落語「よかちょろ」の舞台を行く
   

 

 八代目桂文楽の噺、「よかちょろ」(よかちょろ)より


 

 大店の旦那は奥でカンカンになっている。息子が200円の集金に行ってそのまま3日も帰ってこない。お金を持たせたら遊ぶことしか考えていない息子に集金に行かせた番頭さんもいけないと、とばっちりが来た。「帰ってきたら私の所まで来させて下さい」。

 手が鳴っているので見ると若旦那。旦那はカンカンになっていると告げた。「今日はお聞きしたい。吉原に行かれるが、親旦那様と、花魁のどちらが大切なんですか」、「番頭、親父は天にも地にも掛け替えのない父親だ。そりゃ~、花魁に決まっているだろう。花魁が言うんだ、『私と貴方は同じホシの下にいるんだわ。貴方は梅干しのようだわ』と言うから、真面目に答えろというと『私がスイているからだ』と言うんだ。どうだ番頭」。「旦那様がお呼びです」、「では、親父の所に行って意見するよ。親父は癇癪持ちだから、銀の延煙管で私の頭を叩くよ。私はかまわないが、私の身体は花魁の物なんだ。その花魁の物にキズを付けたら花魁が怒るよ。花魁が私の傷を見たら、『何処で喧嘩をしてきたの』、と言うよ。いや、親父に叩かれたと言ったら番頭どうなる・・・」、番頭の首を締め上げた。「若旦那、いけませんよ、仕方話は・・・。」、「花魁は言いますよ『実の子供を傷つけるとは何事です。親父は人間の抜け殻です。食事だけ与えて、死なないようにしておけば良いのです』」、旦那は奥でおかんむり。「番頭、親父がポカリとやりそうになったら、後ろに座っていて私の代わりに叩かれてくれ」、「御免被ります」、「では、1回現金で2円出すよ」、「引き受けました」、奥で旦那が早く来いと怒鳴っている。

 示し合わせて旦那の前に。「お父っつあんごきげんよう」、「チットモご機嫌は良くない。何が人間の抜け殻だ。その抜け殻のお陰で道楽が出来るんだ。お前に兄弟がいれば家に置く人ではないんだ。集金は済んだのか」、「与田さんとこで勘定は確かに十円札で二百円もらったが、使ってしまった」、「幸太郎、200円と言えば1日では使い切れる金額ではない」、「お言葉ですが、無駄な使い方はしていません」。
 「よ~し、親の前で言えるか」、「申し上げた方がよろしゅうございます」、「もし、10銭でも無駄があったら承知しないぞ。親をバカにして。幸太郎、親に小言を言われたら、しおれているとかすればまだ良いが、親に反論するようではいけない。では言ってみろ」、「”ひげそり”が5円と願います」、「何人分の顔だ。お前ね~、30銭もあれば顔中綺麗にしてくれるし、50銭も出せば耳掃除までしてくれる。親をバカにして」、「お父っつあんの言うのは床屋の話。私は花魁のいる12畳の角部屋、縮緬の座布団を2枚敷いて正面に花魁、横に新造、後ろに床屋の若い衆が立ってます、前に金だらいがあって、ぬるま湯が入っています。横には豆ドンが居眠りをしています。そして、猫がいたりいなかったり。私は花魁の部屋着を着ています。花魁のしごきを締めています。そして反り身になってこう言う形。お父っつあん見て下さいよ」、「見ていますよ」、「花魁が顔を湿してあげるからこちらを向きなさい」、と、お父っつあんをこちらに向けてしまう。
 お父っつあんを見立てて話を始めるが、「もう良いよ、ひげそりは。他は何に使った」、「”よかちょろ”を45円と願います」、「よかちょろって何だ」、「お座敷で使う物で、安くて大量に買っておきました」、「お前は、商人の倅だ。裏の蔵が空いているんだ、見せなさい」、「ご覧に入れます、『♪え~ぇ~、女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッ・ハ・よかちょろ、主に代わりてエ~エ玉だすきィよかちょろすい~のすい、してみてしんちょろ、味見ちゃよかちょろ、 しげちょろパッパ。』これで45円」。

 「婆さん、そこで笑っていたら駄目だよ。二十二年前に、おまえの腹からこういうもんができあがったんだ。お前の畑が悪いからこ~ゆうのが出来る」、「貴方は畑が悪いと言うが、クワも良くない。幸太郎が自分の家のお金を喜んで使ってるんだから、それをお小言をおっしゃるのはどういう料簡です。それに、あなたと幸太郎は年が違います」、「親子が年が同じでたまるかい」、「いいえ、あなたも二十二の時がありました。あなたが二十二であたしが十九で、お嫁に来たとき三つ違い。今でも三つ違い」、「なにを、バカなことを言ってるんだ」。
 若旦那ご勘当になるというバカバカしいお話でした。

 



ことば

山崎屋の前編;で、道楽者の若だんなが番頭の知恵でおやじをだまし、めでたく吉原の花魁を身請けして、かみさんにするという筋です。本体の落語「山崎屋の発端を初代遊三が改作したものと云われていますが、今では別の噺とされて口演されています。ですから、サゲらしいサゲはありません。八代目桂文楽が十八番にしていた噺です。

初代三遊亭遊三(さんゆうてい ゆうざ);(1839年(天保10年) - 1914年(大正3年)7月8日)は主に明治期に活躍した落語家。本名:小島長重(こじまながしげ)。 元々徳川家に仕えた御家人の生まれで、正しくは小島弥三兵衛長重と言う。その頃の御家人の例に漏れず、武士の階級でありながら芸人仲間に加わり好きな芸事に耽溺していた。幕末頃二代目五明楼玉輔門人となり玉秀と名乗って寄席に出るようになる。周囲の猛反対や組頭の叱責も意に介さず雀家翫之助と改名して寄席に出演を続けていた。
 慶応4年(1868)の上野戦争には彰義隊の一員として参加した。維新後は司法省に入り裁判官の書記を経て判事補となるなど完全に寄席から離れる。だが、函館で勤務中、関係を持った被告の女性に有利な判決をするという不祥事を引き起こし免職にさせられる。それがきっかけで居られなくなり女性をつれて東京へ戻る。 帰京後、口入屋などをしていたが、弟弟子であった初代三遊亭圓遊(本名:竹内金太郎)を頼って寄席に復帰したが、師が女性問題で駆落ちしてしまい、止む無く三遊亭圓朝の進めで圓遊門人となり三遊亭遊三となる。御家人生まれだけに「素人汁粉」など武士の演出が優れていたという。十八番は「よかちょろ」で「よかちょろの遊三」とまで呼ばれた。他に「転宅」、「厩火事」、「お見立て」、「権助提灯」、「疝気の虫」などの滑稽噺を得意とした。五代目古今亭志ん生が若い頃、遊三の「火焔太鼓」を聞いて、後に自身の十八番とした話は有名である。
 門人には義理の甥にあたる二代目三遊亭遊三、夭折した初代三遊亭三福、小遊三(後の六代目橘家圓太郎)、三玉(六代目圓太郎の実弟)、昭和期に活躍した三代目三遊亭圓遊などがいる。
 なお、俳優十朱久雄は孫、女優の十朱幸代は曾孫である。

八代目桂 文楽(かつら ぶんらく);(1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日、満79歳没)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。 落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の五代目古今亭志ん生とならび称された。志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。 演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。
右図:桂文楽似顔絵、山藤章二画 新イラスト紳士録より

よかちょろ;明治21年ごろ流行したよかちょろ節で、
 「♪芸者だませば七代たたる、パッパよかちょろ、 たたる筈だよ猫じゃもの、よかちょろ、すいかずわのほほて、わしが知っちょる、知っちょる、 言わでも知れちょるパッパ」 という歌詞が本来だと言われますが、深い意味合いはなく、言葉の流れを追っているだけです。ですから、よかちょろは言葉のリズム遊びで、意味はありません。また、さまざまな替え歌が派生したと言われますので、私も原曲は分かりません。
 この噺は、禁演落語五十三種の一つで、戦時中の昭和16年(1941)10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目のこと。

星が合う(ほしがあう);生まれ年を、一白(いっぱく)・二黒(じこく)・三碧(さんぺき)・四緑(しろく)・五黄(ごおう)・六白(ろっぱく)・七赤(しちせき)・八白(はっぱく)・九紫(きゅうし)までの九つに分ける中国の九星。西洋式の生まれ月の星座で吉兆を占う、ものとは違う。この噺では相性が良いこと。

冥利が悪い(みょうりがわるい);神仏の加護を受けられない。また、ありがたすぎて、ばちがあたる。

仕方話(しかたばなし);身ぶり・手ぶりをまじえてする話。また、それを取り入れた落語。

銀の延煙管(ぎんののべきせる);純銀製なので、途中のラオは無く一体構造になっている。純銀製なのでたばこの熱の伝導が早く熱くなるため、連続して吸うより一服をゆっくり味わう煙管。鬼平が使っている煙管として有名。 純銀延べ煙管は持った時の柔らかい手触りと重量感が楽しめる。
 下図の煙管でも一体構造で出来ていて、素材は銀です。こんな金属の棒で叩かれたら、痛いどころか額が切れてしまいます。東京国立博物館蔵。

新造衆(しんぞうしゅう);江戸では「しんぞし」と発音します。江戸時代の吉原では花魁付きの半人前の女郎。花魁が金銭面でも仕事面でも全て面倒を見ていた。花魁が出られないときは代わりに新造が出たが、料金は同じで、床には入らなかった。

下図:「吉原花魁の部屋」 三谷一馬画 左に花魁、中央に新造、右側に禿がいます。

豆どん(まめどん);禿(かむろ)。13才ぐらいまでの女子で、遊女見習い、雑用や小間使いをした。大人と同じ時間帯で働いていたので、気が緩むとコックリをしていた。吉原では、禿から新造になり、それから一人前の花魁に育っていった。

しごき(扱き);扱き帯のこと。女の腰帯のひとつ。一幅の布を適当の長さに切り、しごいて用いる帯。女性が身の丈に合わせて着物をはしょり上げるのに用いた帯。



                                                            2015年12月記

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