落語「七の字」の舞台を行く
   

 

 三代目三遊亭金馬の噺、「七の字」(しちのじ) 別名「按七」より


 

 今は義務教育が有りますから、字の知らない人は居ませんが、子供時分、職人さんは腕さえ良ければと言って、字を知らなくてもイイという時代がありました。変に読み書きが出来ると、悪く言われたものです。

 長屋に住んでいたグズ七と呼ばれていた七兵衛さん、仲間から助けられ生活していたが、伯父さんが亡くなって、財産、家、土地は勿論のこと借家を含めて遺産相続。今ではふんぞり返って生活しています。七兵衛さん昔の長屋を見に来たのですが、快く思わない長屋の連中。『グズ』、『七』、『グズ七』と呼んでも聞こえぬふり。「私は『田中七兵衛』と申します」と取り合わない。ナリを見ると腰に矢立が下がっている。「その矢立は何をするものだ」、「やだな~。矢立で水を汲みに行きません。字を書きます」、「字を書く?こん畜生、長屋にいた時分を思い出せ。我々に『イ』の字は何処から書くんですか、とか、この手紙読んでください、ハガキ書いてください、と頼みに来たんだろ」、「今は違います。地主なり、家主ですから事務ぐらいこなせます。ははは」、「悔しいな。だったら、グズ七の『七』の字を書いてみろ。書けなかったらヘソに焼火箸突っ込んで安来節を踊らせるゾ」、「書けたらどうします。これでは片手落ちです。へへへ」、「書けたら100円やら~。今は無いから集めて来るから、30分待ってろよ。ここを離れるんじゃねえぞ。いなかったら家に火ぃ点けるぞ」。こうして字が書ける書けないでお互い意地になります。八っつあん駆け出して行きました。

 「さぁ~大変だ。『七』の字を覚える前に安来節を覚えるのが先かな。良いことを思いだした。学校の先生の所に行って聞いてこよう」。七兵衛は自分の名前さえ書けなかったのです。困ったときの先生頼りで、家に行きますが九州に行って不在でした。かみさんに「七」の字の書き方を聞きます。「質物(しちもつ)の『質』ですか、数の『七』ですか?」、「名前の『七』です」、「おからかいでしょう。と、思ってお教えします」、空中で書き始めた。「最初に横に一本引きますの、縦に一本引くと『十』の字になるでしょ、その尻尾をヒョイと右に曲げるんです。後で魔が差すといけませんので消しておきます」、分からないので、もう一度聞くが同じ事。さっぱり分からない。「火箸があるでしょう、まず一本を横に置くの、次に縦に置いて『十』の字に置いてみて。それでは撞木ですから、頭を出して。そして、右に尾をはねるのよ。簡単でしょう?火箸を本当に曲げてはいけません」、「アリガトウございました。これで、100円貰ってお菓子でも買ってきます」。

 道々反復しながらやって来た。「おい、七兵衛欠伸の一束もして待っているんだぞ。古道具屋に行って古襖(ふるぶすま)を借りてきたんだ。提灯屋でたっぷりの墨と大筆を借りてきたから、これで大恥を書け」。
 「質物の『質』ですか、数の『七』ですか?」、「聞いたこと言ってら~。名前の『七』だ」、「火箸がありますか?」、「字を書くのにいるかぃ」、「では書きます。まず、横に一本。二本目の火箸が・・・」、「火箸は止めろ」、「首を出してから、うん~ん・・・と、引っ張ってきて、尻尾を」、「おい、書くよ。七ちゃん勘弁してくれ、そこまで書けば分かるよ、半分の50円に負けてくれ。右に曲げるんだろ」、「負けられるか」と言って、左に曲げてしまった。

 



ことば

原話「無筆」より;落とし噺常々草。文化7年頃刊 桜川慈悲成作 豊国画 国立国会図書館蔵

 「貴様は手習いをしたか?」、「手習い所か、唐様(からよう)でも和様(わよう)でも何でも書きます」、「どうやら嘘らしいが、貴様、『大』の字を書き得るか」、「書き得る、書き得る」、「それなら書いて見せなえか」、「ムゝ、書いて見せよう」、と、七という字や八という字を書く。「それ見やれ。大の字も知らぬ。文字を知らぬ物は畜生だ」、と言えば、大きに腹を立てて、「そんなら、大の字を書いて見せようか」、「サァサァ、書いて見やれ」、「書かねへでは、畜生だと言われたが口惜しい。書いて見せよう」と、大の字を書き、脇へ点を打って、「サァサァ、これでも畜生か」。

右絵図:原話からの挿絵。

義務教育(ぎむきょういく);国・政府(中央政府・地方政府)、人(国民・保護者など)などが子供に受けさせなければならない教育のこと。義務教育の制度は、多くの国において普及している制度であるが、国ごとに制度の仕組みは異なる。 世界人権宣言、及び経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(通称「国際人権A規約」)では、以下に初等教育レベルの義務教育の権利・義務を定められている。
 すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。 — 世界人権宣言 第26条1

上図:世界の義務教育年限

日本では、
教育基本法で「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家および社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする」と規定している。
第4条 (義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2.国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない

 「保護者が就学させなければならない子」は次の3条件を満たしている子である。なお、ここでいう保護者とは「子に対して親権を行う者」であり、親権を行う者のない時は「未成年後見人」である。
 1.満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15歳に達した日の属する学年の終わりまでにある子。(学校教育法の新第2章「義務教育」より) 学校教育法施行規則および年齢計算ニ関スル法律に基づけば、4月1日内までに満6歳となった子から4月1日内までに満14歳となった子が該当する。この9年間の義務教育に該当する年齢は、(法律上の)学齢とも呼ばれる。
 2.日本国内に在住している子。 学校教育法施行令において「学齢簿の編製は、当該市町村の住民基本台帳に基づいて行なうものとする」とされている。学齢簿に基づいて、就学先の学校が指定される。
 3.保護者が日本国民である子。 日本国憲法の第26条第2項、教育基本法の第5条第1項においては、義務を負うのは「国民」であるので、保護者に日本国民が含まれない子は、該当しない。

識字率(しきじりつ);江戸の成人男性の識字率は幕末には70%を超え、同時期のロンドン(20%)、パリ(10%未満)を遥かに凌ぎ、世界的に見れば極めて高い教育水準であると言うことができる。実際ロシア人革命家メーチニコフや、ドイツ人の考古学者シュリーマンらが、驚きを以って識字状況について書いている。また武士だけではなく農民も和歌を嗜んだと言われており、その背景には寺子屋の普及があったと考えられ、高札等で所謂『御触書』を公表したり、『瓦版』や『貸本屋』等が大いに繁盛した事実からも、大半の町人は文字を読む事が出来たと考えられている。ただし識字率ほぼ100%の武士階級の人口が多いため、識字率がかさ上げされているのも間違いなく、当時、全国平均での識字率は40%~50%程度と推定されている。
  ウィキペディアによる

  江戸中期になると人口だけではなく識字率も世界一と言うことは前項で解説されていますが、武家の子弟は、官学のほか民間の私塾でも学び、国学、漢学、洋学、医学などさまざまな塾が開設されていた。幕府正学とは別に、私学では、独自の教育内容が採られていた。また、商家の丁稚(小僧)は勿論、庶民の子供達も寺子屋へ通わない者は希だった。浪人や下級幕臣がアルバイトで師匠を務める寺子屋の数が、幕末江戸市中で一千ヶ所に達するほどだった。ここでは読み書き、そろばん、かけ算や九九など教えた。また、女子は踊り、唄いなど芸能の手習いも盛んであった。
  授業料は家庭の経済状況に応じて支払われ、場合によっては商売物の物納も許された。さらに、生徒の10人に1人は上級の私塾へ進学した。こうした庶民の学力、教養が、江戸の出版文化の下地を形作っていた。

  落語「浮世床」で立て板に水で太閤記を読む(本当は立て板にモチ状態の)職人もいれば、落語「真田小僧」の金坊のように、親を負かすぐらいの知恵者も居ます。また、落語「千早ふる」で百人一首の『千早ふる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは』を珍解説する横丁のご隠居もいますが、その意味を知りたがったのは娘さんです。落語「桃太郎」では先に親を寝かしつけ、『親というのは罪がない』と、言わしめた御ガキ様もいます。
落語「泣き塩」より孫引き

後で魔が差すといけませんので消しておきます;七兵衛さんに字を教えるところで、空間へ七の字を書いてあとで「消しておきます」 と言いながら、手先でぐるぐると廻して字を消すところがあります。今の人には、なんのために消すのか、と変に思うでしょうが、空間でも、また地面へでも仮りに字を指先で書いた時に、かならず消しました。書いたままにして置くと、それを踏むともったいないという訳です。六代目三遊亭円生解説

矢立(やたて);墨壺に筆を入れる筒の付いたもの。帯に差し込みなどして携帯する。江戸時代に使われた。石筆。墨斗。文・写真:広辞苑

地主(じぬし)なり、家主(やぬし)だから;地主=土地の所有主。家主=一般的に一家の主人。戸主。あるじ。また、貸家の持主。
 家作を持っていると、通常大家さんを置いて、プロの管理業務を委託します。通常家主と言えば、長屋の管理を請け負う管理人。おおや。いえぬし。

安来節(やすぎぶし);島根県安来地方の民謡。三味線に笛・太鼓などを伴奏とし、「どじょうすくい」という踊りを加える。大正3年(1914)に大阪へ、17年に東京へ進出、全国的に流行。やすきぶし。出雲節。右写真

火箸(ひばし);炭火などを挟むのに用いる金属製の箸。かつて火鉢や囲炉裏が普及していた時代には、どこの家庭にもある一般的な道具だった。2本の、先に行くにつれて細くなる金属の棒で構成され、長さは25cm~40cm程度。炭を継ぎ足したり、熾っている火を調整したりするときに使用する。後端は丸いもの、瓦釘のようになっているもの、割ったり巻いたりして輪をつけたものなど様々である。

撞木(しゅもく);仏具の一。鐘・鉦(タタキガネ)・磬(ケイ)などを打ち鳴らす棒。多くは丁字形をなす。
右写真

欠伸の一束(あくびのいっそく);一束=100。「100回も欠伸をして待ってたよ」長い時間待っていた。



                                                            2016年7月記

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