落語「瘤弁慶」の舞台を行く 桂小文枝(五代目桂 文枝)の噺、「瘤弁慶」(こぶべんけい)より
■不可解なオチ;『夜の瘤は見逃しがならん』、「夜の昆布は見逃すな」ということわざのもじり。「夜の昆布」と「喜ぶ」をかけた洒落で、『譬喩尽』には「夜の昆布は乞ふても喰へ」とある。
これには異説があり、「コブ」とはクモのことで、落ちは「夜のクモは殺せ」ということわざに由来するとも言われる。『日葡辞書』には「Cobu 大蜘蛛 下 の語」とある。ここでの「下」とは西国すなわち九州を指す。しかし作者の吾竹の伝記は何もわからないので、彼がクモを「コブ」と呼ぶ地域の出身であった保証はない。
■『伊勢参宮神乃賑』(いせさんぐうかみのにぎわい)、通称『東の旅』(ひがしのたび)は、大坂から伊勢参りをして大坂まで戻る喜六と清八による道中を描いた一連の上方落語。『伊勢参宮神之賑』の表記もある。
■旅;「日本で、もっとも往来の激しい街道は、東海道ですが、日毎に信じられぬほどの人々で埋め尽くされていた。ある季節にはヨーロッパの大都市より賑わっている。その理由は、自ら好んですると、必要に迫られてするとを問わず、異国民と異なり、日本人は数多く旅を試みるからである」。オランダ人医師、ケンペルが元禄(1688-1704)初期に記した「江戸参府紀行」に書きとめている。
歩く速度というと、普通一日10里(約40km)を歩きました。1日8時間ぐらいで、食事も休憩も入れてですから、テレテレ歩いていたら到底歩けません。前屈みでツッツ ツッツと歩きました。江戸-京都間を2週間弱(12~13日)で歩き通しました。 ■近江八景(おおみはっけい);近江国(現・滋賀県)にみられる優れた風景から「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価(作品の場合は題目)の一つ。 中国湖南省の洞庭湖および湘江から支流の瀟水にかけてみられる典型的な水の情景を集めて描いた「瀟湘八景図」(北宋時代成立)になぞらえて、琵琶湖の南部から八箇所の名所を選んだもの。 「近江八景」 広重画 どの図もクリックすると大きくなります。
■大津宿(おおつしゅく、おおつじゅく);東海道53番目(東海道五十三次)の宿場で、現在は滋賀県大津市。東海道五十三次中最大の宿場。次の宿は京都で終点となります。また、大津の手前は草津で、中山道と東海道が分岐する宿です。 ■定宿(じょうやど);毎回同じ宿屋に泊まること。噺の中では「定宿」だと言えば、客引きからの強引な勧誘を逃れることが出来ると言っています。
■客引き;街道では客の奪い合いは日常茶飯事です。留め女と言います。 ■一分(いちぶ);4分の1両=4朱。1両を8万円とすると、1分は2万円(上部屋)。2朱は1万円(中部屋)。1朱は5千円(並部屋)になります。
■アヤフヤな町;街に掛かった看板の町名は「綾小路麩屋町」。
町内案内板の名称は「麩屋町綾小路」。統一が出来ていません。どっちなのでしょう。「綾小路麩屋町」から「アヤ小路フヤ町」と言われます。
■大津絵(おおつえ);東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭茶屋追分)を発祥の地とする。寛永年間(1624- 1644年)のころに仏画として描かれ始めた。当初は信仰の一環として描かれたものであったが、やがて世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・風刺的な道歌を伴うようになった。
■絵師浮世又平(えし うきよまたべい);歌舞伎「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」に出て来る絵描き。狩野元信の150回忌を当て込んで書かれた作品で、絵師狩野元信と恋人・銀杏の前の恋愛に、正直な絵師又平(岩佐又兵衛がモデル)の逸話と、名古屋山三と不破伴左衛門との争いから来るお家騒動をないまぜにしたもの。
■蛸薬師(たこやくし);京都市中京区新京極通蛸薬師下ル東側町503。京都の蛸薬師は永福寺の本尊とされ、奉納される小絵馬には蛸と着物姿の女が描かれている。本来の永福寺本尊は伝教大師が製作した薬師如来で、水上薬師ないし沢薬師と呼ばれていた。時代を経る毎にこれが誤って蛸薬師と伝えられるようになり、江戸時代の『都名所図会』には既に「蛸薬師は永福寺と号し、円福寺境内にあり」と紹介されていた。その後円福寺は1788年、1864年の大火で類焼し、1883年に三河国岩津村へと移された。この際、岩津村にあった妙心寺が京都へ移され、現在の永福寺となっているが、本尊は変わらず蛸薬師のままになったという。江戸時代に刊行された菊岡沾凉の『本朝俗諺志』には蛸薬師の効能として、蛸の絵馬を書き、物絶をして祈ると疣(いぼ)や痣(あざ)に効く不思議な効験があると紹介されている。その他、井上頼寿の『京都民俗志』では民家に蛸地蔵尊が祀られていたという話を紹介しており、蛸薬師信仰が民間レベルで浸透していたと考えられます。
■寺町(てらまち);寺町通(てらまちどおり)は京都市の南北の通りの一つ。北は紫明通から南は五条通まで。途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っ直ぐではないのが特徴。三条以北は平安京の東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)にあたる。
■入相の鐘(いりあいのかね);日暮に寺でつく鐘。晩鐘。
■陣鐘(じんかね);陣中で軍勢の進退の合図に鳴らす銅鑼(ドラ)または半鐘。
■駕籠の棒鼻(かごのぼうばな);(駕籠などの)棒の先端。転じて、いちばん先。最初。先頭。
駕籠。担ぐ棒の先端を棒鼻と言い、ここを押さえられると前に進むことが出来なくなります。江戸東京博物館蔵。
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