落語「茶釜のケンカ」の舞台を行く 二代目三遊亭金馬の噺、「茶釜のケンカ」(ちゃがまのけんか)より
■この演目は、いわゆる「鸚鵡(オーム)返しの事で、教えてもらった事をことごとく間違えて人に伝える」パターンで、「青菜」や「短命」や「天災」や「二十四孝」などとそのコンセプトが似ています。根多がかぶると申しまして、同じような内容の演目を持ち根多にしても、その使い分けに迷うばかりで無駄なので、普通は持ち根多にしません。特にこの演目は「天災」に似ているので、それを持ち根多にしている噺家は敢えてこの演目を仕入れようとは思わないでしょう。だから、円歌さんだけしか戦後は音源を残していないって事なんでしょうネ。
■ぶんぶく茶釜
■白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね )
葛飾北斎『三国妖狐伝 第一斑足王ごてんのだん』 玉藻前の前身である天竺の華陽夫人が九尾の狐の正体を現し逃走する図。部分。
『延喜式』の治部省式祥瑞条には「九尾狐」の記載があり「神獣なり、その形赤色、或いはいわく白色、音嬰児の如し」とある。
日本では玉藻前(たまものまえ)が九尾の狐の妖怪として有名である。平安時代に鳥羽上皇に仕えた玉藻前という美女の正体が「狐」で、退治されたという物語は、14世紀に成立した『神明鏡』にすでに見られる。しかし、室町時代の『玉藻物語』などでは尾が2本ある7尺(約2100cm)の狐であると描写されており、九尾の狐とは語られていなかった。玉藻前が「九尾の狐」であるとされるようになったのは妲己(だっき)が九尾狐であるという物語が玉藻前の物語に取り入れられるようになった江戸時代以降のことであると考えられる。玉藻前が九尾の狐であるとの設定を定着させたのは、読本作家の高井蘭山が著した読本『絵本三国妖婦伝』(1803年~1805年)や岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)である。妲己(九尾狐)と玉藻前とについては、それ以前に林羅山が『本朝神社考』の「玉藻前」の項目で『武王伐紂平話』の話を引いている。
■玉藻の前(たまも‐の‐まえ)
■馬の草鞋(うまのわらじ);馬の爪は傷つきやすく牛と異なり爪の手入れが年に数回必要であった。
蹄鉄が日本の軍隊に導入されたのは明治になってからで、農村まで普及したのは大正期以降でありそれまでは丸い馬用ワラジが使用された。特に、供出米を馬の背につけて運ぶときなど土道は土だけの道であったので問題はなかったが、砂利道に変ると爪を痛めるおそれがあった。 そのため必ずワラジを履かしたという。右写真。
■御神酒徳利(おみきどっくり);神酒を入れて神前に供える1対の徳利。落語「御神酒徳利」を参照
■漢学の先生(かんがくのせんせい);中国で、宋・明の性理の学に対して漢・唐の訓詁(クンコ)の学。清の恵棟・戴震らが称え、考証学の基礎をなした。日本で、一般に中国の儒学または中国の学問の総称。奈良・平安時代には特に盛んで、わが国の礼楽・諸制度にも少なからぬ影響を与えた。江戸時代に漢学派として再興。その漢学を教授する人。
■鍋島の猫(なべしまのねこ);鍋島騒動、佐賀の鍋島家の御家騒動に仮託した怪猫談。講談・戯曲類に脚色され、実録物では「佐賀怪猫伝」、講談では「佐賀の夜桜」などが代表的。
■唐土(もろこし);日本で中国を言う古い呼称。
■妲己(だっき);中国の古代王朝の殷(いん)の紂王(チユウオウ)の寵妃。淫楽・残忍を極めたといわれる。周の武王に殺された。転じて、毒婦。
左、「殷の妲己」。 右、葛飾北斎画『北斎漫画』より「殷の妲己」。九尾の狐が化けた姿として描かれている。
■天竺(てんじく);日本および中国で、インドの古称。天竺木綿の別称。
■本朝(ほんちょう);わが国。
■後醍醐天皇(ごだいごてんのう);鎌倉末期・南北朝時代の天皇。後宇多天皇の第2皇子。名は尊治(タカハル)。親政を志し、北条氏を滅ぼして建武新政を成就。間もなく足利尊氏の離反により吉野入りし、南朝を樹立したが、失意の間に没す。(在位1318~1339)(1288~1339)
■茨木童子(いばらきどうし);平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる「鬼」の一人。茨城童子と書くこともある。酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来であった。
出生地には、摂津国(大阪府茨木市水尾、または兵庫県尼崎市富松)という説と、越後国(新潟県長岡市の軽井沢集落)という説がある。生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられ、鬼と化した後は酒呑童子と出会い舎弟となり、共に京を目指した。
酒呑童子一味は大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を拠点にし、京の貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらいたが、源頼光と4人の家臣たち(頼光四天王)によって滅ぼされたものの、茨木童子は逃げ延びたとされる。
その後、頼光四天王の一人である渡辺綱と一条戻橋や羅生門で戦った故事が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれているが、そのため本来は別々の鬼である羅城門の鬼と茨木童子がしばしば同一視されている。
■笏(しゃく);(字音コツが「骨」に通うのを忌み、長さがほぼ1尺であるところからシャクと呼んだという)
束帯着用の際右手に持って威儀を整えた板片。唐制の手板(シユハン)にならう。もとは裏に紙片を貼り、備忘のため儀式次第などを書き記した。今日では衣冠・狩衣・浄衣などにも用いる。令制では五位以上は牙笏と規定されたが、延喜式では白木が許容され、以後礼服以外はすべて一位(イチイ)・柊(ヒイラギ)・桜・榊(サカキ)・杉などの木製となった。長さ1尺3~5寸、幅上2寸2~3分、下1寸5分、厚さ2~3分。さく。
■野干(ヤカン);射干ともかく。狐の異称。また、中国で狐に似て小さく、よく木に登り、夜啼く声が狼に似ているという獣。
■下戸(げこ);酒が飲めない人。熊さんは呑めるので先生から酒の量で説教されたが、久治には酒を水と言い替えて説教したので、本人も分からない言葉になってしまった。
■向かい水(むかいみず);向かい酒の言い替え。
■末期の水(まつごのみず);人の死のうとする時、その口中にふくませる水。しにみず。あらあら、そんな水飲みたくないよ~。
■天竺木綿(てんじくもめん);(もとインド地方から輸入したのでいう)
金巾(カナキン)よりやや厚手の白生地木綿織物。敷布・足袋地・裏地などとする。
■酒呑童子(しゅてんどうじ);鬼のすがたをまねて財を掠(カス)め婦女子を掠奪した盗賊。丹波国大江山や近江国伊吹山に住んだといい、大江山のは源頼光が四天王と共に退治したという。絵巻・御伽草子・草双紙・浄瑠璃・歌舞伎などの題材となる。
大江山の酒呑童子と源頼光主従
(歌川芳艶 江戸時代)
■国定忠治(くにさだちゅうじ);江戸後期の侠客。上州国定村生れ。本名、長岡忠次郎。博奕渡世で罪を重ね、磔刑。国定忠治とも書く。(1810~1850)
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