落語「七の字」の舞台を行く 三代目三遊亭金馬の噺、「七の字」(しちのじ) 別名「按七」より
■原話「無筆」より;落とし噺常々草。文化7年頃刊 桜川慈悲成作 豊国画 国立国会図書館蔵
右絵図:原話からの挿絵。
■義務教育(ぎむきょういく);国・政府(中央政府・地方政府)、人(国民・保護者など)などが子供に受けさせなければならない教育のこと。義務教育の制度は、多くの国において普及している制度であるが、国ごとに制度の仕組みは異なる。
世界人権宣言、及び経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(通称「国際人権A規約」)では、以下に初等教育レベルの義務教育の権利・義務を定められている。
上図:世界の義務教育年限
日本では、
「保護者が就学させなければならない子」は次の3条件を満たしている子である。なお、ここでいう保護者とは「子に対して親権を行う者」であり、親権を行う者のない時は「未成年後見人」である。
■識字率(しきじりつ);江戸の成人男性の識字率は幕末には70%を超え、同時期のロンドン(20%)、パリ(10%未満)を遥かに凌ぎ、世界的に見れば極めて高い教育水準であると言うことができる。実際ロシア人革命家メーチニコフや、ドイツ人の考古学者シュリーマンらが、驚きを以って識字状況について書いている。また武士だけではなく農民も和歌を嗜んだと言われており、その背景には寺子屋の普及があったと考えられ、高札等で所謂『御触書』を公表したり、『瓦版』や『貸本屋』等が大いに繁盛した事実からも、大半の町人は文字を読む事が出来たと考えられている。ただし識字率ほぼ100%の武士階級の人口が多いため、識字率がかさ上げされているのも間違いなく、当時、全国平均での識字率は40%~50%程度と推定されている。
江戸中期になると人口だけではなく識字率も世界一と言うことは前項で解説されていますが、武家の子弟は、官学のほか民間の私塾でも学び、国学、漢学、洋学、医学などさまざまな塾が開設されていた。幕府正学とは別に、私学では、独自の教育内容が採られていた。また、商家の丁稚(小僧)は勿論、庶民の子供達も寺子屋へ通わない者は希だった。浪人や下級幕臣がアルバイトで師匠を務める寺子屋の数が、幕末江戸市中で一千ヶ所に達するほどだった。ここでは読み書き、そろばん、かけ算や九九など教えた。また、女子は踊り、唄いなど芸能の手習いも盛んであった。
落語「浮世床」で立て板に水で太閤記を読む(本当は立て板にモチ状態の)職人もいれば、落語「真田小僧」の金坊のように、親を負かすぐらいの知恵者も居ます。また、落語「千早ふる」で百人一首の『千早ふる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは』を珍解説する横丁のご隠居もいますが、その意味を知りたがったのは娘さんです。落語「桃太郎
■後で魔が差すといけませんので消しておきます;七兵衛さんに字を教えるところで、空間へ七の字を書いてあとで「消しておきます」
と言いながら、手先でぐるぐると廻して字を消すところがあります。今の人には、なんのために消すのか、と変に思うでしょうが、空間でも、また地面へでも仮りに字を指先で書いた時に、かならず消しました。書いたままにして置くと、それを踏むともったいないという訳です。六代目三遊亭円生解説
■矢立(やたて);墨壺に筆を入れる筒の付いたもの。帯に差し込みなどして携帯する。江戸時代に使われた。石筆。墨斗。文・写真:広辞苑
■地主(じぬし)なり、家主(やぬし)だから;地主=土地の所有主。家主=一般的に一家の主人。戸主。あるじ。また、貸家の持主。
■安来節(やすぎぶし);島根県安来地方の民謡。三味線に笛・太鼓などを伴奏とし、「どじょうすくい」という踊りを加える。大正3年(1914)に大阪へ、17年に東京へ進出、全国的に流行。やすきぶし。出雲節。右写真
■火箸(ひばし);炭火などを挟むのに用いる金属製の箸。かつて火鉢や囲炉裏が普及していた時代には、どこの家庭にもある一般的な道具だった。2本の、先に行くにつれて細くなる金属の棒で構成され、長さは25cm~40cm程度。炭を継ぎ足したり、熾っている火を調整したりするときに使用する。後端は丸いもの、瓦釘のようになっているもの、割ったり巻いたりして輪をつけたものなど様々である。
■撞木(しゅもく);仏具の一。鐘・鉦(タタキガネ)・磬(ケイ)などを打ち鳴らす棒。多くは丁字形をなす。
■欠伸の一束(あくびのいっそく);一束=100。「100回も欠伸をして待ってたよ」長い時間待っていた。
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