落語「よかちょろ」の舞台を行く 八代目桂文楽の噺、「よかちょろ」(よかちょろ)より
■山崎屋の前編;で、道楽者の若だんなが番頭の知恵でおやじをだまし、めでたく吉原の花魁を身請けして、かみさんにするという筋です。本体の落語「山崎屋」の発端を初代遊三が改作したものと云われていますが、今では別の噺とされて口演されています。ですから、サゲらしいサゲはありません。八代目桂文楽が十八番にしていた噺です。
■初代三遊亭遊三(さんゆうてい ゆうざ);(1839年(天保10年) - 1914年(大正3年)7月8日)は主に明治期に活躍した落語家。本名:小島長重(こじまながしげ)。
元々徳川家に仕えた御家人の生まれで、正しくは小島弥三兵衛長重と言う。その頃の御家人の例に漏れず、武士の階級でありながら芸人仲間に加わり好きな芸事に耽溺していた。幕末頃二代目五明楼玉輔門人となり玉秀と名乗って寄席に出るようになる。周囲の猛反対や組頭の叱責も意に介さず雀家翫之助と改名して寄席に出演を続けていた。
■八代目桂 文楽(かつら ぶんらく);(1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日、満79歳没)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。
落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の五代目古今亭志ん生とならび称された。志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。
演じた演目の種類は多くはなかったが徹底的に練りこまれているとの定評がある。
■よかちょろ;明治21年ごろ流行したよかちょろ節で、
■星が合う(ほしがあう);生まれ年を、一白(いっぱく)・二黒(じこく)・三碧(さんぺき)・四緑(しろく)・五黄(ごおう)・六白(ろっぱく)・七赤(しちせき)・八白(はっぱく)・九紫(きゅうし)までの九つに分ける中国の九星。西洋式の生まれ月の星座で吉兆を占う、ものとは違う。この噺では相性が良いこと。
■仕方話(しかたばなし);身ぶり・手ぶりをまじえてする話。また、それを取り入れた落語。
■銀の延煙管(ぎんののべきせる);純銀製なので、途中のラオは無く一体構造になっている。純銀製なのでたばこの熱の伝導が早く熱くなるため、連続して吸うより一服をゆっくり味わう煙管。鬼平が使っている煙管として有名。
純銀延べ煙管は持った時の柔らかい手触りと重量感が楽しめる。
■新造衆(しんぞうしゅう);江戸では「しんぞし」と発音します。江戸時代の吉原では花魁付きの半人前の女郎。花魁が金銭面でも仕事面でも全て面倒を見ていた。花魁が出られないときは代わりに新造が出たが、料金は同じで、床には入らなかった。
下図:「吉原花魁の部屋」 三谷一馬画 左に花魁、中央に新造、右側に禿がいます。
■豆どん(まめどん);禿(かむろ)。13才ぐらいまでの女子で、遊女見習い、雑用や小間使いをした。大人と同じ時間帯で働いていたので、気が緩むとコックリをしていた。吉原では、禿から新造になり、それから一人前の花魁に育っていった。
■しごき(扱き);扱き帯のこと。女の腰帯のひとつ。一幅の布を適当の長さに切り、しごいて用いる帯。女性が身の丈に合わせて着物をはしょり上げるのに用いた帯。
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