落語「カラクリ屋」の舞台を行く
   

 

 三遊亭金馬の噺、「カラクリ屋」(からくりや)より


 

 江戸時代に、馬鹿の番付が出来たと言います。両手に下駄を持って欄干を渡った馬鹿。醤油を3升呑んで褒められ、家に帰って寝たが朝になっても目が覚めず、永遠に寝ていた馬鹿。勧進元に『親馬鹿』としています。行司の所に『馬鹿の大食い』が載っています。

 「お嬢さん、お鶴さん」、「あら、仙ちゃんじゃ無いの」、「親方に大飯食らいだから、暇を出されてしまったんです」、「おかしいわ、仙ちゃんは昔から大食だから、今更・・・。お父っつあんに話してみるわ」、「それは表向きで、お嬢さんと仲良く話をしているのを見られて、それが原因だと思うんです」。
 「で、どうするの?私はどうなるの?」、「今までの事は無かったと思って・・・」、「やだよ。連れて逃げてよ」、「ダメです。今まで、世話になったのに出来ません」、「夫婦になると約束したじゃないか」、「我慢して下さい」、「ヤダよ。死んじゃうから」、「では、夜になったら迎えに来ますから。用意して待ってて下さい」、「分かったよ」。

 「どこに行くんだい」、「四谷の叔父さんの所に」、「お屋敷町なんだろう」、「四谷にも貧乏長屋だってありますよ」、「どんな仕事をしているんだぃ」、「夜店の商人なんです。”ドッコイドッコイ”と”カラクリ屋”をやってるんです」、「”ドッコイドッコイ”ってな~に?」、「台の上にぶん回しが付いていて、その先の針が止まったとこの品物が貰えるんです」、「ぐるぐる回してお客さんを待っているの?」、「口上が有るんです。『さ~さ、張って悪いはおやじの頭、張らなくては食えない提灯屋、ぐるぐると回っている内がお楽しみ、欲の戯れ命の洗濯。御思案は御損でございますよ』と言うんですよ」、「まぁ、おもしろい」、「駆け落ちの最中に、ドッコイドッコイの口上だなんて」。
 「カラクリはどうやるの?」、「箱の上に絵看板が有って、八百屋お七、白子や御駒だとか、鍋島の猫騒動、岩見重太郎のヒヒ退治など、眼鏡を覗くとその舞台が見えるんです」、「その口上は?」、「駆け落ちの最中にやる事では無いが、八百屋お七だと『♪そりゃ~お寺さんは、駒込吉祥寺、そりゃ~書院座敷の次の間で、そりゃ~学問なされる後ろより、膝で突いて目で知らす。それカッタン、先(せん)さんがこれでお替わり』とやるんです」、「カッタンって何よ」、「紐を引くと場面が変わるんです」、「先さんがこれでお替わりは?」、「先から見ている人は終わりですよ。今度昼間に叔父さんとこで見せて貰うと良いですよ」。

 「ここら辺なんだけれど・・・。有った、この長屋の奥なんだ。どぶ板が壊れているから気をつけて、突き当たりが外後架になっています」、「外後架ってなぁ~に?」、「共同便所なんです。こちらは占い者の家、こっちが辻占売り、下駄の歯入れ屋、のり屋の婆。ここです。(トントントン)こんばんは仙吉です開けておくれよ」、「どうした?」、「親方のお嬢さんを連れてきたんです」、「何で?」、「大飯ぐらいで暇出されて、お嬢さんも付いて来たんだ」、「十三の時から奉公に上がり、大飯ぐらいは分かっているだろうに?」、「それは表向き、お嬢さんとの仲を勘ぐって暇を出したんだろう」。
 「二人は二階に上がって、お嬢さんに風邪を引かすんぢゃないぞ。婆さん、お嬢さんは十七.八になったのかね~。いい女だね~。仙公にはもったいない。明日一番で親方の所に行ってくるよ」。

 お鶴さんは、友達の家にも、どこにもいない。「仙公はどうしたッ、お鶴と一緒じゃないか。お鶴が追いかけて行ったんだろうよ。しまったな~。お客さんかい?今日はお休みだから合わないよ。えっ、お鶴の事で・・・、こちらに通せッ」、「私はこちらで世話になっている仙吉の叔父で貞治郎という者です。今日来たのは、仙吉がお宅のお嬢さんを連れて我が家に来たんです」、「無事ですか?良かった、叔父さんの家にいるってよ」。
 「それで・・・」、「二人に聞いてみると、どうしても夫婦になりたいと言います。なれないようだったら、大川に身を投げて死ぬと言います。なだめて来ましたが、お嬢さんを仙吉に嫁として貰えるものか、仙吉をこちらに婿にとっていただけますか。ご返事をいただきたいのです」、「一人娘ですから、嫁には出せない。かといって、仙吉さんは大飯ぐらいだから・・・」、「貴方、思案のしどころだよ」、「アッと、お二人さん思案は御損ですよ。思案していると二人は手放しになってしまいますよ。張ったはったはおやじの頭、張らなきゃ食えない提灯屋、ぐるぐるっと回っている間がお楽しみ。欲の戯れ命の洗濯、さ~ぁ御はんなさい。御思案は御損でございます」、「何だいこの人は?夜店でやっている口上じゃないか」、「すいません。この様な掛け合い事は馴れないので、つい商売の口癖が出てしまいました。お恥ずかしい次第です」、「叔父さんもご承知でしょうが、仙吉は1升炊けば1升、2升炊けば2升、3升炊けば3升、おひつの底が見えるまで食べるんだ」、「あっそれ~、おっしゃる事はごもっとも、朝は3膳、昼は3膳、夜は4膳は職人衆のお定まり、これからはタンと食べないように言いつけますから、どうぞ、仙吉を婿にとって下さい」。お上さんがおひつをズ~ッと出して、「仙さんこれでお替わり」。

 



ことば

四代目三遊亭金馬(さんゆうてい きんば);(1929年(昭和4年)3月19日 - )、東京都江東区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。日本演芸家連合会長。日本芸能実演家団体協議会顧問。新宿区名誉区民。本名、松本 龍典(まつもと りゅうすけ)。出囃子は先代と同じ『本調子鞨鼓』。2016年現在、東西併せて落語界最古参の落語家であり、現在、唯一の戦中派落語家。ただし、年齢と真打昇進年を基準に置けば四代目桂米丸が最長老である。1941年7月、小学校卒業の12歳で寄席の支配人の伝手で三代目三遊亭金馬に入門。少年落語家・山遊亭金時として初高座を踏む。1945年終戦直後の8月18日に、二つ目昇進。三遊亭小金馬と改名。1955年、3人をメインにNHKに引き抜かれる形で『お笑い三人組』がスタート。国民的番組となる。このため、これらを知っている世代には未だに前名の「小金馬」の名が通用する場合がある。 1958年3月、真打昇進。1967年3月、三代目の三回忌に四代目三遊亭金馬を襲名。

馬鹿(ばか)の番付;いろいろな馬鹿の番付がありますが、明治初めごろ、熊本の人で佐田介石が編集したという。舶来の思想と品を徹底排撃した僧侶です。
 
『新撰 馬鹿の番附』
 世に馬鹿の種類多しといえども、皇国の産物を用いず競って舶来品を購求し、 それがため真貨の輸出を日に月に増加させ、国の困難を顧みざる。 これほどの馬鹿はあるべからず。 されば今ここに馬鹿の甲乙を見立番付とすること、かくのごとし。

<東>
 大関  米を食わずして、パンを好む日本人
関脇  結構なる田地を潰し、茶桑を作って損する人 
小結  輸出入の不平均を論じて、西洋料亭に懇会を開く議員
前頭1 国産の笠傘を捨て、舶来の蝙蝠傘を用いる人
   2 日本の植木を抜いて、ゴムののら木を植える人
   3 国産の絹木綿を捨て、舶来の衣服を喜ぶ人
   4 外国に比較なき国産の紙を捨て、舶来洋紙を用いる人
   5 国産の燭台行灯を砕きて、ランプを用いる人
   6 白衣を着ながら、ザンギリ頭のへつらい坊主
   7 ろくでもない顔して、歯を白くする日本平民女子
   8 足が痛いのを辛抱して、舶来靴を履く平民
   9 国産の座布団を捨て、舶来の敷物を用いる人
  10 馬の小便でも舶来の瓶にさえ入れれば、結構な薬だと思っている人

<西>
大関  国産の種油・魚油を捨て、舶来の石炭油(石油?)を用いる人
関脇  従来の商業を捨てて会社を作り、そのために身代限りする人   
小結  ペロペロと洋語で国家の経済を論じて、我が一身を修め兼ねる演説先生  
前頭1 国産の綿帽子を捨て(シルクハット?をかぶり)、風呂敷のごとき物(マント?)を肩へ巻いている人 
   2 日本固有の犬を殺して、洋犬を珍重がる人 
   3 木造の家宅を壊して、煉瓦石に建築する日本人
   4 国産の酒を捨て、ビール・シャンパンを呑む日本人 
   5 国産の陶器を捨て、支那の紫泥を好む煎茶人
   6 日本固有の神道に疎く、洋風を好む神道者 
   7 やたらに髭を伸ばして、開化だと思っている人
   8 国産の墨筆を捨て、ペンを用いる日本人
   9 絹木綿の襦袢を嫌い、シャツを着る日本人
  10 錫の器にハッカさえ入れておけば、何でも良い薬だと思っている人  

大飯食らい(おおめしぐらい);造糞器と言って、ただ、糞を作るために大飯を食らっている馬鹿。(金馬)。
 落語「阿武松」にもただただ食べたいが、周りの目が有るのでこれで良いと言うまで食べた事が無い、横綱になる阿武松が千住の宿で黙々とおまんまを食べているところを宿の旦那に見つけ出される。商売人の相撲取りは食べて当たり前、なのだが・・・。

暇を出され(ひまをだされ);雇用・主従・夫婦などの関係を絶つこと。いとま。奉公人などを解雇する。

四谷(よつや);町名では四谷だが、駅周辺地域を「四ツ谷」「四ッ谷」と表記されることもある。住居表示未実施で一丁目から四丁目まで存在する。 また、この地区を中心とするかつての行政区(四谷区)の名前でもあり、この周辺をさす地域名称でもある。江戸時代後期の1829年編纂の『御府内備考』(地誌大系)の記載によると、かつては旧四谷区域にとどまらず、江戸城外堀以西の郊外をも含む広大なエリア(内藤新宿・大久保・柏木・中野)の総称として四谷が使われていたこともあった。
 江戸切り絵図を見ると、現在の四ツ谷駅の所に有る「四ッ谷御門」から新宿方面に掛けての新宿通り(旧名四ッ谷大通り)の左右の町並み。四宿の新宿入口「大木戸」までの地名。
 

ドッコイドッコイ;「とっこいとっこい・どっこいどっこい」と呼ばれる日本式のルーレットも江戸時代から存在していた。これら射的やくじ引きなどの賭け物(景品交換式遊技)を生業にする者。 平安時代の公家が楊弓という弓矢で遊興を楽しんだ。座ったままで行う正式な弓術であり、対戦式で的に当った点数で勝敗を争った。後に江戸時代には、この公家の楊弓と庶民の神事である祭り矢・祭り弓が元になり「的屋(まとや)」が営む懸け物(賭け事)の「的矢(弓矢の射的遊技)」として庶民に楽しまれ、江戸時代の後期には隆盛を極め、大正時代ごろまで続いたが、江戸時代から大正に至るまで好ましくない賭博や風俗であるとされ、度々、規制や禁止がなされた。ドッコイ屋は盤の中央に回転する棒がついていて、その先に針があってマス目の中に景品が書いてあり、当たると景品がもらえたが、なかなかカステラなどは当たらなかった。 子供用ルーレット。
右図。江戸生活図鑑 笹間良彦著 落語「心中時雨傘」より孫引き

■カラクリ屋;のぞきからくり。箱の中に、物語の筋に応じた幾枚かの絵を入れておき、これを順次に転換さ せ、箱の手前の眼鏡を通して覗かせる装置。のぞきめがね。からくりめがね。(広辞苑)
 紙芝居の大掛かりなもので、それを見るのには、お金を払って手前の覗き穴から中を覗き、物語のストーリーを追うものです。縁日やイベント会場などで盛んに催された。

 右図;「からくり」大阪天満宮 1957 写真家・木村伊兵衛撮影  別冊太陽189平凡社。「木村伊兵衛」人間を写しとった写真家より。

駆け落ち(かけおち);恋しあう男女が連れ立ってひそかに他の地へ結婚を目的に逃亡すること。

八百屋お七(やおやおしち);お七の墓は南縁山・圓乗寺(えんじょうじ、文京区白山1-34-6)山門をくぐると本堂手前左手に有ります。当時の住職が当地区には沢山の大名屋敷があり、そこのコネで遺骨を引き取らせてもらい安置していたが、ほとぼりの冷めた頃墓を建てて菩提をともらった。その墓石が今に伝わっています。戒名「妙栄禅定尼霊位」(みょうえいぜんじょうにれいい)。
 お七は地蔵になって極楽浄土に往生したと伝わっています。ですから、お七地蔵を祀っています。その名を「南無六道能化(のうけ)八百屋於七(おしち)地蔵尊」と言います。ご家族のその後の消息は本郷から出て、分からなくなっています。
お七一家が火事で焼け出され、お寺さんに一時避難したのもこの円乗寺です。
 円乗寺でのお七伝説。お七の家族は焼け出されて円乗寺で世話になっていた。そこのお小姓と切れない仲になったが自宅の普請が出来上がり、引越。彼を忘れられずにいたが、盗みや火事場泥棒の吉三と言う悪党に「火事になればまた会える」とそそのかされて、うぶなお七は自宅に火を着けた。お七と吉三は捕らえられ、火刑になった。その時の火事はボヤ程度だという。お七は悪党に騙された、可哀想な小娘であったという。(住職談)
  お七さんについて『曳屋庵我衣』は、「一体ふとり肉(じし)にて少し痘痕(あばた)のあともありしといえり。色は白かりけれどもよき女にてはなかりし」と記述されています。 イメージを崩して申し訳有りません。お芝居と違って現実は・・・。落語「くしゃみ講釈」より
 右図:「八百屋お七」月岡芳年画 松竹梅湯嶋掛額部分

白子屋お駒(しらこやおこま);城木屋のお駒(右図)。落語「城木屋」にお駒さんの噺が有ります。また、落語「髪結新三」にもお駒(お熊)さんの事が語られています。どちらにしてもお駒さんは江戸一の美女だったので、裸馬に乗せられ江戸引き回しを受けたときは大評判になりました。落語「城木屋」や歌舞伎「髪結新三」が上演され、どれも人気を集めました。歌舞伎「髪結新三」は当時のならいで匿名になっています。

鍋島の猫騒動(なべしまの ねこそうどう);佐賀の鍋島家の御家騒動に仮託した怪猫談。講談・戯曲類に脚色され、実録物では「佐賀怪猫伝」、講談では「佐賀の夜桜」などが代表的。
 肥前国佐賀藩の二代藩主・鍋島光茂の時代。光茂の碁の相手を務めていた臣下の龍造寺又七郎が、光茂の機嫌を損ねたために斬殺され、又七郎の母も飼っていたネコに悲しみの胸中を語って自害。母の血を嘗めたネコが化け猫となり、城内に入り込んで毎晩のように光茂を苦しめるが、光茂の忠臣・小森半左衛門がネコを退治し、鍋島家を救うという伝説。 龍造寺氏から鍋島氏への実権の継承は問題のないものだったが、高房らの死や、佐賀初代藩主・鍋島勝茂の子が早くに亡くなったことなどから、一連の話が脚色され、こうした怪談に発展したとの指摘もある。 この伝説は後に芝居化され、嘉永時代には中村座で『花嵯峨野猫魔碑史』として初上演された。題名の「嵯峨野(さがの)」は京都府の地名だが、実際には「佐賀」をもじったものである。この作品は全国的な大人気を博した。

 下図:歌川国芳画『梅初春五十三駅』。1835年(天保6年)に市村座で上演された同名の歌舞伎の場面を描いたもの。ネコが化けた老女、手拭をかぶって踊るネコ、行灯の油を舐めるネコの影などが描かれている。

岩見重太郎のヒヒ退治(いわみじゅうたろうの ひひたいじ);その昔、年に一度の春祭りの前日、神社の鎮守の森に住む神様へ、人身御供として白羽の矢が刺さった家の娘を長持に入れて御供えするという風習があった。 ある年の祭りの時、岩見重太郎という旅の侍が通りかかり、村人の話を聞いて、「これは、何か悪者の仕業に違いない。今夜は私が身代わりになってお宮に赴き、その悪者を退治して進ぜよう」という事になった。闇の中、山を踏み分けて忍び寄る怪しい物音がしたので、重太郎が長持の隙間からのぞくと、大きな黒い影が近づいてきた。その黒い影の正体は身の丈十尺を超える大きなヒヒであった。重太郎は、長持の中から躍り出て大きなヒヒの胸を目掛けて切りつけ退治した。これが有名な岩見武勇伝「ヒヒ退治」である。 重太郎は天橋立で仇討をするまで諸国を武者修行し、大蛇や山賊を退治する豪傑として広く知られている。
下図:「岩見重太郎、狒々(ひひ)退治」一魁斎芳年(いっかいさい よしとし=月岡 芳年)画

外後架(そとこうか);禅寺で、僧堂の後ろにかけ渡して設けた洗面所。その側に便所があり、転じて便所の意になる。ごか。長屋などでは、各部屋事には無く、共同で使われる後架として長屋の奥に作られていた。

辻占売り(つじうらうり);元々の辻占は、夕方に辻(交叉点)に立って、通りすがりの人々が話す言葉の内容を元に占うものであった。この辻占は万葉集などの古典にも登場する。類似のものに、橋のたもとに立って占う橋占(はしうら)がある。夕方に行うことから夕占(ゆうけ)とも言う。偶然そこを通った人々の言葉を、神の託宣と考えたのである。辻は人だけでなく神も通る場所であり、橋は異界との境をなすと考えられていた。京都・一条堀川の戻橋は橋占の名所でもあった。
 
大阪府東大阪市の瓢箪山稲荷神社で今も行われる辻占は、通りすがりの人の言葉ではなく、その人の性別・服装・持物、同行の人の有無、その人が向かった方角などから吉凶を判断する。まず御籤で1~3の数字を出し、鳥居の前に立って、例えば御籤で2が出れば2番目に通った人の姿などを記録する。その内容を元に宮司が神意を伺うのである。
 江戸時代には、辻に子供が立って御籤(これも一種の占いである)を売るようになり、これも辻占と呼んだ。前述の辻占とは独立に発生したもので、直接の関係はない。さらに、辻占で売られるような御籤を煎餅に入れた辻占煎餅(フォーチュン・クッキーはここから派生したもの)が作られ、これのことも辻占と呼んだ。石川県の金沢市には正月に色とりどりの辻占煎餅を、縁起物として家族で楽しむ風習があり、現在も和菓子店における辻占の製作風景は、年末恒例の風物詩となっている。

■下駄の歯入れ屋(げたのはいれや);江戸時代はリサイクルの時代でした。落語「紙くず屋」より
 簡単に物を捨てない。日常の道具や衣類は繰り返し修理再生して使い込んだ。その例として、割れた茶碗は焼き接ぎ屋に頼んでつないでもらった。鍋やヤカンの底が穴が開いたら、鋳掛け屋に頼んでふさいでもらう。桶や樽が緩んだら、タガ屋に頼み、桶の廻りを締め付けているタガを締め直してもらうか、交換してもらった。キセルも同じ事で、前後の火皿と吸い口を外しそれをつないでいる竹、羅宇(ラオ)を交換してもらった。それの交換職人をラオ屋といった。下駄の歯が磨り減ったら、歯入れ屋さんに交換してもらったし、提灯の張り替えも出来た。ロウソクのたれ流れて溜まったのは、買いに来て再生された。かまどに溜まった灰も肥料として再利用された。
 下肥には江戸市中のトイレから糞尿を買い求めていった。集める人はお百姓さんで、オワイやさんと呼ばれていました。江戸はどの世界各地の都市よりも清潔で、野菜に変換されていった。衣類も着物に仕立てられ、使い古されると古着屋に出されたり、ほどいてオシメや雑巾になり、火付けの口火になったり、鼻緒になったりした。
 ところで紙も貴重品だったので、捨てることはしなかった。家庭内では襖の下張り等に使ったし、紙くず拾いや、紙屑屋さんが各家庭を廻って買い集めていった。今でも新聞紙や資源ごみは回収されています。

 落語にも紙屑屋さんが出てくる「子別れ・上」、「らくだ」、「井戸の茶碗」等がそうです。また、羅宇屋さんは「紫檀楼古木」に、オワイやさんは「汲みたて」、「ざこ八」に、タガ屋さんの噺は「たがや」に描かれています。古着の噺では「江島屋騒動」、「五月雨坊主」、「八百屋お七(くしゃみ講釈)」が有りますし、鋳掛け屋さんは「いかけ屋」、焼き接ぎ屋は「両国八景」、などがあって、江戸庶民を描いた落語の世界には多くのリサイクル業者が生き生きと登場します。

叔父さんの家に泊めて貰う;お鶴さんと仙吉が駆け落ちで四ッ谷の叔父さんの所に夜分お邪魔する。2階に二人を上げて、雷が鳴らなくったって二人は同じ布団の中で朝を迎えます。
 落語「宮戸川」のシチュレーションと似ています。
 物分かりの良すぎる”飲み込みの叔父さん”は気を使いすぎて、案の定お花と半七をいい仲と勘違いして、2階に上げてしまう。布団は1組しかない。
 「いっしょの布団ですが、離れて寝て下さいよ」、「良いですよ」。背中合わせの寒さかな。「半ちゃん、雨が降ってきましたよ」、「私が降らせているのではありませんよ」その内雷になり「半ちゃん怖い、何とかして」、「こっち向いてはいけませんよ」、雷は近づきカリカリカリ、近所に落雷して、お花は半七にかじりついてしまう。ビン付け油と化粧の匂い、冷たい髪の毛。半七も思わずお花を抱き寄せ、裾は乱れて、燃え立つような緋縮緬の長襦袢から覗いた雪のような真っ白な足がス~と。木石ならぬ半七は、この先・・・、本が破れて分からなくなった。
 飲み込みの叔父さんは翌朝、二人の家に行き、交渉の末、割れない二人を一緒にさせます。

大川(おおかわ);現在の隅田川。浅草付近の大川は宮戸川とも言った。

仙さんこれでお替わり;オチに使われる言葉。茶碗で無く、丼でも無く、おひつを出して、これでお替わりを所望する仙さん。



                                                            2019年4月記

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