落語「狂歌家主」の舞台を行く 三代目三遊亭金馬の噺、「狂歌家主」(きょうかいえぬし)より
■狂歌(きょうか);社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」
大田 南畝(おおた なんぽ);(寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日(1823年5月16日))は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。
勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。南畝を中心にした狂歌師グループは、山手連(四方側)と称された。
■暮れの支払い;町内での買い物は、一年にお盆と暮れの2回払いが普通であった。お盆の時は半金でも入れとけば、何とか過ごせますが、一年の最後、暮れはそうはいきません。どんな事があっても払って貰おう。どんな事があっても、逃げ延びようという両者の駆け引きが始まります。年が明けてしまったらその年に借金は持ち越しです。「来年は来年はと歳の暮れ」、来年は大丈夫だよと言っていても、やはり大晦日になると苦しくなるものです。決して楽には越せないようです。
暮れのドタバタは落語の世界では常識です。そのドタバタを描いたのが「尻餅」、「にらみ返し」などです。
■味噌こし(みそこし);味噌汁を作るとき、味噌を溶かし込むのに使う使う小さなザルまたは網状のこし器。
■香典(こうでん);(香奠とも表記)とは、仏式等の葬儀で、死者の霊前等に供える金品をいう。香料ともいう。「香」の字が用いられるのは、香・線香の代わりに供えるという意味であり、「奠」とは霊前に供える金品の意味です。通例、香典は、香典袋(不祝儀袋)に入れて葬儀(通夜あるいは告別式)の際に遺族に対して手渡されます。
■千住の先の草加;「ほうき塚、竹の塚、西新井だ」と大家さんは言いますが、日本全国何処を探してもほうき塚駅はありません。金馬の間違いでしょう。東武電車の千住(北千住)の先は、小菅、五反野、梅島、西新井、竹の塚、谷塚、草加、の順に止まりますが、太字は急行も止まります。草加は狂歌に繋がるといいますが、駅名で覚えたら日光・鬼怒川まで行ってしまいます。
■金毘羅様(こんぴらさま)の縁日;十日(とうか)で狂歌に繋がるのには苦しいですね。八日は薬師様、五日は水天宮様、一日はお不動様と並べています。が、広辞苑では、毎月5日を水天宮、8日を薬師、18日を観音、25日を天満宮、28日を不動尊の縁日とする、と解説しています。お不動様の縁日が違っています。お不動様に伺いましたら28日だという返事です。
■長屋の掃き溜め;ちりやごみなどのすてば。ごみため。通常、隣り合わせで長屋の共同トイレが有ります。トイレも色々な言い方があるが”後架”(こうか)は思い出すのに一番ピッタリとしています。
■島台(しまだい);洲浜(スハマ)台の上に、松・竹・梅に尉(ジヨウ)・姥(ウバ)や鶴・亀などの形を配したもの。蓬莱山を模したものという。婚礼・饗応などに飾り物として用いる。古くは島形といい、肴などの食物を盛った。
■搗き米屋(つきごめや);米屋さんには三種類の営業形態がありました。
搗米屋。深川江戸資料館にて
■下谷の長者町(したやの
ちょうじゃまち);台東区長者町。現在、台東区上野3丁目1~12、19.20のJR線路の西側に南北に延びた細長い町。その北側にJR御徒町駅があります。
■上野の鐘(うえののかね);上野動物園の隣にあるフランス料理店「精養軒」となり。その入り口隣に、ちょっと小高くなった上に赤い鐘楼があります。この鐘は寛文6年に鋳造されたが、現在のは二代目で、谷中感応寺(現、天王寺)で鋳造されたもので、今でも朝夕6時と正午の3回昔ながらの音を響かせています。
■店賃(たなちん);家賃
■むべ山風を嵐というがごとし;『吹くからに 秋の草木(くさき)の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ』
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