落語「カラクリ屋」の舞台を行く 三遊亭金馬の噺、「カラクリ屋」(からくりや)より
■四代目三遊亭金馬(さんゆうてい きんば);(1929年(昭和4年)3月19日 - )、東京都江東区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。日本演芸家連合会長。日本芸能実演家団体協議会顧問。新宿区名誉区民。本名、松本 龍典(まつもと りゅうすけ)。出囃子は先代と同じ『本調子鞨鼓』。2016年現在、東西併せて落語界最古参の落語家であり、現在、唯一の戦中派落語家。ただし、年齢と真打昇進年を基準に置けば四代目桂米丸が最長老である。1941年7月、小学校卒業の12歳で寄席の支配人の伝手で三代目三遊亭金馬に入門。少年落語家・山遊亭金時として初高座を踏む。1945年終戦直後の8月18日に、二つ目昇進。三遊亭小金馬と改名。1955年、3人をメインにNHKに引き抜かれる形で『お笑い三人組』がスタート。国民的番組となる。このため、これらを知っている世代には未だに前名の「小金馬」の名が通用する場合がある。
1958年3月、真打昇進。1967年3月、三代目の三回忌に四代目三遊亭金馬を襲名。
■馬鹿(ばか)の番付;いろいろな馬鹿の番付がありますが、明治初めごろ、熊本の人で佐田介石が編集したという。舶来の思想と品を徹底排撃した僧侶です。
<東>
<西>
■大飯食らい(おおめしぐらい);造糞器と言って、ただ、糞を作るために大飯を食らっている馬鹿。(金馬)。
■暇を出され(ひまをだされ);雇用・主従・夫婦などの関係を絶つこと。いとま。奉公人などを解雇する。
■四谷(よつや);町名では四谷だが、駅周辺地域を「四ツ谷」「四ッ谷」と表記されることもある。住居表示未実施で一丁目から四丁目まで存在する。
また、この地区を中心とするかつての行政区(四谷区)の名前でもあり、この周辺をさす地域名称でもある。江戸時代後期の1829年編纂の『御府内備考』(地誌大系)の記載によると、かつては旧四谷区域にとどまらず、江戸城外堀以西の郊外をも含む広大なエリア(内藤新宿・大久保・柏木・中野)の総称として四谷が使われていたこともあった。
■ドッコイドッコイ;「とっこいとっこい・どっこいどっこい」と呼ばれる日本式のルーレットも江戸時代から存在していた。これら射的やくじ引きなどの賭け物(景品交換式遊技)を生業にする者。
平安時代の公家が楊弓という弓矢で遊興を楽しんだ。座ったままで行う正式な弓術であり、対戦式で的に当った点数で勝敗を争った。後に江戸時代には、この公家の楊弓と庶民の神事である祭り矢・祭り弓が元になり「的屋(まとや)」が営む懸け物(賭け事)の「的矢(弓矢の射的遊技)」として庶民に楽しまれ、江戸時代の後期には隆盛を極め、大正時代ごろまで続いたが、江戸時代から大正に至るまで好ましくない賭博や風俗であるとされ、度々、規制や禁止がなされた。ドッコイ屋は盤の中央に回転する棒がついていて、その先に針があってマス目の中に景品が書いてあり、当たると景品がもらえたが、なかなかカステラなどは当たらなかった。 子供用ルーレット。
■カラクリ屋;のぞきからくり。箱の中に、物語の筋に応じた幾枚かの絵を入れておき、これを順次に転換さ せ、箱の手前の眼鏡を通して覗かせる装置。のぞきめがね。からくりめがね。(広辞苑)
右図;「からくり」大阪天満宮 1957 写真家・木村伊兵衛撮影
別冊太陽189平凡社。「木村伊兵衛」人間を写しとった写真家より。
■駆け落ち(かけおち);恋しあう男女が連れ立ってひそかに他の地へ結婚を目的に逃亡すること。
■八百屋お七(やおやおしち);お七の墓は南縁山・圓乗寺(えんじょうじ、文京区白山1-34-6)山門をくぐると本堂手前左手に有ります。当時の住職が当地区には沢山の大名屋敷があり、そこのコネで遺骨を引き取らせてもらい安置していたが、ほとぼりの冷めた頃墓を建てて菩提をともらった。その墓石が今に伝わっています。戒名「妙栄禅定尼霊位」(みょうえいぜんじょうにれいい)。
■白子屋お駒(しらこやおこま);城木屋のお駒(右図)。落語「城木屋」にお駒さんの噺が有ります。また、落語「髪結新三」にもお駒(お熊)さんの事が語られています。どちらにしてもお駒さんは江戸一の美女だったので、裸馬に乗せられ江戸引き回しを受けたときは大評判になりました。落語「城木屋」や歌舞伎「髪結新三」が上演され、どれも人気を集めました。歌舞伎「髪結新三」は当時のならいで匿名になっています。
■鍋島の猫騒動(なべしまの ねこそうどう);佐賀の鍋島家の御家騒動に仮託した怪猫談。講談・戯曲類に脚色され、実録物では「佐賀怪猫伝」、講談では「佐賀の夜桜」などが代表的。
下図:歌川国芳画『梅初春五十三駅』。1835年(天保6年)に市村座で上演された同名の歌舞伎の場面を描いたもの。ネコが化けた老女、手拭をかぶって踊るネコ、行灯の油を舐めるネコの影などが描かれている。
■岩見重太郎のヒヒ退治(いわみじゅうたろうの ひひたいじ);その昔、年に一度の春祭りの前日、神社の鎮守の森に住む神様へ、人身御供として白羽の矢が刺さった家の娘を長持に入れて御供えするという風習があった。
ある年の祭りの時、岩見重太郎という旅の侍が通りかかり、村人の話を聞いて、「これは、何か悪者の仕業に違いない。今夜は私が身代わりになってお宮に赴き、その悪者を退治して進ぜよう」という事になった。闇の中、山を踏み分けて忍び寄る怪しい物音がしたので、重太郎が長持の隙間からのぞくと、大きな黒い影が近づいてきた。その黒い影の正体は身の丈十尺を超える大きなヒヒであった。重太郎は、長持の中から躍り出て大きなヒヒの胸を目掛けて切りつけ退治した。これが有名な岩見武勇伝「ヒヒ退治」である。
重太郎は天橋立で仇討をするまで諸国を武者修行し、大蛇や山賊を退治する豪傑として広く知られている。
■外後架(そとこうか);禅寺で、僧堂の後ろにかけ渡して設けた洗面所。その側に便所があり、転じて便所の意になる。ごか。長屋などでは、各部屋事には無く、共同で使われる後架として長屋の奥に作られていた。
■辻占売り(つじうらうり);元々の辻占は、夕方に辻(交叉点)に立って、通りすがりの人々が話す言葉の内容を元に占うものであった。この辻占は万葉集などの古典にも登場する。類似のものに、橋のたもとに立って占う橋占(はしうら)がある。夕方に行うことから夕占(ゆうけ)とも言う。偶然そこを通った人々の言葉を、神の託宣と考えたのである。辻は人だけでなく神も通る場所であり、橋は異界との境をなすと考えられていた。京都・一条堀川の戻橋は橋占の名所でもあった。
■下駄の歯入れ屋(げたのはいれや);江戸時代はリサイクルの時代でした。落語「紙くず屋」より
落語にも紙屑屋さんが出てくる「子別れ・上」、「らくだ」、「井戸の茶碗」等がそうです。また、羅宇屋さんは「紫檀楼古木」に、オワイやさんは「汲みたて」、「ざこ八」に、タガ屋さんの噺は「たがや」に描かれています。古着の噺では「江島屋騒動」、「五月雨坊主」、「八百屋お七(くしゃみ講釈)」が有りますし、鋳掛け屋さんは「いかけ屋」、焼き接ぎ屋は「両国八景」、などがあって、江戸庶民を描いた落語の世界には多くのリサイクル業者が生き生きと登場します。
■叔父さんの家に泊めて貰う;お鶴さんと仙吉が駆け落ちで四ッ谷の叔父さんの所に夜分お邪魔する。2階に二人を上げて、雷が鳴らなくったって二人は同じ布団の中で朝を迎えます。
■大川(おおかわ);現在の隅田川。浅草付近の大川は宮戸川とも言った。
■仙さんこれでお替わり;オチに使われる言葉。茶碗で無く、丼でも無く、おひつを出して、これでお替わりを所望する仙さん。
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