落語「頓馬の使者」の舞台を行く
   

 

 山田洋次原作
 五代目柳家小さんの噺、「頓馬の使者」(とんまのししゃ)より


 

 夫婦はどうしても相手に幻滅を感じる時があります。一生涯想い続けると言うのは皆無に近いそうです。

 江戸に女房にべた惚れの男がいた。気が小さく尻に敷かれているような男・八公が、悪友に誘われ吉原に行ったが、バレて気の強く潔癖症の女房お菊さんに追い出されてしまった。相思相愛の二人だったから、夫婦喧嘩に口出すのも大人げないから、長屋の連中も放っておいたら、流行病でコロリと亡くなってしまった。

 亡くなったことを八公に知らせるのだが、熊さん大家さんの所で知恵を付けられた。八五郎は、飼い猫が死んだのを聞いただけで三日三晩寝付いた男だから、お菊さんが死んだなんて直接言ったらコロッと逝っちゃうかも知れないよ。出し抜けに言わず、遠回しに言わなければいけないよ」。
 難しい役を仰せつかってしまった熊さん。八公はうらびれた様子で家にいた。

 「熊さんじゃないか。お菊は達者かい?」、「達者、達者。何で女房もらうかね。俺は独り者だから、あんなイヤな女達とは一緒になりたくないね」、「お菊は違うんだ」、「違うことはないよ。亭主を追い出すぐらいだからね。お菊さんだって欠点がいっぱい有るよ。死んだ人間の悪口は言いたくないが・・・」、「死んだ?」、「言わないよ。達者だよ。友達だから言うんだ。役を言い付けられて、仏の悪口まで言わなければいけないなんて・・・」、「なんだ?お前、仏と言ったな」、「言わないよ。何にも言わないよ。お菊さんはそんなに良い女じゃなかった」、「なかった?それって何だよ」、「シャレだよ。お菊さんと話をしてからここに来たんだ。仮にだよ、お菊さんが死んだっておかしくないだろ、俺だって死ぬんだ」、「判った。さっきからおかしいと思ってたんだ。何時お菊は死んだんだ」、「おかしいな、達者でいるんだよ」、「お前、本当のことを言ってくれ。言いにくいんだろ。本当はお菊は死んだんだろう」、「ん~~~、死んだんじゃないんだ。ただ、横になって、息するの忘れてしまっただけなんだ。お前も諦めろよ。・・・おい、どうした、八公シッカリしろよ」、「(泣き出す八公)」、「だから大丈夫なんだよ。何で先回りして考えるんだよ・・・。お菊さんは元気だよ。そんなに心配だったら、見に行ってみろよ。お弔いには間に合うよ。仏に会えば・・・、お菊さんに会えば判るだろ」、「長屋に行けば元気なお菊に会えるな」、「会える、会える。心配だったら一緒に来な」。

 「熊さん帰って来たよ。後ろから八公もいるよ」、「話をしたら、オイオイ泣き出して、元気だからと連れてきた」、「皆さん、しばらくです」。「熊さんが何といったか知らないが、実は、お菊さんは夕べ流行病が元で息を引き取ったんだ」、「へへへ、からかおうと言うんだな」、「隠居さん、八公はおかしくなってしまった」、「皆で、悲しんでいる俺に、お菊を始め皆で笑うんだろう」、「おまち、これは生き死にの話だ、冗談なんか言わないよ」、「本当かい」、「そうだとも。お菊さんはこの世の人では無いんだ。生ある物は死ぬんだ。色即是空 空即是色、これみんな無に帰るんだ。諦めるんだ、これが世の無常だな」、「熊、嘘を付いたんだな」、「そうだとも。泣くからウソをついたんだ。お菊さんは死んだんだ。見てこいよ」、「(枕元で泣きながら)お菊、どうして死んだんだ。やっぱり死んだんだな。ハァ~ァ、これで安心した」。

 



ことば

山田洋次監督(やまだようじかんとく);生前の小さんさんに「真二つ」「頓馬の使者」「目玉」という3本の新作落語を提供した山田監督は「1971年頃だったか、新作を作ってほしいと言われて『落語作家になる』という長年の夢が果たせた。僕は小さい頃から落語少年でしたから、夢かと思うほどうれしかったですよ」と述懐。「小さんはいぶし銀の魅力がある落語家さん。まるで徳の高いお坊さんと語り合っているような、上品さがある方だった」。

真二つ:落語「真二つ」をご覧下さい。

目玉:ある商店の大旦那はとにかくケチ。店員や店の小僧がムダ遣いをしないかと常に目玉をギョロギョロさせて見張っている。その大旦那が死に、のんきな性分の息子が後を継いだ。しばらくたち、店の皆が「今日は早く店じまいをして店の皆で宴会でもやろうか」と話していると、大旦那の主治医だった医者が訪ねてきた。主治医は「実は大旦那が死ぬ間際に頼まれて、脳みそと目玉だけを生き残らせる手術をした。大旦那の脳みそと目玉はまだ生きている」といって、ホルマリンに漬けられた脳みそと目玉を見せる。父親が死んで、やっとノビノビできると思っていた息子と店員たちは震え上がるが…

吉原(よしわら);江戸の北側、今の千束にあった遊廓街。吉原に行ったと分かれば、どこの女房だって怒ります。怒らないのは、遊廓の意味が分からないか、男連中の遊所だと理解し、黙っていたかです。落語家の志ん生は、新婚の晩から通っていて、奥様は結婚てそんなものかと思っていたといいます。現在は新婚旅行もありますし、吉原も無くなってしまったので、志ん生のような事も有りません。

流行病(はやりやまい);伝染して流行する病気。急性伝染病。疫病。
 日本の歴史上、疫病として流行したと考えられているものに、痘瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・赤痢・コレラ・ペスト・インフルエンザ・癩(ハンセン病)・結核・梅毒などがあげられます。こうした病気は元々特定の地域の風土病であったが、文明・文化・社会の発展と異世界との交流拡大による人や文物の往来に伴い、これまで同種の病が存在しなかった地域にも伝播し、中には世界的に流行するようになったと考えられている。例えば、コレラは日本では19世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかったとされている。
 「ペスト」は、感染すると、2日ないし7日で発熱し、皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができるところから「黒死病」(Black Death)と呼ばれた。1902年(明治35年)、東京・横浜地方でもペストが発生したため、役所がネズミ1匹を5銭(のち3銭)で買い上げるという措置を講じ、媒介者たるネズミの駆除に乗り出している。ネズミの買い上げは、横浜市の場合、市役所の衛生課、衛生組合事務所、警察署、巡査派出所、巡査駐在所が管轄しており、当時の『国民新聞』によれば1905年(明治38年)3月の時点ですでにネズミ買い上げ金総計が4万円を突破している。
 ネズミの買い上げは、落語「藪入り」に詳しい。
 「コレラ」、文政コレラのときにはそれが転訛した「コロリ」や、「虎列刺」「虎狼狸」などの当て字が広まっていった。それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「鉄砲」「見急」「三日コロリ」などとも呼ばれた。

江戸の男女比;ロドリゴ・デ・ビベロによって1609年ごろに15万人と伝えられた江戸の人口は、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。なお国勢調査の始まった1801年のヨーロッパの諸都市の人口はロンドン 86万4845人(市街化地区内)、パリ 54万6856人(城壁内)であり、19世紀中頃にロンドンが急速に発達するまで、江戸の人口は北京や広州と同規模か、あるいは世界一であったと推定されている。 また、人口に関しては、記録に残っているのは幕末に60万人近くとなった町人人口のみであり、人口100万人とは、幕府による調査が行われていない武家や神官・僧侶などの寺社方、被差別階級などの統計で除外された人口を加えた推計値である。武士の人口は、参勤交代に伴う地方からの単身赴任者など、流動的な部分が非常に多く、その推定は20万人程度から150万人程度までとかなりの幅があり、最盛期の江戸の総人口も68万人から200万人まで様々な推定値が出されている。

右図:江戸東京博物館による「江戸町人の人口構成」。武士、僧侶、被差別者、新吉原、盲人を含んでいない。
 江戸市中の男女比は初期には男性が多かったが、後期においてほぼ半々になっています。

 この様な状況から、結婚できるのは幸せで、職人などは表では威勢が良かったが、お菊さん夫婦のように家に帰ってくると意外と”かかあ天下”の家が多かった。

隠居(いんきょ);戸主が家督を他の者に譲ること。または家督に限らず、それまであった立場などを他人に譲って、自らは悠々自適の生活を送ることなどを指す。もしくは、第一線から退くことなど。隠退(いんたい)とも。
 社会的地位からの引退は、とくに商家社会の公的地位、すなわち政治的・経済的諸活動にかかわる地位からの引退であり、いわゆる旦那隠居である。商家社会における隠居制は同一家族内における生活単位の分離であり、その時期はさまざまであって、社会的地位からの引退に直結するものではないが、ほぼ60歳前後からはこうした地位を退くのが一般的。
 商家では若旦那に家督を譲り、家族、使用人に宣言する事に止まらず、取引先にも通知し、これからは息子の代になるがよろしくと接待した。その為、税金の掛かる表店に暮らす事をしないで、俗に”横町の隠居”と言われ、裏長屋などで暮らすか、郊外の隠居所で暮らす事になります。隠居は社会常識も豊富で、長屋の物知り隠居として、長屋の住民からの相談に乗っていた。物知り隠居は落語「浮世根問」、「高砂や」、「短命」、などなど、郊外に住む隠居は「茶の湯」などに描かれています。

離婚(りこん);夫婦が婚姻を解消すること。それには離縁状(りえんじょう)が必要で、江戸時代に庶民が離婚する際、妻から夫、夫から妻(または妻の父兄)に宛てて交付する、離婚を確認する文書。 公事方御定書では離別状と称した。あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれた。また、江戸時代には字を書けない人は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより離縁状と同等の取扱がされていたため、庶民の間では三行半(みくだりはん)という呼称が広まった。 現代の離婚届が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのと異なり、離縁状は夫の単独行為である離縁を証する文書である。 女性の労働力によって支えられている養蚕や製糸・織物業が主体となっている地域では離婚後も女性の収入源が確保されているため、離縁状は養蚕地帯において多く残されていることが指摘されています。
 通常、離縁状は夫から妻に渡されるものですが、妻からは離婚が出来なかった。例外として妻が離婚したいときは、縁切り寺に逃げ込むか、結婚前に持って来た道具を勝手に処分されたときは申し出られた。
 公事方御定書の規定によれば、離別状を受領せずに再婚した妻は髪を剃って親元へ帰され、また、離別状を交付せずに再婚した夫は所払(ところばらい。追放。)の刑に処された。
 落語「天災」に三行半の書式があります。

色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき);[般若心経]色とは現象界の物質的存在。そこには固定的実体がなく空(クウ)であるということ。固定的実体がなく、空であることによってはじめて現象界の万物が成り立つということ。
 是色:〔仏〕(梵語 nya) もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないということ。特に般若経典や中観派によって主張され、大乗仏教の根本真理とされる。
 以上広辞苑から

 私はこれらについて、薄学(はくがく=薄っぺらな知識)な者で、もう一度般若心経を見開いて、読み下したのですが、まだ判りません。そこで、平田精耕師の話から引用します。

 般若心経の一行、【舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是】 からの抜粋です。
 これは(弟子の)舎利子に語りかけたことばで、色不異空 空不異色は 色即是空 空即是色と同意語です。
 色というのは、自分の外側にある一切のものです。一切の現象界というものは、もともと何もないものなのです。考えてみれば、我々は何もないところからでてきて、何もないところへ帰って行くわけですから、本当に何もないのです。この様な事が「色不異空」、『色は空に異ならない』、と言う事です。

 この諸方は空の相(すがた)をもっている。空の相をもっているということは、相をもっていないということなのです。丁度、鏡のようなもので、色がないからあらゆる色を映す。しかし、鏡そのものの色は無色です。まさに人間の心というもの、そのようなものです。

考えると、ますます難しくなってきます。私は。



                                                            2017年3月記

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