落語「商売根問」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「商売根問」(しょうばいねどい)より


 

 アホの出てくる落語は多いようでそんなには多くありません。この噺もホンにアホかというとそうでもなさそうです。
 「お前のことを世間では、アホと言ってる。それでは嫁の来手がないぞ」、「だったら、家の花子をもろうておこう」、「あれは、お前の妹だよ。兄弟で夫婦になれるかい」、「家では親同士で夫婦やがな」。なるほどね~、なんて気になってきます。こういうのが二人集まるとメチャクチャになります。
 「そんなところで竹の棒を振り回してどうしたん」、「天の星を書き落とそうと思っているや」、「アホやな~。そんなもので届くかぃ。屋根に上がれ」。これが三人連れになると複雑になります。
 「兄さん、来年の3月の節句と5月の節句とどっちが先に来るだろう」、「アホやな~。来年になってみないと分かるかぃ」、そばにいたおとっつあんが、「やっぱり兄は兄だけのことはある」。

 

 「こんにちわ」、「まぁまぁそこへ座り・・・。いや、きのうもお前のお母はん来てえらいぼやいてたで、この頃家帰ってへんそぉやないか?」、「へぇ、この頃我が家へご無沙汰してまんねん」、「だいたい今お前はどこにいてんねん? 」、「あんたの目の前に座ってまっしゃないかい」、「いや、それは分かってるわいな。どこにオイド落ち着けてんねんや?」、「座布団に落ち着けてまんねん・・・」、「寝起きするところを尋んねてんねん」、「お陰さんで布団の中で寝起きしとりまんねん」、「どこに棲(す)んでんねや? っちゅうねん」、「『棲んでる』てあんた、狸みたいに言ぃなはんな。それやったら目下のところ十階の身の上ですわ」、「『十階』こらまた高いところやなぁ、ビルに住んでんのんか」、「よその二階に厄介になってるさかいに、二階と厄介と合わせて・・・」、「それやったら居候やないか、そらいかんがな。で、何ぞ銭儲けはやってないのんか?」。

 「いっ時、『鳥取り』ちゅうのんやってましたで」、「鳥取りちゅうたら何や」、「鳥を捕まえるさかいに鳥取りですわ」、「鳥刺しと違うのんかえ」、「鳥刺しは一羽二羽と捕まえるが鳥取りは違うぇ。五十羽でも百羽でも雀がいてたらいてるだけの雀をいっぺんにパ~ッと捕まえまんねやで」、「どないすんねん」、「あんた伊丹の名物で、『こぼれ梅』っちゅうのん知ったはりまっか」、「あぁ、味醂粕のことか」、「その味醂粕のこぼれ梅と、南京豆の殻かぶった、瓢箪みたいな形した、あれをぎょ~さん買ぉてきまんねやがな」、「どないすんねん」、「上町にね、わたい心安いお寺がおまんねん。そこの庭にぎょ~さんの雀が集まって来よるんですわ。で、そこの庭行て、まずこぼれ梅をベタ一面にバラバラバラバラ~ッと撒きまんねん。あっちこっちから雀がチュンチュンチュンチュン飛んで来よって、このこぼれ梅を見付けよりまんがな。『ちょっと、チュン吉っつぁんに、チュン左衛門はんに、チュン兵衛はんに、おチュンさんも、みな寄って来なはれ。いま人間が下にあんな美味そぉなもん撒いていきましたで、あれみんなで食いに行こやおまへんか』と、雀が雀の言葉でこぉいぅこと言ぅとるわけでんなぁ。ほんだら中に一羽、用心深い雀っちゅうのがおってね、『ちょっと待ちなはれあんた。こら何ぞ計略やも分かりまへん』いぅて警戒してなかなか降りて来よりまへんねん。と、一羽遅ればせに辰巳の方角から、『チュチュウ、チュウチュウ、・・・』と、飛んで来たんが江戸っ子の雀ですわ」、「雀に江戸っ子てなもんがあるのんか」。
 「吉原雀のチュン太郎いぅやつでね、粋な雀でっせ。豆絞りの手拭を肩へポイッ」、「嘘つけ、アホ。雀がそんな格好(かっこ)するかえ・・・」、「『おぅおぅ、おめぇっちは何をしてんだい?』と、これ江戸っ子で言ぃよりまんねん、『あぁ、こらお江戸の兄さんでっかいな。いま人間が下にあんな美味そぉなもん撒いていきましてんけども、こら何ぞ計略やも分からんちゅうて、わたいら用心してまんねん』言ぅたら江戸っ子が、『なにを、べらぼぉめ』てなこと言ぃよってね。『だから贅六(ぜぇろく)雀は嫌だってんだ、何が恐ぇんだい。昔から、『虎穴に入らずんば虎児を得ず』てぇことがあらぁ、『高けぇとこに登らなきゃ熟柿(ずくし)は食えねぇんだ』。おいらがこれから手本を示してやるから見てなよ』っちゅうなり、この江戸っ子の雀が飛んで来て、このこぼれ梅をちょいッとつまんでバタバタバタァ~ッと戻って来よる。『あ、お江戸の兄さん帰って来た。何ともおまへんか?』、『何ともありゃしねぇよ、なかなか口当たりのいぃオツなもんだよ。おめぇっちもやってみな』てなこと言ぃよってね。こんなん言われて食いに行けへんかったら大阪雀の名折れになりまんがな。地元代表てな勢いのえぇ雀が、『チュチュウ、チュウチュウ、・・・』飛んで降りて来て、このこぼれ梅をちょいとつまんでバタバタバタァ~ッと戻って来よる。河内の雀が、『チュチュウ、チュウチュウ』ちょいとつまんでバタバタバタァ~ッ。チュチュウちょいバタ、チュンちょいのバタっちゅうやつでんなぁ。さぁしばらくしてもぉ大丈夫やっちゅうことが分かったら、そこらじゅうにおった雀がバァ~ッと集まって来よって、『チュチュウ、チュウチュウ、・・・』、ウイッ、『ヂュウヂュウヂュウ・・・、ヂュウヂュウヂュウ・・・』、ウイッ、『ズ、ズゥズゥズゥ・・・、ズ、ズゥズゥズゥ・・・』」、「なんやねん、その、『ズ、ズゥズゥズゥ』ちゅうのわ」。
 「あんた、このこぼれ梅ちゅうのは味醂の粕でっせこれわ。アルコール分が大量に含まれてまんがな、チュチュウチュウチュウと食べてるあいだに段々酔いが回ってきよって・・・、『ズ、ズゥズゥズゥ・・・』、「雀が酔ぉてくるっちゅうのんか」、「そぉ、雀が酔ぉてきよりまんねやがな。ヒョロヒョロ・ヒョロヒョロ千鳥足と言ぃたいけれども、これは雀足でんなぁ、『だいぶにえぇ具合になってきたなぁ。誰ぞ何ぞやりぃな』てなこと言ぃよってね、『ほんだら、わたいが黒田節でもやらしてもらいまひょか』木の葉か何か当てよって、『♪ちゅ~らチュウチュウ、ちゅ~ちゅらチュウチュウ。ぅわぁ~ッ・・・』と、あくびの一つも出た時分を見計ろぉて、ここで南京豆をバラバラバラバラ~ッと撒きまんねん」、「何やねんな、それは」、「眠とぉなってるとこへ南京豆が飛んで来てまんねやで、『あぁ~、こらえぇ枕が来たわ』言ぅて、それを枕にグ~ッと寝込んでしもたところをチリトリとホォキで集めまんねん」。
 「よぉそんなアホみたいなこと考えたなぁお前・・・。ほんで、それやったんかい」、「やりました」、「うまいこといたか」、「さ、こぼれ梅を撒いて雀がチュンチュン飛んで来るところまではうまいこといたんですわ、『今やッ』と思て、南京豆をバ~ッと撒いたら、その音にビックリして、みなパ~ッと逃げてしもてね、何やかんやでえらい損ですわ」、「損したらあかんやないかえ」、「この損を取り返さんならんと思て、だいたい雀みたいなもんは何ぁん羽捕まえたかてたかだか知れてまんねん。もっと一羽で銭になるもんをと思て、今度は鶯(ウグイス)捕まえたれ思て・・・」。

 「お前なぁ、鶯てなもんはそぉそぉそこらにおらんねやで」、「それがいてまんねんやがな。わたいの知り合いの家の近所に、鶯がよぉ飛んで来るっちゅうこと聞ぃてまんねん。そこでこの鶯を捕まえる方法といぅものを、三日三晩といぅものは・・・」、「お前の三日三晩あてにならへんやないかえ」、「今度はねぇ、洗濯に使う糊がおまっしゃろ、それからご飯粒が少々と絵の具と墨で捕まえまんねん」、「たいした工夫やあれへんがな、そんなもん」、「こらよぉ考えてまっせ。まず糊ん中にね、絵の具と墨をパパッと放り込みまんねん。これをガ~ッとかき混ぜると黒いよぉな茶色いよぉな黄色いよぉな、わけの分からん色になりますわ。で、この糊を手ぇのこっからこれへかけてベタ一面にダ~ッと塗りたくりまんねん。ほんで、その家の台所の天窓へ梯子を掛けて上まで登って行て、手の平にご飯粒ちょっと乗して、天窓からこの手を外へ向けてグ~ッと突き出しまんねん」、「何しとんねん、それは」、「あんた、まだ分かりまへんのんかいな、これがどぉ見ても梅の古木といぅことになってまんねやがな。ほんで鶯が飛んで来たら、『あ、梅の木があるわ』言ぅて、梅に鶯付きもんでんがな、この手に止まりまっしゃろ。ご飯粒を食おと思て手の平に止まったやつをガバッ」、「ほんでそれ、やったんかい」、「やりましたがな。何でも朝早よぉから飛んで来るっちゅうこと聞ぃてたんでね、早よぉから起きて行て、糊ん中に絵の具と墨をパパッと放り込んで、ガ~ッとかき混ぜたら、ほらえぇ色んなって、手にサ~ッと塗りたくったら我ながら惚れぼれするよぉな梅の古木ができあがった。さぁ、これやったら少々目のえぇ鶯でも誤魔化されるやろなぁと思て、その家の台所の天窓へ梯子を掛けて、上まで登って行って、手の平にご飯粒をチョ~ンと乗して、天窓からこの手をグイ~ッと突き出したんが朝の八時ですわ」。
 「ホンに早いなぁ」、「いつもやったら寝てる時分でっせ」、「ほんで何かえ、肝心の鶯飛んで来たんか」、「ジ~ッと待ってんねんけど、八時が九時になり、九時が十時になり、十時が十一時が十二時になっても鶯飛んで来よりまへんねん。もぉこれ、ジ~ッとしてたら手ぇは痺れてくるしね、肩凝ってくるし、しまいに頭ボ~ッとなってきよって、『もぉ止めよかなぁ』と思てたら、辛抱はせんならんもんでんなぁ、お昼をちょっと過ぎた時分に、『ホォ~、ホケキョ』といぅ声が聴こえた」、「来たか」、「来ましたがな。さぁここやと思うさかいに、この手をグ~ッと突き出して辛抱してると、ついに鶯がこの手に止まった」。
 「ほぉ、掴んだんかい」、「あきまへん」、「何で」、「ほな根性悪い鶯でっせ、手の平へ止まると思てたら手首のこんなとこへ止まりやがった。この脈打ってるとこ、小ぃちゃい足でコチョコチョ・コチョコチョ歩き回るさかい、もぉこそばいの何の笑いこらえて、わて腹波打ってまんねやがな。けど、ここでクスッとでも笑ろてみなはれ、手は動くは鶯逃げてしまいまんがな、そこでこの手をピクとも動かさんよぉにジ~ッと辛抱してると、やがて鶯が山越え谷越えついにこの手の平へ止まった」、「ほぉ、今度は掴んだんやな」、「まだあきまへん」、「何でやねんな」、「これベタ一面に糊塗ってしもてまんねやがな。ほんでこれ、朝の八時からお昼過ぎまでお日ぃさんに晒しどぉし、指がカチカチに固まって曲がれへん。ここでこの指曲がれへんかったら、今までの苦労が水の泡でんがな、『何とか・・・』と思て指にグ~ッと力入れてたら足もとがお留守になってしもて、梯子の上からこのままドテッと落ちてしもてね、まぁ梯子段は四本折れたけどアバラは一本で済んだがな」、「喜ぶな、そんなこと」、「医者にかかるわ、薬代は要るわ、えらい損ですわ」、「損したらあかんちゅうのに」、「この損を取り返さんと・・・」。

 「もぉ、こぉなったら普通のもん捕まえたんでは間に合わんなぁと思たんでね、天王寺の動物園行きました」、「ほいでその、『動物園にもおらんよぉなもん』てなもん見付かったんかい」、「いてましたがな」、「何がや」、「ガタロ」、「ガタロちゅうたら何や」、「東京では河童、大阪関西ではガタロちぃまんねん。こいつが天王寺動物園にはおらん。何万円に売れるやろと思て」、「何万どころか、何千万に売れるや分からんで・・・。ほんでそのガタロォちゅうのは、だいたいどこにいてんねん」、「はぁ? 本町の橋の下へ行きました」、「何かえ、あんなところにガタロがいてんのんか」、「親によぉ言われましたで、『これ、日が暮れに橋の下へ行くねやないで。ガタロが出るで』言ぅて。本町はねぇ、ガタロの本場でっせ」、「ほんで何かい、ガタロちゅうのはどないして捕まえんねん」、「ガタロといぅのはねぇ、人間のケツから生き血を吸ぅとか、尻子玉(しりこだま)を抜くとか言ぃまっしゃろ。せやさかいに、こぉケツをバ~ッと出したらガタロがグッと手ぇ伸ばしてくるやろと思て、『餌にするさかいケツ貸してくれ』言ぅて頼んで回ってんけど、誰ぁれも嫌がってケツ出せへん」、「誰が出すかい、そんなもん」、「誰も出してくれへんねんやったら、もぉ自分で自分のケツ出さなしゃ~ないがな。で、ガタロが手ぇ伸ばしてきたら、そいつを掴んで棒でどついて縄で括って引っ張って帰ったろ思てね、棒から縄まで用意して本町の橋の下へ降りて行て、わたいケツをこぉバ~ッとまくって川に向こてグ~ッと尻を突き出してたん」。
 「お前、そんなアホなことホンマにやったんか。ほんで、肝心のガタロ手ぇ伸ばしてきたんか」、「さぁ、それが・・・、どぉいぅわけかひとっつもガタロ手ぇ伸ばしてきよりまへんねやがな。ジ~ッとこないして待ってんねんけど、川は冷たぁ~い水が流れてるだけやしねぇ、ほいでまた冷えてきまっしゃろ。あんとき痔ぃになってまだ治れへんがな。辺りは段々暗ぁなってきよるしね、ケツが川からあんじょ~見えてなんだらいかんなぁ思たんで、持ってた懐中電灯でおのれの尻をバ~ッと照らしながら、こないしてジィ~ッと辛抱してしゃがんでたん。ほで、何の気なしにヒョイと上見上げたらね、いつの間にやら一面の人だかり」、「たかるわ、そんなことしてたら」、「大勢寄って、みながなんやかやワァワァ言ぅてまんねん、『もし、あの人あんなとこしゃがんで何してはりまんねやろなぁ?』言ぅて、ほんだら中の一人がね、『わたい、四時間ほど前にこの前通って玉造へ行たんですわ。ほで用事済まして帰(かい)って来たら、まだあないしてケツ出してまんねん。かわいそぉにあの人、よっぽど腹下してまんねやで』いぅて、もぉ聞ぃててちゃんちゃらおかしぃ」、「お前がちゃんちゃらおかしぃわい」、「中にとぉとぉ辛抱でけんよぉになったやつが一人、『もし、あんたそんなとこしゃがんで、何したはりまんねん』言ぅさかいに、『わたい、こないしてガタロ釣ってまんねん』言ぅたら、みながワァ~ッ大笑いなってね、わたいその笑い声でフラフラ~ッとなって川の中へドボ~ンとはまってしもたん。さぁ、一生懸命に向こぉ岸まで泳いで行て、やっとの思いでたどり着いてバ~ッと這い上がったら、そこにおった子供が、『キャ~、お父ちゃん、川からガタロが出たぁ~』。あんじょ~、わたいがガタロにされてしもたがな」。

 



ことば

オイド;《「いど」はすわる所の意》、尻(しり)をいう、もと女性語。
 大阪ことば事典によると、臀部、尻、股。オシリよりは上品な語とされる。イドの語源はイドコロ(居所)で、坐るところの意で、それがイドと約まったもの。

こぼれ梅;みりんの本場、愛知県の三河地方の醸造元で搾られたみりん粕(かす)です。そのままお召し上がり下さい。 アルコール分を含んでいますので、食べ過ぎると酒酔いされる場合があります。原材料名 もち米、米こうじ、アルコール。
 「庭の雀 (すずめ)にえさをまき、南京豆をまくらに寝込んだところを捕まえようと・・・」。 ご記憶の方も多いはず。そう、故・桂枝雀師匠の十八番 (おはこ)、上方落語の『サギ (鷺)とり』だ。でもこのえさが何かと聞かれると・・・。はて? それが今回の主役、「こぼれ梅」です。 といっても、梅そのものはこれっぽっちも関係ない。実はこれ、みりんを造るときのしぼりかす。ほろほろした様子が、梅の花が咲きこぼれるさまに似ているから名付けられたとか。関西では昔から、神社の参道や商店街でおやつとして売られていたらしい。そのまま口に入れるだけ。上品な甘さが広がる。
  株式会社 さん志ょうや本家の商品説明より。 桂枝雀の落語「鷺取り」より孫引き

上町(うえまち);現在、大阪市中央区の町名。現行行政地名は上町一丁目および上町A・上町B・上町C。
 上町台地は、縄文期には東西を河内湾と瀬戸内海に挟まれていた半島状の砂嘴だったと考えられており、弥生期から現在に至る期間を経て台地東部(東成地区の語源と言われる)は淀川・大和川水系から運ばれる大量の土砂が堆積し、河内湾が河内湖、湿地帯を経て沖積平野となり、台地西部(西成地区の語源と言われる)も同じく河川の働きにより大阪市の中枢部を含む平野を形成するにいたった。台地東部への下りが比較的なだらかなのに対し、台地西部への下りが急峻であるのは台地東部が淀川・大和川水系の上流に位置し、土砂の堆積量が豊富なためで、台地西部は標高が低く大阪湾平均水面より低いゼロメートル地帯が広く分布している。なお、台地の標高は最も高い大阪城天守閣跡で38mであり、北部はストンと淀川水系の大川に落ち込み、南部へはなだらかに下り北の大阪城大手町付近で24m、中央部の天王寺交差点付近で16m、帝塚山付近で14mの標高を保つが、南部の万代池南方から急速に標高を失い住吉大社付近で6mとなり細井川を越えた台地南端の住吉区清水丘では標高は2~3mとなっている。
 上町台地上には「○○山」や「○○丘」という地名が多く、北から天王寺区の「真田山」、「北山」、「桃山」、「夕陽丘」、「茶臼山」、阿倍野区の「晴明丘」、「丸山」、住吉区の「帝塚山」、「清水丘」と続く。

■辰巳の方角(たつみの ほうこう);日本では、北東(艮=うしとら)は十二方位の丑と寅の中間なので丑寅(うしとら)、同じように、東南(巽=たつみ)は辰巳(たつみ)、南西(坤=ひつじさる)は未申(ひつじさる)、西北(乾=いぬい)は戌亥(いぬい)とも呼んでいました。
 右図参照。

贅六(ぜぇろく);江戸っ子が上方(かみがた)の人をけなしていったことば。上方贅六という。もともと人をののしって毛才六(けざいろく)(青二才(あおにさい))ということがあり、その才六が江戸っ子ことばでゼエロクとなり、擬人化されたといわれる。才六はばか、あほう、つまらぬ者の意。     1811年(文化8)に刊行された『客者評判記』には、「上方の才六めらと倶一(ぐいち)にされちゃアお蔭(かげ)がねへ」などとある。関西が長い文化の伝統をもっているのに対して、江戸は新興都市であったから、コンプレックスの裏返しの心理とみることができよう。贅はよけいなものの意であり、六も宿六(やどろく)、甚六(じんろく)などのように、あまり役にたたない者に対して、卑しむ気持ちを表現したことばである。
 日本大百科全書(ニッポニカ)

虎穴に入らずんば虎児を得ず;大きな成果を得るためには、身の危険を冒すことも必要だというたとえ。
 「後漢書―班超(はんちょう)伝」に登場する、武将、班超の名ゼリフ。一世紀、後漢王朝の時代の中国でのこと。西方の異民族の国に使節として派遣された班超は、敵対する別の異民族の使節が、多数の兵士を連れて来ているのと鉢合わせします。身の危険を感じた彼は、夜陰にまぎれて敵を不意打ちすることを決意。そのときに仲間たちに向かって告げたのが、「虎穴に入らずんば虎こ子しを得ず(虎が住むほら穴に入らなければ、その中にいる虎の子を手に入れることはできない)」。そう言ってみんなを発憤させた結果、敵を打ち破ることに成功、班超は西方諸民族を平定した英雄となった。

高けぇとこに登らなきゃ熟柿(ずくし)は食えねぇんだ;『危ないところに登らねば熟柿は食えぬ』。上記の『虎穴に入らずんば虎児を得ず』と同意語。

大阪雀(おおさかすずめ);大阪に住む雀。

河内の雀(かわちのすずめ);江戸時代までは河内(かわち=大阪東部の旧国名)地方に住む雀。

(ウグイス);全長15.5cm(オス)。細身でオス・メス同色ですが、メスは2cmほども小さいのが普通です。日本では全国の平地から山地の林やその周辺にある藪で繁殖します。秋冬には山地のものは平地へ下ってきます。その頃は「チャッ チャッ」という声を出しています。「ホーホケキョ」。この鳴き声ゆえに、知らぬ人はいない、日本人にいちばん親しまれている鳥といえるでしょう。いつもヤブの中にかくれていて姿を見せないことが多いのですが、声ははっきりきこえます。ホーは吸う息、ホケキョは吐く息、胸をいっぱいふくらませてさえずります。「ホーホケキョ」と鳴くのは早春ということになっていますが、山登りをする人なら、「ホーホケキョ」は春先から盛夏まで聞くことができます。早春、人里で上手に「ホーホケキョ」と鳴く練習をしていたウグイスは、春の深まりとともに山へ帰って、巣づくりをするのです。また、オスが繁殖期に出す声のひとつを「谷渡り」といい、警戒を意味するといわれています。 うぐいす色といわれて私たちが思いうかべるのは、「うぐいす餅」などの色彩ですが、実際のウグイスの羽色は緑よりも暗緑茶色です。ササやぶの中でえさをとり、あまり木の上の方にはいない。こん虫のほか、じゅくしたカキなども食べる。

 

天王寺動物園(てんのうじ どうぶつえん);大阪市天王寺区茶臼山町1-108。地方独立行政法人天王寺動物園。1915(大正4)年1月1日、日本で3番目の動物園として開園。2015年(平成27年)には開園100周年を迎えた長い歴史を持つ動物園です。現在約11ヘクタールの園内におよそ180種1000点の動物を飼育しています。
 開園1番上野動物園1882(明治15)年、2番京都市動物園1903(明治36)年、4番甲府市動物園1919(大正8)年。

都心にいながら、様々な動物たちに出会えます 都心にいながら、様々な動物たちに出会えます

 天王寺動物園のキリンとライオン。

ガタロ河太郎の訛。河童(かっぱ)。落語「代書屋」に出てくるガタロは、大阪の俗語で、本来は河童の意味(広辞苑)であった。川太郎(かわたろう)が訛ってガタロになったとも言われる。大坂の東横堀のクランク状に曲がった、本町橋と農人橋との間には(中央区役所辺り)、ガタロが棲んでいるから川岸で遊んではいけないと、きびしく止められていたという。ガタロ転じて、川さらいの淘屋(よなげや)=廃品回収業者を指したものである。
  天王寺区谷町筋の源聖寺坂上(天王寺区生玉町2)に、戦前まで河太郎横町(がたろよこまち)という小路が有ったが、このガタロは横堀や道頓堀川の浅いところで川の中の泥を大きないかき(ざる)ですくい上げては、その中の落とし物(金属類)を拾い集めるのを商売にしていた人達が多く住んでいたので、この俗称が出来た。
 右図:大坂ことば事典 牧村史陽編 四世長谷川貞信画 「ガタロ」。
 二代目枝雀は、落語「代書屋」で男が名乗る職業をガタロから「ポン」(=ポン菓子の行商人)に変更して、ポン菓子ができる際の「ポーン」という音を、大きな動きとともに口演するところでオチとする、大幅な改変を行った。米朝一門会において、枝雀が前トリで同演目を演じた際、大トリの米朝は、「ほんまは大食いのオチなんですけど、あんな派手な噺やなかったんですが・・・」と苦笑した。二代目小南は、女郎買いのくだりを当世風に、「ストリップを見に行きました」とアレンジした。

 落語「代書屋」から孫引き

本町の橋(ほんまちのはし);本町橋は現役の橋としては、大阪市内最古の橋です。初代本町橋は、豊臣秀吉が大阪城築城に際して東横堀川を外堀として開削した時に架けられたと考えられている。江戸時代には公儀橋(幕府直轄管理(12橋あるうちの1つ))であった。
  橋の東側は商業地となり、今のシティプラザ大阪の前には石畳が敷かれ荷揚場になっていた。また橋詰の北東側には享保9年(1724)の大火事以降に西町奉行所が設置された。天明7年(1787)の文献によれば、橋長約54m、幅員5.9mの木橋であったとされている。現在の橋は、本町通が市電道路として拡幅された大正2年(1913)5月に架け替えられたもので、3連の鋼アーチが、ルネサンス風のデザインをもつ石造りの橋脚に支えられた重厚な構造の橋となっている。
  平成24年2月に大阪市指定文化財として指定された。上写真。

  この橋と南にある農人橋(のうにんばし)のあいだには「本町の曲がり」と言われる流れの複雑な所があり、溺死者が多くでた。陰気な場所なので子供を遊ばせることを嫌って、親たちはカッパが出ると子供を脅して遊ばないようにしていた。

尻子玉(しりこだま);肛門の所にあると想像された玉。 河童が好んで引き抜くという。
 肛門のところにあると想像される玉のことで、これをかっぱにとられたら死んでしまいます。『広辞苑』では「想像上の玉」であるという…言ってみれば大便の垂れ流しを防ぐラムネの玉のような肛門の蓋の役割を考えていたのであはあるまいか。

河童(かっぱ);日本の妖怪・伝説上の動物、または未確認動物。標準和名の「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)とも言う。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各地方によって異なるが、芥川龍之介の1927年の小説『河童』によって知名度が上がり、代表的な呼び名となった。類縁にセコなどがいる。水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいう。鬼、天狗と並んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとされる。具体例としては各地に残る河童神社、河童塚(鯨塚、道具塚と同じ)がある。
 セコ=2,3歳ぐらいの子供の妖怪で、河童が山に登ったものとされる。鹿児島県以外の九州地方と島根県隠岐郡に伝わっている。

 

 東京上野公園に白昼現れた河童。



                                                            2022年2月記

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