとどまっている。したがって、継子は継親の親権に服さず、相続権もない。ただ直系姻族の関係にあるため婚姻することはできず(民法735条)、特別の事情がある場合には扶養の義務を負う(同法877条2項)。継親(ことに継父)が継子(妻の連れ子)を養子とする例も増えており、そうすれば、継子は継親の親族との間にも親族関係を有することとなる。明治民法下の嫡母庶子関係も、一種の継母子関係であった。
■家主(やぬし);近世、地主や貸家の持ち主の代わりに、貸家の世話や取り締まりをする者。やぬし。大家。差配(さはい)。
長屋は「地主」の所有物で、「大家」は地主から長屋の管理や賃料の徴収を委託され、地主から給料をもらっていた。「家主」や「家守(やもり)」とも呼ばれていたが、家守が一番仕事の内容に近いだろう。
大家の余録として、長屋から出る人糞(糞尿)やゴミです。 長屋の便所に貯まる糞尿は江戸近郊から百姓たちがわざわざ肥料として買いに来るのです。 ゴミもそうです。売上金は暮れの店子に配る餅代にその一部を当てました。
■小口(こぐち);小さな入口のこと。路地の小口。戸口ではないかとの説もある。
■こかされた;倒された。転ばされた。
■出商売(でしょうばい);であきない。出歩いて商売すること。行商。
■信楽餅屋(しがらき もちや);しがらき餅とも信楽餅ともいいます。コレ、関西で夏に見かけるお菓子です。
道明寺粉(もち米を乾飯にして砕いたもの)を筒状の袋にいれて茹でて、茹で上がったものを冷やしてから輪切りにして食べる。
お味は、まあ、ちょっと食感の違う餅にきな粉をかけて食べたような味。夏場の暑い時には美味しい、夏場に冷たいものにきな粉をかけて食べるって事で「わらび餅」の食感違い、形状違いって感じです。昔は、水桶から取り出して糸で切って売ってました。
■嬶罰(かかばち);大切な奥様を大事にしないと奥様のバチが当たる。天の怒り地の祟り、親罰、子罰、嬶罰のと、四方八方からの威し文句の宣伝ビラが昔から到る処ふり撒かれておりますが、近頃の人間は頓と相手にしなくなりました。(鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著))。
■風呂屋(ふろや);江戸では湯屋と言いました。大坂の西沢一鳳の記録『皇都午睡』によると、
湯屋の洗い場。鍬形蕙斎(けいさい)画「近世職人尽絵詞」 東京国立博物館蔵。 正面奥が石榴口(ざくろぐち)。右手が上がり際に浴びる浄湯(おかゆ)。爪を切る男や軽石でかかとをこする男が描かれています。
入浴料は、寛永年間(1624-44)から明和年間(1764-72)の末まで、大人6文・小人4文。寛政6年(1794)から、大人10文・小人6文。天保年間(1830-44)になって、大人10文・小人8文であった。
■勘当(かんどう);近世以降には親や上位者が下位者の縁を切るという意味で用いられた。類義語の久離は、親族一同との関係の断絶を言い渡す場合に用いられる。なお、江戸時代の勘当は、本来、奉行所に届け出て公式に親子関係を断つものだが、公にせず懲戒的な意味を持つ内証勘当も行われた。
■戎橋(えびすばし);大阪市中央区の道頓堀川に架かる心斎橋筋・戎橋筋の橋。江戸時代にはこのルートから西成郡難波村・今宮村を通って今宮戎神社に向かったとされるので、「戎橋」の名前の由来(別説有り)になった。
戎橋夜景
今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10にある神社。大阪七福神の恵比寿を祀る。商売繁盛の神様「えべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。地元では単に「戎神社」と言えば当社の事を指す。
■一期(いちご);1 生まれてから死ぬまで。一生。一生涯。
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