落語「八五郎坊主」の舞台を行く 二代目桂枝雀の噺、「八五郎坊主」(はちごろうぼうず)より
■漢字の読み方が分からないと、このようにちぐはぐな読みになってしまいます。江戸落語でも「平林」と言う噺が有って、聞く人ごとに違う読み方をします。同類項の噺です。
■下寺町(したでらまち);大阪市天王寺区西部を南北に走る松屋町筋と千日前通の交差点以南約1.3km一帯を指す。交差点も下寺町と名付けられバス停の名ともなっている。通りの東側には寺院が立ち並び、戦災の被害から免れ、古くからの大阪の佇まいを伝えている。上方落語では「天王寺詣り」で喜六と甚兵衛が四天王寺の彼岸会に参詣するとき、下寺町を通り「忙しい下寺町の坊主持ち」という川柳を紹介している。また落語「瘤弁慶」でも寺町を歩いています。
■ずく念寺;下寺町にあるという架空の寺。
■鶏頭の花(けいとうのはな);ヒユ科の一年草。熱帯アジア原産と推定され、古く日本に渡来した。茎は高さ 20~100cm、広披針形の葉を互生。夏から秋にかけ、しばしば帯化した茎の上方に鶏冠状または円錐状の赤・黄・桃色などの花穂を立てる。園芸品種が多い。韓藍(からあい)。右写真。
■庫裏(くり);寺の台所。庫院。転じて、住職や家族の居間。
■一間半一つ折という大きなガラガラ格子;幅一間半(2700cm)の大きな1枚引き戸。
■住持(じゅうじ);一寺の長である僧。住職。上方ことばで敬意を込めて『おじゅっすぁん』という。
■出家得度(しゅっけ とくど);仏門に入り度牒(ドチヨウ=僧尼であることの証明)を受けて僧・尼となること。現今は、寺に入って剃髪の式をあげること。僧籍に入ること。
■心発願(こころほつごん);心から、発願(ほつがん)すること。発願=願を起こすこと。特に、悟りを得て衆生(しゅじょう)を救済しようと決意すること。
■融通坊主(ゆうずう ぼうず);臨機応変に出退を決めるような坊主。
■『一人(いちにん) 出家をとぐれば九族天に招ず』;一人が僧籍に入れば、一族みんなに幸せが訪れること。
■ヤマコ(山子);投機心。山気。やまかん。虚勢。はったり。大ぼら吹き。ヤマコを張るとは大風呂敷を広げること。
■水鏡(みずかがみ);静かな水面に物の影がうつって見えること。また、水面に自分の姿などをうつして見ること。鏡がない時代には、水辺に写る映像で認識した。落語「松山鏡」に鏡を知らない村人の噺が有ります。
■ろっぽ、ごけ;オイチョカブ=(「おいちょ」は8、「かぶ」は9の数)
カルタ賭博のひとつ。手札とめくり札とを合せて、末尾が9またはそれに最も近い数を勝とする。オイチョカブで、六(ろっぷ~)、五(ごけ)。もう一枚引くべきか、やめるべきか、六は辛い。
花札でやるときの1~10の札。トランプでも同じように出来ます。
■ハンドク(周梨槃特(しゅりはんどく));釈尊の弟子。十六羅漢の一。兄の摩迦槃特が聡明であったのに比し愚鈍であったが、後に大悟したという。悟りに賢・愚の別がないことのたとえとされる。槃特。「槃特が愚痴も文殊の知恵」槃特の愚かさも文殊の知恵も相対的な差異でしかなく、悟りの立場からみれば同等であること。また、どちらも悟りに至れば同一であること。『槃特が愚痴も文殊の知恵』愚鈍な者であっても正しく修行に励めば、智者と同じく立派に悟り得ることにいう。落語「茗荷宿」に詳しく記述しています。
兄・摩訶槃特の資質聡明なるに対し、周利槃特は愚かであったといわれるが、その因縁は、過去世の昔、彼は迦葉仏(かしょうぶつ)という如来が出世された時、賢明な弟子であったが、一つの詩すら教えるのを惜しんだこと、豚飼に生まれた時に豚を屠殺した業報などにより、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついたといわれる。仏弟子となったのは兄・摩訶槃特の勧めであるが、四ヶ月を経ても一偈をも記憶できず、兄もそれを見かねて精舎から追い出し還俗せしめようとした。釈迦仏はこれを知って、彼に一枚の布を与え、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせ、精舎(もしくは比丘衆の履物とも)を払浄せしめた。彼はそれにより、落とすべき汚れとは、貪(とん=欲深いこと)、瞋(じん=目をむいて怒る) 、痴(ち=理非の真理を知らないこと)、という心の汚れ(三毒)だと悟り、すべての煩悩を滅して、阿羅漢果(仏教の修行の最高段階、また、その段階に達した人。もとは仏の尊称にも用いたが、後世は主として小乗の聖者のみを指す)を得たとされる。そして神通力を得て形体を化かすなど種々示現できるようになったといわれる。
■遷化(せんげ);(この世の教化を終えて他国土の教化に移る意) 高僧の死去をいう。
■はい~い、はい ♪小諸~~~;小諸馬子唄(こもろまごうた)からの引用。小諸馬子唄は長野県小諸市周辺を発祥とする民謡。小諸の古名から「小室節」とも呼ばれる。
碓氷峠を中心に往来する馬子衆によって詠われた馬子唄が、中山道追分宿(中山道と北国街道(北国脇往還)の分岐(信濃追分)に設けられた宿場。現在の長野県北佐久郡軽井沢町)の飯盛り女によって、三味線の伴奏や囃子詞の入った座敷唄「追分節」に発展し、北国街道や北前船を経由して北日本へ伝播した。また小諸馬子唄(小室節)も江戸での流行歌となった。
■暮れ六つ(くれむつ);日の入りの時刻。明け六つが日の出の時刻、それぞれの間を六等分し、明け六つ・五つ・四つ・九つ・八つ・七つ・暮れ六つ・五つ・四つ・九つ・八つ・七つ・明け六つ、となる。0時、12時の九つはいつも同じだが、その他の時刻は毎日変化する。落語「時蕎麦」に時刻の見方があります。
■ちょんこ節;江戸時代に流行した春歌。歌詞の内容がかなり卑猥できわどい内容なので、主に酒宴の席等で歌われる。
福岡県の民謡「炭坑節」はこの曲から派生したものとされている。
■仁輪加(にわか);俄(にわか)とは、江戸時代から明治時代にかけて、宴席や路上などで行われた即興の芝居。仁輪加、俄とも書く。
「流し仁輪加」の舞台風景。即席のコントがどれだけ出来るか。
2017年5月記 前の落語の舞台へ 落語のホームページへ戻る 次の落語の舞台へ |