落語「とんちき」の舞台を行く 初代柳家小せんの噺、「とんちき」より
■「果報の遊客」という題で初代三遊亭円遊が速記を残している。これは「五人廻し」をくすぐり沢山に崩したような内容。両方の客に「ああ、あの馬鹿か」と言わせ、「両方で同じことを言っております」とダメを押している。これを(初代・盲の)柳家小せんが二人の客だけにしぼり、「とんちき」という題名でまとめた。
■とんちき;「とん吉」で、「吉」をひっくり返して「ちき」として使っていたが、これが通常語になってしまった。頓痴気と漢字を振る。「人をののしっていう語。まぬけ。のろま。とんま。」のこと。深川の岡場所では、野暮な客を「とんちき」と呼んでいた。
■禁演落語五十三種;
戦時中の昭和16年10月30日、時局柄にふさわしくないと見なされて、浅草寿町(現台東区寿)にある長瀧山本法寺境内のはなし塚に葬られて自粛対象となった、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目のこと。戦後の昭和21年9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除。建立60年目の2001年には落語芸術協会による同塚の法要が行われ、2002年からははなし塚まつりも毎年開催されている。
■初代・柳家
小せん(本名・鈴木
万次郎);明治16年(1883)4月3日(15日と言う説も)、浅草福井町一丁目の音曲師、四代目・七昇亭花山文(後の二代目・三遊亭万橘)の子として産まれる。明治30年、15歳で四代目・麗々亭柳橋の門に入って、柳松。明治33年に柳橋が亡くなったので、三代目・柳家小さんの門に入り、三代目・蝶花楼馬楽(落語通では「気違い馬楽」の通称で有名)の弟弟子となり、小芝から、初代・小せんを名乗ります。
・脳脊髄梅毒症:梅毒の症状は、第1期
感染後3週間 - 3か月の状態。トレポネーマが侵入した部位(陰部、口唇部、口腔内)に塊(無痛性の硬結で膿を出すようになる。塊はすぐ消えるが、稀に潰瘍となる。
梅毒は、日本へは1512年に記録上に初めて登場している。交通の未発達な時代にもかかわらず、コロンブスによるヨーロッパへの伝播からわずか20年でほぼ地球を一周したことになる。著名人では、加藤清正、結城秀康、前田利長、浅野幸長など、外国では、フランツ・シューベルト、ロベルト・シューマン、ベドルジハ・スメタナ、アル・カポネ、ギ・ド・モーパッサンなどが梅毒で死亡したとみられている。梅毒が性感染症であることは古くから経験的に知られ、徳川家康は遊女に接することを自ら戒めていた。
江戸の一般庶民への梅毒感染率は実に50%であったとも推測される。
抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。慢性化して障害をかかえたまま苦しむ者も多かったが、現在ではペニシリンなどの抗生物質が発見され、早期に治療すれば全快する。
■雨の晩;遊廓を始め、客商売のところは、客足が減るもんです。飲み屋さんで客が減少すると、はしごの2軒目はもっと減ってしまいます。続いてラブホテルも空室が目立つようになると言われています。
■変り台(かわりだい);吉原で飲食を注文しても、遊廓では酒は出すが料理をしませんので、蕎麦、菓子、寿司、甘味、酒の肴などの料理は出前を頼みます。刺身などは台の物と言って、台屋(だいや= 料理専門店)から、大きな台に乗せられて料理品が運ばれて来ました。そこで、メインの料理(台の物)の他に、もう何品か頼む副次的料理を、「変り台」と言います。そのため、お料理を注文する事を「(台に)乗せる」 と言う様になり、「好きなお料理を注文しな」と言う事を、粋がって「何でも乗せな」なんて言い方をしました。台屋と言っても、ダイヤモンドを売っている店ではありません。そんな見世があったら、散財どころの話では無くなります。
『台の物』 文政12年 国会図書館蔵。 左ページの松が飾られた台の物、右上が旦那で隣が花魁。
■弥助(やすけ);寿司を表す符丁「弥助」ですが、これは、浄瑠璃の「義経千本桜」で、弥助鮨と言う寿司屋が登場するので、ここから、派生した符丁です。この「乗せる(食べる)」と「弥助 (寿司)」は、現代の落語家さんの符丁として、使われることもあります。
■花魁(おいらん);妹分の女郎や禿(カブロ)などが姉女郎をさして「おいら(己等)が」といって呼んだのに基づくという。江戸吉原の遊郭で、姉女郎の称。転じて一般に、上位の遊女の称。
花の魁(はなのさきがけ)と言うと、意味が違って、他の花に先がけて咲く花。特に、梅の花を指して言います。決して若い女郎の事ではありません。
■お茶を挽く;遊女や芸妓が客がなくひまで遊んでいる。ひまな時には、葉茶を臼にかけて粉にする仕事をしたからいう。
■宇治でも濃いのを;お茶の濃いのを所望しています。宇治はお茶の名産地ですから、お茶の代名詞として使われました。落語「饅頭怖い」のオチのセリフではありません。
■ちょいと行って来るから;吉原は回しと言って、一晩に複数の客を取るのは当たり前でした。で、「ちょいと行って来るから」と言うセリフが出て来ます。朝まで帰ってこない女郎もいたようです。落語にも「五人回し」等に有ります。
■甚助(じんすけ);焼き餅をやく。情が深く嫉妬深い性質。また、その性質の男。
■若い衆(わかいし);年齢に関係なく妓楼で働く男の奉公人を総称して若い者、若い衆と言った。別名、妓夫(ぎゅう)、喜助(きすけ)とも言った。飯炊きや風呂番の裏方は雇い人と言い、接客に関する男連中を指す。江戸っ子は”わかいし”または”わけいし”と呼んだ。
男仕事ならなんでもやります。左から行灯掃除、油さしA・B、花魁道中の役や店番、付け馬等々。三谷一馬画
■間夫(まぶ);情夫。特に、遊女の情夫。遊女が真に惚れた男が情男(いろ)であり、間夫とも言った。
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