落語「夜店風景」の舞台を行く
   

 

 三遊亭円生の噺、「夜店風景」(よみせふうけい)


 

 昔あって当節無くなったのが縁日の露店で御座います。

 よく売っていたのがエンドウ豆を炒ったものとか、トウモロコシとか、秋には丹波の栗などアセチレンの灯りの下で売っていました。
 大体あすこに店を出すのも香具師(やし)と言いますが、仲間内では香具師(こうぐし)と言うそうですが、世間ではテキ屋と言います。

 見世物もいかがわしい物もあって、「河童(カッパ)」を観たことがあります。水槽の中に河童がいるというのですが、水が濁っていて良く分からないが、時々水面近くにブクブクっと浮いてきてまた潜ってしまう。聞いてみたら、大きな瓢箪(ひょうたん)のお尻に毛を付けて水に沈めておき、時々紐を引っ張って、らしく見せるそうです。見物人は「河童を見たよなぁ~」と言って帰って行きます。

 大がかりな物には「お化け屋敷」がありました。化け物屋敷と言って入場料が一番高かった。入るお客さんは、大概若い二人ですね。入りたがるのは男性で、「どうだい入ろうか」、「やだわ、恐いわ」、「恐かないよ。こしらえもんだから・・・」、高い金を2人分払って入りますね。これは女の子にかじり付いて欲しいのです。驚かなかった方は、料金を返すと言うので、タダでかじり付かせることが出来るので、皆入るのです。暗い中にこしらえ物のお化けや幽霊がいますが、安心していると人が混じっていて脅かすのです。「ワァ~」なんて声を出すと木戸銭は返してくれません。
 女の子が怖がって、かじり付いて離れないと、人間のお化けが焼きもちを焼いて「いい加減に離れろょ」。中には度胸が良い人がいます。立っているところがヌルヌルするので、見るとヘビが沢山います。これも声を出すと、返してくれません。
 土橋が有って、その下から毛むくじゃらの手が出て、渡っている男の股ぐらを、グッとつかむ。これも驚きますね。これでも驚かないと、襟首に冷たい水を垂らす。これもビックリしますね。それでも驚かないと、暗いとこに来て後ろから急に殴ったりして・・・、こうなると暴力屋敷ですね。相手はどんな事があっても返さない、の一念ですから。

 見世物の一番難しいのは、呼び込みですね。上手いと客が入る。金馬が風邪を引いたような声で客引きをします。「カエル娘だよ。狩人の親の因果が子に報い、手いの指が3本だよ。見るは法楽見られるは因果。二度と見られないよ。さぁ~、お入り、お入り」。

 中にはヘンなのがあって、「世にも不思議なもので、アラスカ沖で捕れたベナだよ。さぁ~、見ておいで・・・」、「何だろうね、ベナって・・・?」、「けものかね?」、「けものじゃないだろう、魚だろう」、「ま、見ようか」。中に入ってみると、鍋が伏せてあって、近くに立っている人が時々竹の棒で叩く。「ベナ(コン)、・・・ベナ(コン)」、鍋が伏せてあるから、ナベでなくベナ。「え!これで銭取るのか」。

 「さぁ~、今評判の、大ザル、小ザルだよ」、入ると、大きなザルと、小さなザルが置いてある。決してサル(猿)とは言いませんね。

 「さぁ~見ておいで、6尺の大イタチ、山から捕れたばかり、近くによると危ないよ。さぁ~、離れて見ておくれ」、中に入ると、板が立てかけてあるだけ。「何処に有るんだよ。大イタチ」、「目の前にある」、「板じゃないか」、「真ん中に血があって、6尺の板で大イタチ(大板血)だ」、「山から捕れたばかりだと言った」、「板は河や海から採れない、みんな山からだ」、「そばによると危ないと言った・・・」、「倒れると危ない」。バカにされているようです。
 夜店風景で御座います。

 



ことば

■この噺は続きがあって、この夜店風景の後に「ガマの脂」が続きます。その「ガマの脂」も円生でご覧下さい。
続きというより、この噺が「ガマの脂」のマクラになっています。

香具師(やし);縁日・祭礼などの人出の多い所で見世物などを興行し、また粗製の商品などを売ることを業とする者。てきや。映画「柴又の寅さん」は、全国を回る香具師でした。

テキ屋;三つに分かれていて、珍物(ちんぶつ)、鳴り物、おっぴらき、が有ります。珍物は、「三ツ目小僧」、「ろくろ首」や、「ヘビ娘」「カエル娘」と言う、因果物を言います。鳴り物は、猿に芸をさせる「猿芝居」、和風手品、水芸の「太神楽」など、鳴り物を使う物をいいます。おっぴらきは大道に品物を並べて売ると言います、「易者」もこの仲間に入っているようです。(円生談)

 これらも、お客さんが見飽きると、興行主は次の出し物が欲しくなります。そこで一つ目小僧がいるという北に向かって探しに行くと居ました。いましたが・・・。落語「一眼国」をご覧下さい。また、中国の仙人を舞台に立たせると、「鉄拐」でどうなることやら。

縁日(えんにち);(有縁日(ウエンニチ)の意)。 ある神仏の降誕・示現など、特別の縁があるとして祭典・供養を行う日。この日に参詣すると大きな功徳があるとされる。毎月5日を水天宮、25日を天満宮、8日を薬師、18日を観音、28日を不動尊の縁日とする。参詣人めあての露店が出てにぎわう。

 

 「縁日風景」平野勲画 文春デラックス寄席12 より

エンドウ豆を炒ったもの;一般的にエンドウと呼ばれているエンドウ豆。実が若いうちに収穫したものをサヤエンドウ。成長して膨らんだ豆は、グリーンピースとして食べられていることが多い。塩水に浸した青えんどう豆を炒ったもの。青えんどう豆を塩茹でしたものも「塩豆」と呼ぶことがある。
私は大好きなのですが、最近は高くてねぇ~。

右写真。

丹波の栗(たんばのくり);主に丹波・篠山地方で栽培されるクリの品種。オウグリともいう。代表品種は銀寄(ぎんよせ)で、かつては「銀由」、「銀善」とも呼称されるが、現在では「銀寄」に統一された。
 果重は20~25gと大きめで、柔らかく、甘みに優れた特徴を持つ一方、貯蔵性には劣る。 主成分は、炭水化物だが、普通種のクリに比較しブドウ糖、ショ糖を多く含有するため、特に甘みに優れている。ビタミンB1、ビタミンCも多く含み、消化、吸収に優れる特徴をあわせ持つ。近年、こうした特長から健康食品としても人気が高い。
 写真:丹波の大栗。

アセチレン;分子式HC三CH  炭化水素の一。無色の有毒性の気体。光輝の強い炎で燃える。かつては灯用とした。酸素と混じて鉄の切断や溶接に利用。有機合成基礎原料。カーバイドに水を作用させたり、天然ガス・石油を高温で熱分解したりしてつくる。エチン。純粋なものは無臭だが、市販されているものは通常硫黄化合物などの不純物を含むため、特有のにおいを持つ。
 かつては アセチレンランプ(カーバイドランプ)として照明用に使われていた。アセチレンランプは、上部と下部に別れ、上部の水が下部のカルシウムカーバイドに滴り落ちアセチレンが発生するのを利用している。光量の調節が容易なため、高性能の蓄電池や電線が普及するまでは、炭鉱の坑内灯や携帯灯具(カンテラ)、蒸気機関車や自動車の前照灯などにも使われた。
右図:縁日で使われていたカーバイトランプ。現在は絶滅器具種です。その訳は、発電機など電気が簡便に利用できるようになったこと。カーバイトが4~5時間しか使えない500g入り缶で500円しますし、購入先も分かりません。通信販売で買っても送料が掛かり、現実的ではありません。現在有るのは在庫だけで生産されていません。時代は動いているんですね。

見世物(みせもの);演目として珍獣を見せることも行なわれた。珍獣の見世物は江戸時代、寛永年間ころに猪、孔雀を見せたのが最初であると言われている。虎や狼、鶴、オウムなどに曲芸をさせることは、寛文年間ころからあった。
 生類憐れみの令によって一時はこの種の見世物が下火になったが、享保2年に禁が解かれると再び流行した。以後、獏(バク)や鯨、ガラン鳥(ペリカンに似た水鳥)、インコ、雷獣(ライジュウ=想像上の怪物)、駝鳥(ダチョウ)、海豹(アザラシ)、白牛(ハクギュウ=背中にコブが有る白い牛)といった輸入動物の見世物もあった。文政4年の駱駝(ラクダ)の登場は大変な人気を博した。珍獣の展示は浅草の花屋敷で常設化され、今の動物園につながっていく。 天保年間には豹(ヒョウ)、白狸(シロダヌキ)、六足犬(奇形の6本足の犬)、火喰鳥(ヒクイドリ)などの見世物もあった。 この他、大きな板に血糊を付けた物を大イタチ、大きな穴に子供を入れて大穴子と称する駄洒落や、猿、犬、鯉などの遺体を組み合わせて作り上げたものを、鬼や河童、龍、人魚など伝説の生物のミイラとして見せることもしていた。これらは常設化され秘宝館となります。

河童(カッパ);想像上の動物。水陸両生、形は4~5歳の子供のようで、顔は虎に似、くちばしはとがり、身にうろこや甲羅があり、毛髪は少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れる。その水のある間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。河郎。河太郎。かわっぱ。
 また、見世物などの木戸にいて、観客を呼び込む者。

瓢箪(ひょうたん);ウリ科の蔓性一年草。ユウガオの変種とされ、アフリカまたはアジアの熱帯地方原産。南米での栽培が古い。茎は巻ひげによって他物にからみ、葉は心臓形で、掌状に浅裂。7月頃、白色の五弁花を開く。雌雄同株。果実は普通中央部にくびれがあるが、そうでないもの、小形のセンナリビョウタンなど多くの品種がある。
 上記の成熟果実のなかみ(果肉など)を除き去って乾燥して製した器。磨き、漆をかけて仕上げたものなどがある。酒などを入れるほか、水汲み・花入・炭斗(スミトリ)に用いる。ひさご。ふくべ。

お化け屋敷;娯楽施設としてのお化け屋敷は、映像や音響、からくり、役者などを駆使し、利用者に対し幽霊や怪物に対する恐怖を疑似体験させ、楽しませる事を目的とする施設である。遊園地等に常設される例は多い。また、日本では他、祭りに際して屋台等と並んで臨時に設けられる場合も多い。なお、仮設営業されるものは見世物小屋の一形態であり、「薮」と呼ばれた。

見るは法楽;仏法を敬愛し、善を行い、徳を積んで自ら楽しむこと。なぐさみ。たのしみ。

見られるは因果;直接的原因(因)と間接的条件(縁)との組合せによってさまざまの結果(果)を生起すること。特に、善悪の業(ゴウ)によってそれに相当する果報を招くこと。また、その法則性。



                                                            2017年1月記

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