落語「恋の柵」の舞台を行く
   

 

 五代目古今亭今輔の噺、「恋の柵」(こいのしがらみ)より


 

 昔は芝居噺が多かったのですが、最近はとんと聞かれなくなりました。

 今回ここで演じます噺は古き時代の芝居噺で、内容は何処でも同じ、これ(小指)とこれ(親指と人差し指で丸を描く)ですから、腫れた惚れたで一緒になった二人でも、もう一人が加わって三角関係になる事も有ります。
 男の世界に『据え膳食わぬは男の恥』と言いまして、女性が「貴方が・・・」、と言ったら、男は「うん」と言わなければなりません。でも、据え膳にも毒入りがありまして、知らずに食べて、こちらも注射する羽目になることもあります。ま、それも昔の話しになります。

 「改まって言う事じゃないが、お前は大阪でおしなと名の売れた芸者で、連れ合いの助七(すけしち)は大店の若旦那じゃないか。一緒になりたい一心で、江戸に出て来たが、途中でゴマのハエに会って一文無しになって多摩川から心中するところを助けたんじゃないか。その助七は大坂に金の算段に行っているんじゃないか。帰りは大金を持っているから心配だし、2ヶ月も経つのに連絡も無い。旅の途中で患っているんじゃないかと心配だ。女房のお前が朝から柱に寄りかかって上方歌でもねえじゃないか。線香の一本でもあげて無事を祈ったらどうだい」、「親方、わたいは関東に来て、この方なら命も要らないと言う人が出来たの」、「尻っぺたにデキモノが出来たのとは違うんだぞ。助七が帰って来たら、その方は付けてやる。俺の子分か?」、「この方なら死んでも良いと思っています」、「誰だか言ってみなよ」、「怒らないかい?死んでも良いという御方は・・・。ここに居る・・・」、「痛い!俺をつねりやがったな。それじゃ~・・・、俺かィ?・・・おしな。俺を見損なったな。女房を亡くして15年ヤモメ暮らしをしているんだ」、「だから言わないと言ったのに。親方堪忍してくれやす」、「お前カミソリを持っているな、死ぬ覚悟で言ったんだな」。据え膳食わぬは男の恥、女房に死なれて15年。四十過ぎての、大名相手の口入れ屋、子分も沢山居ます。七つ下がりの雨と四十過ぎの色気はおさまらない。今まで硬く暮らしてきたのが急展開。ベタベタしていれば血の巡りの悪い子分だって気が付きます。子分も寄りつかなくなります、奥で二人でチビチビとやっているところに、助七が戻ってきました。

 「助七で御座います。只今戻りました、今戸の新三さんと言いましたら、面倒を見てもらったのだからと50両用立ててくれました。おしな、このお土産を親分に」、「わて知らんよ」、「おしな。途中から連絡しようと思ったが連絡無しで怒っているのか。おしな・・・、親分・・・。読めた」、(三味線が入って芝居がかりになる)。
 「回りから大坂を出るとき、おしなにはフラれると注意されたが、立派に所帯を持つと言ったが、このザマだ。親分、おしなが欲しいのなら欲しいと何で言わなかった。ノシを付けて譲ったのに」、「触るな、この女は俺のものだ」、「助七さん、世間には女は沢山居るから、その女を捜せば、フン」、「この包みも道中差しもお前のものだ。持って出て行け」。

 「そこに居るのは助七さんではないか。どうした。お前の留守中におしなさんと家の親分と妙な仲になったぜ。この包みも道中差しもお前のものだろう、ここに置くぜ。眉間から血が出ているぜ。オッと抜き身だぜ。抜いたぜ、滅多な真似するんじゃないぜ」。親分のところに戻ると、黙って刀を振り下ろした。「人殺しだ~」。(附け打ちがパラパラと入り、下座から三味線と歌が入る)。「人殺しだ~」、回りの者にも刃を向け、おしな、親分、助七の三つ巴の愛憎劇が繰り広げられるのであった。
附け打ちが入って幕が下りる。

 



ことば

五代目古今亭今輔(ここんてい いますけ);(1898年(明治31年)6月12日 - 1976年(昭和51年)12月10日)は、群馬県佐波郡境町(現:伊勢崎市)出身の落語家。本名は、鈴木 五郎(すずき ごろう)(旧姓:斎藤)。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)所属。出囃子は『野毛山』。俗にいう「お婆さん落語」で売り出し、「お婆さんの今輔」と呼ばれた。実子は曲芸師の鏡味健二郎。
 「古典落語も、できたときは新作落語です」というのが口癖で、新作落語の創作と普及に努めた。弟子たちに稽古をつける際も、最初の口慣らしに初心者向きの『バスガール』などのネタからつけていた。だが、もともとは古典落語から落語家人生をスタートしていることもあって、高座では古典もよく演じており、一朝や前師匠小さんに仕込まれただけあって高いレベルの出来であった。特に『塩原太助』は、自身が上州生まれだったこともあり人一倍愛着が強く、晩年は全編を通しで演じていた。
 今輔については落語「妻の酒」、「ダイアモンド」参照。

 前回に引き続きまして、五代目今輔です。あまり取り上げられない珍しい噺が二つ続きます。

(しがらみ);水流を塞きとめるために杭を打ちならべて、これに竹や木を渡したもの。
 稲作が伝来し水田耕作が始まると灌漑が広まり、利水目的で河川からの取水用にしがらみが造られるようになった。やがて用水路やため池の土手を補強するためしがらみを骨格として土を盛る技術が編み出された。これは石積が普及した後も基礎構造として継承された。
 慣用句として、「世間のしがらみ」のように、引き留め、まとわりつくもの。じゃまをするもの。解くことができないことの例えに引用される。

 

 向島百花園のしがらみ。池の中に岸辺がくずれるのを防ぐ、土止めのしがらみ。

これとこれ;舞台を見ている者には直ぐ分かりますが、最初のこれは小指を立て、二番目のこれは、親指に人差し指を重ねて丸を作りました。改めて言うほどのことはありませんが、女とお金です。

三角関係(さんかくかんけい);恋愛関係は、婚姻関係の前段階であると考えられることが近年では一般化している。そのため、一夫一妻制の制度下では恋愛も1対1であることがごく自然なことと理解されている。一方で恋愛感情は変化しやすい側面を持つと同時に、恋愛におけるモラルは個々の解釈によって異なるため、三角関係と呼ばれる恋愛関係が生じる。 ある人物が同時に二人の人物と恋愛関係になることを「二股」あるいは「二股をかけている」などと呼び、これを三者共が認識したときに三角関係となる。婚姻関係が成立した後は「浮気」や「不倫」などと言う別称でも呼ばれる。
 恋愛・婚姻における人間関係は、愛情や信頼に大きく左右される。そのため三角関係はパートナーの裏切りととられることが少なくない。実際問題として三角関係が生じた場合は恋愛関係の大きな分岐点になることは少なくなく、婚姻関係においては破綻することも珍しくはない。男女とも離婚の原因の上位2位に「異性関係」が入っています。
 ちなみに、一番多い原因、第1位:性格が合わない(夫・妻共通)。第2位:妻の異性関係(夫)/暴力を振るう(妻)、まさにこの噺の内容そのものです。第3位:家族親族との折り合いが悪い(夫)/生活費を渡さない(妻)。第4位:異常性格(夫)/精神的に虐待する(妻)。第5位:精神的に虐待する(夫)/異性関係(妻)。最高裁判所が開示している平成22年度司法統計のデータより。()内は、申し立てた側の主張。

 志ん生が言う三角関係とは、出雲に集まった神様が、若き二人を組み合わせていくが、余った一つを出来上がっている二人にくっつけること。と言っています。

据え膳食わぬは男の恥;食べてくださいと差し出された膳に手をつけないのは男の恥であることから。
「据え膳」とは、すぐ食べられるように支度が整えられた食膳のこと。転じて女性から持ちかけられた情事のことをいう。「据え膳食わぬは男の内ではない」ともいう。
 落語「紙入れ」はこの状態だが、後々が大変。
 英語でも同じような言い方があります。It is time to set in when the oven comes to the dough.
(かまどの方がパン生地の所へやってきたら、パン生地をかまどに入れてやる時だ)

護摩の灰ゴマのハイ);江戸時代、道中荒し、枕さがしなどを働いた小盗賊。「胡麻の蠅」は俗称。
 その語源は元禄年間 (1688~1704) 高野聖と偽称し、弘法大師の「護摩の灰」と称するものを街道筋で売歩き、巧みに町家に取入って宿泊しては物品を盗み、娘をかどわかした者があったことによるといわれる。

 

 木曾街道六拾九次 高崎(歌川広重画)。旅立ちの二人にお金を要求する胡麻の蝿。

口入れ屋(くちいれや);江戸・明治時代の職業周旋業者。「口入れ」とは口を挟むことで、転じて仲介・周旋の意となったのは古代末期で、当時は「くにゅう」とよんだが、周旋が職業となっていたかは不明。営利事業としては中世末~近世初期に発達し、近世中期には「くちいれ」の訓読みが始まる。入口(いれくち)、肝煎(きもいり)、慶庵(けいあん)、人入れ、女衒(ぜげん)などの呼称があり、求人先の身分や求人の職種・性別によって口入れ屋にも専門的分野があった。正規の奉公人には請人(うけにん)(保証人)の証文を入れて紹介手数料を徴収した。
 特殊な形態に寄子(よりこ)制の職業における寄親(よりおや)がある。明治以後は営業の行政監督が強化されるとともに公益的紹介業の発達をみ、昭和13年(1938)の職業紹介法改正による国営化のため転廃業し、やがて消滅した。
 大きな口入れ屋では、二階の大座敷に求職者を職が決まるまで寝泊まりさせていたので、人宿とも言った。また求人先は商売屋だけではなく、士族からの求人で、奉公女中や下働き、大名行列の一員として雇われています。結婚相手の紹介や妾の紹介等も行われた。
 落語「元犬」や「引越の夢」「化け物使い」「百川」「操競女学校・お里の伝」等に描かれています。

七つ下がりの雨と四十過ぎの色気(道落)はおさまらない;「七つ下がり」というのは時刻をさしていて、午後四時過ぎのこと。そして「しじゅう:四十」は人の年齢。 午後四時過ぎに降り出した雨と四十歳過ぎてからの恋は長引くという意味です。
 本来は分別を弁えているはずの40歳以上の者が思わぬところで足を踏み外し深みにはまって抜け出せなくなってしまうというのは不思議に思いますがよく聞く話です。年寄りではないけれど決して若くは無いという微妙な年齢が心を逸らせてしまうのでしょうか。私はその年代をとうに越えてしまっていますが特に道を踏み外すことなく無難に過ごしてきました。しかしながら人生も終盤に差し掛かってきた今、ふと思い浮かぶ「あのとき」があります。自分を抑えたことに対する後悔が頭を過るのです。どちらが正しいかと言えば答えは歴然ですが、「踏み外せなかった後悔」というのもあります。人生は一度きりです。中をとって『ちょいワル』ぐらいな人生の方がいいのかもしれません。

道中差し(どうちゅうざし);江戸時代、町人などが旅に出る時、携帯した護身用の刀。通常の刀よりもやや短い。

 

木曾街道六拾九次 鴻巣(英泉画)部分。中央の旅人も道中差しを差しています。

50両(50りょう);10両盗めば首が飛ぶ時代の50両です。如何に大金か分かります。1両は約8万円とすると50両は400万円、やはり大金です。

附け打ち(ツケうち);歌舞伎舞台上手袖で平板の上に樫の角棒(ツケ木)を打って舞台を締める。
 ツケ打ちの基本は、「バッタリ」。「いち、に」と打つ。これが「いちに、いちに」となると「バタバタ」。例えば走っている場面につける音でも、男なのか女なのか、侍なのか町人なのかによって、このバタバタを打ち分ける。
写真;舞台の上手で付けを打つ様子。歌舞伎座より。

 今回の附け打ちは前座さんがやっているのでしょう。もう少し、歌舞伎を観て勉強した方がイイですね。本来は噺が締まるところ、逆に間が外れてしまいます。



                                                            2016年9月記

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