落語「米朝艶笑噺Ⅱ」の舞台を行く
   

 

 桂米朝の噺、「米朝艶笑噺Ⅱ」(べいちょう えんしょうばなし その二)より


 

【大星由良之助】
  「忠臣蔵」の、あの有名な大序でも大昔は明け方にやってたんですなぁ、けど、あの狂言だけは何べん演ってもお客は大入りで、よぉでけてます。一番山場が、あの四段目の判官さんの切腹、「まだか、由良之助はまだか?」 力弥がイライラしながら、「いまだ、参上つかまつりません」判官さん、腹へ突き立てると花道のほぉからパタパタ、パタパタッ、「御前ん~ッ」、「由良之助か、遅かったぁ~ッ」てな、えぇところがあるんですが。
 で、あれで判官さん腹切ってしまうと、御台所(みだいどころ)は後家はんになるわけで、大星由良之助も寂しぃやろぉといぅので留守中を見舞いまして、「これでお慰めなさいませ」張形(はりがた)なんか置いていく。御台所、それをちょっと試してみて、「由良之助、細かったぁ~ッ」ちゅうた、ちゅな噺があります。

 【天野屋利兵衛】
  お芝居と実録のほぉでは名前が違います。大石内蔵助(くらのすけ)が大星 由良之助、塩冶判官(えんやはんがん)は実際は浅野匠頭(たくみのかみ)、大石主税(ちから)が大星力弥とか、いろいろ名前が変わってますなぁ。
  天川屋義兵と歌舞伎のほぉで言ぅやつが実録の天野屋利兵衛で、これはあの夜討ちの道具をこしらえまして拷問かけられたけども、「天野屋利兵衛は男でござる」と言ぅて、ひと言も白状せなんだ。偉いもんですなぁ、あいつは。で、この天野屋が密々の相談があるといぅので、大石を訪ねて祇園の一力へやってまいります。
 大石内蔵助は酒に酔ぉてゴロッと横になってる。仲居が打掛やなんかをこぉ被せたり、掻巻(かいまき)やなんか掛けてまんねやなぁ、風邪ひかさんよぉに。
  あたりに誰ぁれもおらん、人無きを見定めた天野屋がスッと入ってきた。 「お頭(かしら)、お頭・・・」と揺り起こすと内蔵助、何を思ぉたか天野屋の手をとって、その掻巻の中へズ~ッと引きずり込んで、ややこしぃとこへ手ぇ持っていくさかい、ビックリした天野屋が飛びさがって・・・、「天野屋利兵衛は男でござる」。

【ゆらしゃるか】
  さぁ、七つ目の幕が開きました。七段目といぅのは茶屋場で、忠臣蔵で一番華やかな舞台面(ぶたいづら)ですなぁ。お軽やとか仲居さんが大勢出てくるし、目ん無い千鳥で由良之助が踊ったりしてます。
  力弥が密書を持って来る。吊り行灯(あんどん)の明かりでこれを読んでると、お軽が二階で延べ鏡ちゅうんで、鏡で映してこれ読んでまんねやが、考えたら理屈に合わん話で、吊り行灯の明かりでやっと読めるやつを 二階から鏡に映して読める道理がないと思うねやが。また、その縁の下には九太夫が垂れ下がってきた手紙の端を読んでまんねん、眼鏡かけて。あんな真っ暗なとこでどないして読むのか、そこら芝居の面白いところで。
  密書を見られた、といぅので由良之助がお軽に、「下へ降りてこい」向こぉから回ったんではまた仲居に見つかって酒呑まされるさかいっちゅうんで、梯子をかけてそっから降ろす。「船に乗ったよぉで、恐いわいなぁ」てな、可愛らしぃことをお軽が言ぃます。と、由良之助が下から、「船魂さまが見ゆるわ見ゆるわ。土手の秋の月を拝みたてまつる。じゃ」難しぃ言葉で言ぅてるさかい、あの浄瑠璃の文句てな上品なよぉに聞こえますけど、はっきり言ぅたら、「下から、覗いて見えてるぞ」てなこと言ぅて るのんとおんなじこってんねん、あれ。でまぁ、「逆縁ながらと抱き降ろし・・・」といぅ、床の浄瑠璃の文句ですが、あれも説明してもらうと、「逆縁ながら」といぅのは女ごはんをこの、後ろのほぉからすることを言ぅねやそぉで、エゲツナイ言葉でんねやであれ、考えてみたらね。

  しかし、あの茶屋場といぅのは面白いもんで、これに因んだ落語もいろいろございますが、地震と雷が散財したっちゅう噺がある。
  下の座敷で地震がドンチャン騒ぎやってる。二階のほぉでは雷が騒いでる。 雷が、「ひとつ雷踊りをやろぉ」と言ぅと、ピカピカ、ゴロゴロと稲妻が走ったりする。下で地震が、「揺ら揺ら踊りをやろぉ」と踊りだすと、家がユラユラとこぉ揺れる。上と下とであんまり騒がしぃ、「いったい下には、どんなやつが来てんねやろ?」と、雷がこぉ上から覗く。下から地震が、「上には誰が来てんねやろ?」と、こぉ見上げる顔と顔、「そこにいるのは、落ちゃるじゃないか?」、「ゆらしゃるか?」。

【芝居のはなし】
  芝居の見物のほぉがまた大変で、今でも歌舞伎を見に行こぉといぅたら一日仕事になりますが、まして昔は前の晩から大騒動やったそぉですなぁ。女ごはんが、なんといぅたって若い娘はんなんか芝居が好きでっさかい、綺麗ぇに綺麗ぇに着飾ってやって来る。これは大きな劇場でも村芝居でもおんなじことで、見物人、競り合ぉてくるっちゅうと、舞台も舞台やけど近所に別嬪の娘はんでも来たら、半分そっちのほぉへ気が行ってしもたりしてね、いろいろ悪さをしたりするんですが、 村芝居でもそぉいぅことがあるとみえて。
  村の鎮守のお祭から帰ってきた娘が、「お母ちゃん、今日わて芝居見ててな、七へんも見る場所替わったんやし」、「んまぁ、また男の人が悪さしはったんやろ?」、「はぁ、七へん目にやっと」なんて噺もあるさかい、娘はんのほぉもある程度期待してんのかも知れません。まぁ、さっきも言ぃましたよぉに電気の無かった暗い芝居小屋、切り落としなんかいぅて、舞台の一番前の追い込み場なんか、ちょっと値段が安いもんやさかい、芋洗うよぉにギ~ッチリ混雑でギュ~ギュ~詰めなってます。膝と膝、肩と肩とが触れたりする。そぉすっとやっぱりゴジャゴジャといろんなことするやつがあるんですなぁ。けど、ある程度以上はでけまへんわ、並んで座って芝居見てんねやさかいね。
”くじるほか良い知恵の出ぬ切り落とし”てな句もあるが、宿下がりで御殿女中やら、あるいは奉公してる娘はんなんかが一日(いちんち)お暇もろて芝居見物に来る。一生懸命見たい芝居なんやけど、横からゴジャゴジャされる。
”くじられた幕宿下がりうろ覚え”いぅて、もぉそのときは芝居のことも何も分からんとボ~ッとなって、そこんとこだけ筋が飛んでたりいたしますが。こら、見物が誰も分からんやろぉと思てやってます。なるほどこの、隣りや後ろに座ってる人は案外気が付かんもんですが、舞台からこれよぉ分かりまんねやてなぁ。そら主役クラスになると舞台の真ん中で目ぇ剥いたりして、いろいろやってるさかい一生懸命ですが、端に並んでる連中、これ暇なもんでっせ。ふた言ほどセリフ言ぅて、一時間の芝居ズッと出てんならんちゅな役があんねやさかい。気の毒なんは幕のはじめのほぉで殺されて、あとその死骸が要るときなんかズッと寝てんならんことがありますわなぁ、こいつは辛い。ジィ~ッとしてんならん。で、並びの腰元やとか中間(ちゅ~げん)なんか、こぉしゃがんだり座ったりしてズ~ッと人が芝居してんのん待ってるわけなんで。小さい声でボシャボシャ、ボシャボシャ言ぅてますなぁ、あれ。

 「かなんなぁ、ホンマにもぉ・・・、えぇ調子になって芝居してけつかるけど、もぉ足が痛とぉなってきたがな」、「そない言ぅなや、これが仕事やがな」、「仕事か知らんけどもいな」、「お前ぼやいてるけど、まだ前のやつのほぉがもっとえらいで」、「そぉか」、「死骸やがなあれ、息もでけへんねやがな。お腹動かさんよぉに息してんならんね。あら辛いで、ピリッとも動かれへんねや。わしらまだ痒(かい)ぃとこがあったら掻いたりできるがな」、「ん~、退屈ななぁ」、「退屈なときは客席見ぃ」、「客席見てみ」、「オモロイのんあるか」、「前や前や、もぉちょっと下手しもて下手、見てみぃ、あの最前からゴソゴソ、ゴソゴソしてると思てたあの男、えぇとこまでいきよったらしぃで」、「おッ、ホンに。あいっちゃな」、「あいつや、見てみぃあの女ごのほぉ、顔ポ~ッと上気さしてもぉ、真っ赤になったぁるがな。目ぇ細ぉ~して、おぉおぉ唇半開きにしよって、半開きにしたと思たらキュッと食いしばりよったがなあれ。うわぁ~ッ、ちょっとあれ見てみ・・・」、言ぅてると、死骸が顔上げて、「どこにぃ~ッ?」。

 【おさん茂兵衛】
  「おさん茂兵衛」といぅ狂言がございます。これは西鶴やら近松が書いた古いもんですが、有名なお芝居でたびたび書き換え狂言も出ております。「大経師昔暦(だいきょ~じむかしこよみ)」といぅて経師屋さんですな。今、経師屋と言ぅより表具屋と言ぅたほぉが通りがえぇか分かりまへんが。「おさん茂兵衛」といぅ落語もありまんねん。落語のほぉはそんな結構なもんやないんで、ただ表具屋が出てくるちゅうだけの噺で、長屋の経師屋の嫁はんがおさんといぅ名前で、その隣りに茂兵衛といぅ一人者(もん)が住んどりまして、これがえぇ仲です。ところが、裏長屋といぅのはかえってこぉ人目忍んで何やらやりにくいもんでして、一計を案じて壁越しの密通といぅのを考えた。
  亭主がおらん、今なら大丈夫やといぅときに、子どものオモチャの太鼓をト~ンと叩きますねん。で、叩いといて壁のところに暦やら何やいろんなもんが貼ってごまかしたぁるけど、実は穴が開いてる。その紙をめくってその穴のところへ嫁はんがオイドをこぉ当てがう。と、隣りのほぉの茂兵衛が、「おッ、今、首尾はえぇらしぃな」ちゅうんでこっちも暦か何か外して、穴から隣のほぉめがけてこぉ突撃するといぅ、壁越しの不義密通。えらいこと考えよったもんで、トント~ンと太鼓が鳴ると、それを行ぉてた。
  ある日、その亭主の経師屋が酔ぉて帰ってきました。壁にもたれて、「う~、酔い醒めの水が欲しぃなぁ」てなもんで、そばに太鼓が置いてあったんで何の気なしに取り上げて、ト~ン、ト~ンと叩いた。と、こっちの茂兵衛が、「あれ? 今日はあかんと思てたら、首尾がえぇらしぃなぁ、しめたッ」ちゅうわけで、暦をソ~ッと外しますと壁へめがけてニュッとこぉ突っ込んだ。壁にもたれて寝てた亭主の顔の横へ、その松茸みたいなんがスコッ、「な、何や、えらいもんが出てきやがったなこれ、え? あッ! これは・・・、さてはクソ、隣りのやつとうちのんとができてけつかんねん。馬鹿にしやがって、切り落としてしもたる」と、それをグッと握って手近な包丁をつかんだんですが、経師屋は何十枚といぅよぉな紙を重ねてズバ~ッと切り落とす、鋭利な、「断ち包丁」ちゅうやつがあります。こいつで、なるべく根元のほぉから切り落としてやろぉといぅんですが、この人が近目でね、災難なことに。目をそばへ持っていて、顔を引っ付けるよぉにしてズバッと切り落としたさかい、おのれの鼻を半分スパ~ッとそいでしもた。
 「しもた」と拾い上げてピタッと引っ付けたのが隣りの亭主の代物(しろもん)でな。 「あぁ、間違ごぉた」と思たが、あの切りたてといぅのは引っ付くんやそぉでして、「あぁ、こらいかん」と思ても、離したら血が吹き出すさかい、「どないしょ~」っちゅうんで押さえてるあいだにあんばいこれが繋がってしまいまして。
  さぁ、顔の真ん中にエゲツナイ代物がダラ~ンとぶら下がった。お医者へ持ってっても、「こらどぉもしょがないでおい、そのときすぐなら何とかなったんやが・・・、もぉ今となってしもたらおまはん、こらもぉそれ付けとき」、「それ付けときて、先生、殺生やがな」、「いや、もぉわしの手に負えん」。

  表へも出られまへんわ。家ん中で頬被り(ほぉかぶり)して寝てます。
  「えらい怪我したそやけど、どんなんやねん?」、「怪我治ったんやけど、治ったがために、えらいことになってもたんや」、「どないした」、「ちょっと見てくれ」、「どこ見るねやいな?」、「いや、今頬被りとるさかい、これや・・・」、「な、何やそら」、「隣りの、茂兵衛の代物やがなこれ」、「うわぁ~ッ、わし部屋へ通ったとき、部屋ん中で頬被りしておかしな具合やと思たんやがな、えらいもんが顔の真ん中にぶら下がったなぁ」、「どないしたらえぇやろ」、「わしに相談されたって困るがな」、「お医者はん『どぉもしょ~がない』ちゅうねや」、「神仏にでも頼らなしゃ~ないなぁ」、「こんなんやってくれる神さんあるか」、「そやなぁ、こんだけ鼻が長ごなってんさかい、いっぺん天狗さんにでも相談してみたらどや」、「あぁ、どこ行たらえぇやろ」、「そらやっぱり、天狗の本場は鞍馬やなぁ。鞍馬の奥、僧正が谷の大天狗にでもお願いしたら、何とかしてくれはるや分からんで」、「そぉか、ほな、そないするわ」。
 といぅのでこの男、人に見られても格好(かっこ)悪いさかい頬被りしまして、京へやってまいります。鞍馬の山へ登ってくる。ドンドン、ドンドン奥のほぉまでやってまいりますと、もぉ日はとっぷりと暮れまして、奥の院の近くまでやって来ると真夜中近いが、ちょ~ど何かお勤めがあったとみえて、奥の院のほぉからド~ン、ド~ンと太鼓が響ぃてくる。
  ところがこの顔の中にぶら下がってるやつは、太鼓の音を聴ぃて用を足してたやっちゃさかいね、この音を聴くなり顔の真ん中でググググ、ググ~ッ、「あ~、あれッ? えらいことなってきた、おい何をすんねや、こいつばかりは、わしの言ぅこと聞かんさかいどんならんがな。こないなってしもたら頬被りもでけへんがな」、しゃ~ないさかい、両手で握りながらお堂の前までやってまいりまして、「大天狗さん、お願いでございます。医者にも薬にも間に合わん、見離された、こんな顔になってしまいました。なにとぞ大天狗さまのご利益をもちまして、普通の鼻にしていただきますよぉに、お願いいたします」。
 一心不乱に祈りますと、その祈りが通じたものか、奥の扉がギギギギ、ギギ~ッと鳴ると、大天狗それへ現れましたなぁ。鼻はあくまで高く、目はランランとして、手に羽うちわを持って、それへス~ッ・・・、「わぁ~ッありがたい、一心が通じた。なにとぞご利益をもちまして・・・」、「何の願いか?」と、ヒョイッと顔を見た天狗さん、びっくりした。持った羽うちわバタッと落とすと、「は、ははぁ~ッ」と、それへ平伏した。「何をなさいます天狗さん、あんたにお辞儀されては困りますがな。お願いに来とりまんねん、どぉぞわたしの願いを」、「いやぁ、おまはんにはかなわん、わいのは素惚け(すぼけ)や」。 

【数取り】
  あの尼さんといぅのはそこはかとなき色気のあるもんで、もっとも七十六歳ちゅな、こら具合が悪いが。若ぁ~い綺麗ぇな尼さんといぅのはほんとになんか、感じるのはおかしぃんやけど色気を感じます。白と黒だけのあの着付けといぅのが、あれがまたよろしぃなぁ。女の人が一番綺麗に見えるのは、婿はんが死んだときの喪服姿やちゅう。後家はんといぅのはまたそぉいぅ色気があってえぇ、『後家はんてえぇなぁ、うちの女房も早よ後家はんにしたい』てな、アホなこと考えるやつがあったりする。
 「おい、向こぉの尼寺の尼さんて、えらい別嬪やなぁ」、「今ごろ気が付いたんかい、このへんで有名な尼はんやないかい」、「さぁ、わしゃ知らなんだんや。尼にしとくのんもったいないなぁおい。男も何にも知らんのやろ」、「そぉいな、あの人はなぁ、京都の身分の高ぁ~いお公家さんの娘で、世が世ならわしら口も利けへんねやで。それが、道で会ぉて挨拶したら、『お早よぉございます』ちゅうて、わしらにでももの言ぅてくれはるがな」、「ほぉ~、上品なもんやなぁ」、「そら、何から何まで違うねやさかい、オス猫一匹膝へ乗せんといぅ、まぁけがれを知らん暮らしやなぁ」、「もったいないがな、あんなえぇ女ざかりを、何とかしたい」、「あけへん」、「いや、俺ぁいっぺん願ごて出る」、「ちょっとそこらへんの呑み屋の女ちゅうわけにはいかんねやで」、「いや、せやさかいえぇねやないか、俺ぁ何とかやってみる」、「まぁ、あかんわ」、「あいたらどないする」、「へぇ~、何ぞ考えてんのんか」、「俺ぁ、考えてみるわ。見事ものにしたらお前、どないする」、「そら、一晩でも二晩でもおごったるわ」、「よし、その言葉忘れるな」。
 苦し紛れにはいろんな知恵の出るもんで、一生懸命考えたこの男、四、五日しますと、顔へこぉベタッと膏薬なんか貼りましてな、ちょっとやつれたよぉな格好で、松葉杖みないなものを両方について足が思うに任せんといぅよぉな、膝もガクガクてな格好で、病人といぅ姿で尼寺へやって来た。「お願いでございます」、「どなた?」、「はい、ご覧のとおり業病(ごぉびょ~)に罹りまして足はこのとおり不自由でございますし、顔のほぉもお医者さんではどぉにもならんといぅよぉに崩れてきてるよぉな有様で、さる偉ぁ~い八卦見の先生に見ていただきましたら、『この病は医者や薬では治らん。高貴なお生まれの、けがれを知らぬ尼さんに抱いていただいて、千べんのお念仏を唱えたら治る』といぅことを聞きました。そぉいぅお方がどこにおられるやらと、いろいろ聞きますと、こちらさんが尊いお生まれの方やそぉで、何卒お情けに、わたしの体を抱いて千べんの念仏を唱えていただけまへんやろか?」、「気の毒なお方じゃが、殿御を抱くといぅよぉなことは尼の身として・・・」、「さぁ、そこがお慈悲でございます」、「人を助けるは出家の役・・・、こちらへ上がりなされ」、「お聞き届けくださいますか」、「み仏のお許しを得てから・・・」、と、仏前へ向かいまして、しばらく一心に祈念をこめておりましたが。
 「さぁ、こちらへまいれ、抱いて進ぜるほどに」、「ありがとぉございます・・・、いや、ここでこのぉ~、座ったままちょっとこぉ抱いてもらいましても、そんなんではあきませんので。床を延べていただいて横になって・・・」、「何を言(い)やる。オス猫も膝へ乗せぬ尼の身が・・・ 」、「ん、これはまた異なことを。そのよぉな尼さんでございますればこそ、横になって布団の中であろぉが、何であろぉが、お心が乱れるといぅよぉなことはないと思ぉてお願いをいたしとぉります」、「それももっともじゃ。では・・・」、布団を敷(ひ)きまして、戸締りも厳重にして、「さぁ、こちらへお入り」。床の中でグ~ッと抱いて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「これッ、そのよぉにきつく抱き付いては息が苦しぃ」、「恐れ入ります。ご利益をいただきますよぉに、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・、これ、何をしやる? そのよぉなところへ手をやって」、「こらまぁ、ものの弾みでこぉなったわけで、これぐらいなことでお心が乱れるはずもないとは存じますが」、「乱れはせぬが、もそっと静かにしやれ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「あッ、ちょっとこれッ、これは何じゃ? このよぉにしきりに動くものは?」、「へ、これは数取りの棒でございまして」、「数取りの棒?」、「へぇ、千べんのお念仏、数が間違ごぉてはいけませんので、これでこぉ数を勘定しながらやります」、「ほほぉ~、殿御にはこのよぉな物があるのか? 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・、あッ、これッ! 何をしやる?」、「いえ、これ、五十回までお念仏を勘定いたしますと、いっぺん数取りをスッと中へ入れさしてもらいます」、「数取りであるか」、「数取りでございますので、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・、あッ、こ、これッ」、「数取りでございます、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・、あぁ~、なむ・・・、あみ・・・」、「南無阿弥陀仏ッ、南無阿弥陀仏ッ」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・、これッ、もぉ数取りだけにしやれ」。

 【三拍子】
  どぉも噺がだいぶ抹香臭そぉなってまいりましたが、もぉちょっと陽気な噺のほぉにいきまひょかな。
  え~、魚屋の出てくる噺、魚屋といぃますと歌舞伎のほぉで、”夏祭浪花鑑”(なつまつりなにわかがみ)団七九郎兵衛(だんひちくろべぇ)のお芝居がございますが、あの団七九郎兵衛といぅのは魚屋で、これの出のときに使います『鯛や鯛』といぅ唄がございますので、珍しぃこの芝居にしか使わん唄やそぉですが、いっぺん聴ぃてください。
 ♪鯛や鯛鯛、浪花町売り歩く
 ♪烏賊、蛸、鮪に、伊勢海老、鮑貝
  これにのって団七九郎兵衛が出てくるんですが、まぁ落語のほぉにはそんな上等の魚屋出てきまへんわ。極安直な魚屋が、「魚喜よろぉし」、「まぁ、魚喜さん、今日は何があるのん?」、「あぁ、お竹どん、今日はなぁ、えぇイナがおまっせ」、「どぉです、まだピチピチ生きてまっしゃろがな。これちょっと五、六匹置いていきまっさ」、「んまぁ~、ホンマに活きのえぇお魚やこと・・・、イナといぅのん、これオモロイ格好(かっこ)してるなぁ・・・、えぇ形やわぁこのカッコなぁ、頭がこぉなってて・・・、こんなん見てたらおかしぃ気になってくるわ。これちょっと使こてみたら、どんな気がするやろ?」、妙な気になって女衆(おなごし)のお竹どん、張形の代わりにこのイナをつかまえて、こいつをこぉ用いたんですが、こらたまりまへんわなぁ、「ア~ッ」といぅえらい声出しよった。
 それ見てたんがそこの隠居はんで、「あれれッ? お竹何をしとぉんねんあいつ・・・? おぉおぉ、魚相手にしやがって、この家に男おらんと思てんのんかいな。年取っても、わしゃまだ間に合うねやがな。うわぁ~、あんな顔しとぉる・・・。どぉいぅわけか、わしゃここはいつまでも元気で困るねやが・・・、あかんねやて、もぉそんな暴れたかて、落ち着け落ち着けお前、向こぉ、イナが先入ってしもたぁんねやがな。困ったなぁ、これ妙な気になってきた・・・、おぉおぉ、隣りの犬が入って来たなぁ、これメス犬や、盛りがきてこの頃、オスがウロウロしとぉんねん・・・。シロ、ちょっとこっち来い、こっち来い・・・」。ちょ~ど交尾期でムックリきてるやつへ、これ当てごぉたさかいたまりまへんなぁこいつわ、「あぁ~、こら厳しぃわい」犬つかまえて隠居難儀してる。
 それを見てたんが酒屋の丁稚で、「あれッ、また隠居はん何してんねんえぇ歳して・・・、わぁ~ッ、あっちではお竹どんがあんなことしてるわ。こんなん見てたらたまらんなぁこれ・・・、あかんちゅうのに、それこそどこへも持っていくとこあらへん、犬も猫もおれへんねがな。難儀やなぁ・・・、『もぉしゃ~ない、ここにあった火吹き竹で間に合わしとこ』」。と、こいつは火吹き竹相手にした。
 さぁ、しばらくするとえらいことになりますなぁ。魚てなものはこぉ鱗が逆に生えてまっさかいに、入るときはよろしぃんやけどね、出すことがでけん。隠居はんのほぉは相手が犬やさかい、こらたまったもんやない。火吹き竹は、「痛い痛い、困ったなぁ、どないもしょ~がないがな、どないしたらえぇんやろ・・・」。

  「先生」、「おぉ、お竹どん、どぉしたんや」、「お医者はんにでも、恥ずかしぃけど診てもらわなしゃ~ない」、「うわぁ~ッ、魚を? お前、何ちゅうことすんねやいな。わしゃ長年医者やってるけど、こんなん来たん初めてやで。どない・・・?」、「どぉにも」、「あぁ~ッ、無理に引っ張ったってあけへん。ちょっとこっち来て、しばらく考えてみるさかい、ちょっとこっち来て」。
 「先生、えらいことがでけましてん、お願いします」、「何じゃいな隠居はん、また犬抱いてやって来て? うちは犬猫の病院と違うねやで」、「いや、せやおまへんねん。この犬、離せられんことになってしもたんだ」、「うわぁ~ッ、あんたえぇ歳してよぉそんなアホなこと・・・、そらどぉにもならんで。考える、考える、しばらく待って、そこにいてなはれ」。
 「先生、痛とぉてかなん」、「酒屋の丁稚が何やいなまた、火吹き竹? もぉ、そら何といぅ妙な患者ばっかり三人揃ろたことや。ちょっと待ちなはれ、考えてみるさかいな・・・。えぇ~ッと、お竹どん、あんたそこにちょっとおり。隠居はん、あんたそこにおってな。で、酒屋の子ども衆(し)さん、あんたそこにおりなはれや」。
 そこでと、ドッコイしょッと、庭石の大きぃやつ転がしてきた。「お竹どん、この庭石、あんた持ち上げなはれ」、「先生、こんな重たいもん、わてが持ち上がりますかいな」、「持ち上がらなんだらえらいことになんねや、命の瀬戸際やで、一生懸命にそれを持ち上げなはれ」、「一生懸命にこれ持ち上げまんのか?」、「それが持ち上がらなんだら、あんた死ぬで」。
 「死ぬで」と言われたら、死力四層倍てなこと言ぃまして、お竹どん一生懸命、「ん~~んッ!」と石を持ち上げた。下腹へグ~ッと力が入る、イナがそれへスポ~ッと飛び出す。それ見た犬が食お思てパ~ッと飛び付いた。それ見た丁稚が火吹き竹をパッと振り上げて、三ついっぺんに抜けた。

 



ことば

忠臣蔵(ちゅうしんぐら);忠臣蔵は浄瑠璃のひとつ。並木宗輔ほか合作の時代物。1748年(寛延1)竹本座初演。赤穂四十七士敵討の顛末を、時代を室町期にとり、高師直を塩谷判官の臣大星由良之助らが討つことに脚色したもの。「忠臣蔵」と略称。全11段より成る。義士劇中の代表作。後に歌舞伎化。

 落語にも取り入れられて、以下のような噺が有ります。
 「忠臣蔵」、忠臣蔵の詳しい内容が記されています。
 「淀五郎」、四段目切腹の場、淀五郎を抜擢したが不味い芝居、「由良之助、待ちかねた、近う近う」と言うが、
 「赤垣源蔵」、「義士銘々伝より 赤垣源蔵・徳利の別れ」は講談でお馴のもの。円生が落語にしたもの。
 「中村仲蔵」、五段目の斧定九郎一役を、工夫して後世に残す。
 「元禄女太陽伝」、大石内蔵助の息子主税を男にしたのは、伏見一丁目栄澄楼の小春です。
 「九段目」、忠臣蔵九段目、桃井若狭之助の家老・加古川本蔵(かこがわほんぞう)の死。
 「七段目」、若旦那は芝居狂い。二階に上がると忠臣蔵七段目を演じ、小僧をおかるに見立て切りつけると、
 「四段目」(蔵丁稚)、忠臣蔵を観た小僧は蔵に、見てきた四段目切腹の場を熱演。それを見た女中が大慌て、
 「徂徠豆腐」、義士達の切腹を決めたという政策助言者、荻生徂徠の噺。
 「忠臣ぐらっ」、義理で参加した武士もいた。屋敷の絵図が無ければ成功しない。町人も協力して・・・。

大序(だいじょ);歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」一段目。鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮では、足利家執権の高師直、饗応役の塩冶判官、桃井若狭之助が将軍の弟の足利直義を出迎えます。直義が兜の鑑定役として判官の妻顔世御前を呼び出すところ、顔世に以前から横恋慕していた師直が顔世に言い寄るので、それを見かねた若狭之助が助けに入ります。気分を害した師直は若狭之助を散々に侮辱し、煽られた若狭之助は思わず刀に手を掛けてしまいますが、判官がなだめ、その場を収めます。

四段目(よだんめ);歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」四段目。塩谷館  緊迫感に満ちた歌舞伎屈指の名場面  殿中での刃傷沙汰を問われ、自らの屋敷に蟄居を命じられた塩冶判官。そこへ、上使の石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門が訪れ、判官の切腹と御家断絶、所領没収の上意を伝えます。覚悟を決めていた判官は、駆け付けた家老の大星由良之助に無念の思いを託し、息絶えます。主君の仇討ちに逸る諸士たちを鎮めた由良之助は、すみやかに城を明け渡しながらも、形見の腹切刀に固く仇討ちを誓うのでした。

御台所(みだいどころ);大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称。奥方様の意。御台盤所(みだいばんどころ)も同じ。 「御台」、「御台盤」とは身分の高い人の食事を載せる台盤を指す。 「台盤所」とは宮中や貴族の邸宅の配膳室(また調理する場所)を指す。台所はその略。

天野屋利兵衛(あまのや りへい);天川屋義兵と歌舞伎のほぉで言うのが実録の天野屋利兵衛。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」十段目。 天河屋 捕り手に囲まれた天野屋義平、大勢の捕り手が天野屋の門を叩き由良之助に頼まれた武具の調達について白状しろと迫る。十手を差し出し船に積み込んだはずの長持ちを解こうとするので、義平は長持ちの上に飛び乗って制した。

祇園の一力(ぎおんの いちりき);歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」七段目に出てくる京都・祇園一力  遊里情緒あふれる華やかな一幕  討ち入りを隠すため祇園で遊興に耽(ふけ)る大星由良之助。
 元々この店の屋号は「万屋」だった。ところが、幕府への遠慮から、仮名手本忠臣蔵では、この店の「万」の字を二つに分けて「一力」という屋号に変えたようです。そうしたら、この芝居が大当たりを呼び、それからは、この店の屋号までが芝居の中で使われた「一力」という名で呼ばれるようになった。

打掛(うちかけ);内側に着用する着物より一回り長めの丈に仕立てられ、すそには「ふき」といわれる綿をいれて厚みを出した部分がある。 「ふき」は、打掛のように、おはしょりを作らず床に裾を引く着物に見られるもので、裾周りに厚みの有る部分を作ることで足に衣装がまとわりつくのを防止する目的がある。 また、「ふき」を特に厚く仕立てることで、強化遠近法の応用で実際よりも身長を高く見せる効果もある。 刺繍や絞りのほか摺箔、縫箔などをあしらって、衣装全体に絵画を描くように模様をあしらう。

掻巻(かいまき);袖のついた着物状の寝具、防寒着のこと。 掻巻とは袖のついた寝具のことで、綿入れ半纏の一種。 掻巻は長着を大判にしたような形状で、首から肩を覆うことによって保温性に富む。 掛布団のように掛けて用いるほか、寒さの厳しい東北地方などでは帯を用いて使用されてきたが、肩を包む形になるので防寒に適したが、第2次世界大戦後は毛布の普及により、需要が減った。

七段目(しちだんめ);歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」七段目。 祇園一力  遊里情緒あふれる華やかな一幕  祇園で遊興に耽(ふけ)る大星由良之助のもとへ、おかるの兄の寺岡平右衛門が訪れ、仇討ちに加わりたいと願い出ますが、相手にされません。息子の力弥が届けにきた密書を、遊女おかると、師直と内通する(家老だった)斧九太夫に盗み読みされたことに気付いた由良之助は、おかるを殺そうとします。それを察した平右衛門は、自ら妹を手にかける覚悟を決めますが、由良之助に止められます。事情を知った由良之助は、おかるに九太夫を殺させて勘平の仇を討たせると、平右衛門を連判に加えます。

  

仮名手本忠臣蔵 七段目 国輝画。 由良助は密書を読むが二階ではお軽が、縁の下では九太夫が盗み読み。

延べ鏡(のべかがみ);その物を直接に見ないで、鏡にうつして見ること。 物を鏡にうつして、間接的に見ること。上図おかるが持っている鏡。

切り落とし;舞台の一番前の追い込み場なんか、ちょっと値段が安いもんやさかい、芋洗うよぉにギ~ッチリ混雑でギュ~ギュ~詰めなってます。米朝
 江戸時代の劇場の大衆席の一つ。正徳、享保年間 (1711~36) 頃は、舞台の前端から後方の左右に通じる通路 (歩み) までの1階正面の席であった。享和年間 (1801~04) 頃には、ここに方形の仕切桝 (しきります) ができて、切落しは花道の後方脇にわずかに残り、文化年間 (04~18) 以後には消滅した。切落しの名称の由来は、両側の上等席である桟敷よりは一段と低く落ちていたからだといわれるが確証はない。切落しへは、入口の仕切場 (しきりば) で、座名の焼き印を押した切落札 (一種の切符) を買って入ったが、江戸時代中期で 132文であった。

くじる;穴に棒などを押し込んでかき回す。(古用法) 女性器を指でもてあそぶ。”くじるほか良い知恵の出ぬ切り落とし”。”くじられた幕宿下がりうろ覚え”。

下手(しもて);客席から舞台を見て、左側。 上手=客席から舞台を見て、右側。

おさん茂兵衛(おさん もへい);天和3年(1683年)に京都で発生した姦通事件を題材にした一連の文芸作品の通称・総称。井原西鶴の『好色五人女』で取り上げられた際の人物名から、おさん茂右衛門(おさん もえもん)ともいう。
 もととなった事件(実説)は、大経師(もともとは朝廷御用の経師=表具職人の長であるが、大経師暦という暦を発行する権利を与えられていた)の妻の「おさん」が手代の「茂兵衛」と密通し、その手引きをした女中の「お玉」ともども逃亡したが、氷上郡山田村(現在の丹波市春日町山田)に潜伏していたところ捕らえられた。天和3年(1683年)9月22日、3人は洛中引き廻しの上、粟田口の刑場において、「さん」と茂兵衛が磔刑に、「たま」も獄門に処された。当時姦通は死罪とされたが、主人の妻との姦通はとくに重罪と見なされうるものであり、おさんと茂兵衛には磔という重い処刑方法がとられた。格式のある家に起こった不名誉な出来事といえるこの事件は、当時大きな話題となった。
 落語では「おさん茂兵衛」と題する作品が2種類知られている。1つは、江戸の呉服問屋の手代で堅物の茂兵衛が出張に赴く途中の上尾宿で、土地のならず者金五郎の女房おさんに恋慕し、のちに二人が逐電をする馴れ初めを語るというもので、別の不義密通の噺を三遊亭圓朝が改作した際におさん・茂兵衛の名を借りたもの。
 もう1つはこの噺、上方落語の艶笑譚で、長屋に暮らす経師屋の女房おさんと隣人茂兵衛が姦通する。

経師屋(きょうじや);表装をする職人。経師は元来経巻の書写や表装を業とするものをいったが、平安末期からの個人による写経の流行や鎌倉期以降の版経の盛行につれ表装のみの専業となった。江戸期には市井の職人としての経師屋が生まれ、掛軸の表装や和本の装丁、ふすま・障子の張替などを行った。
 《「貼る」に、つけねらう意の「張る」をかけて》女を手に入れようとねらう人をいう俗語。狼連。
 巻物の類を扱う経師と掛物などを扱う表具師は、17世紀ごろからそれぞれの仕事が重なり、ほぼ同じ業態となった。江戸では経師、上方では主として表具師とよばれた。

 大経師家は40~50万部程度の暦の販売が認められ、販路も京を中心に西国一帯に広がっていた。一方院経師家は京で1万部の販売が認められるにすぎなかったが、実際にはそれ以上を出版していたらしく、大経師家から見れば権益の侵害であった。大経師家はほかにも伊勢暦など多くの商売敵との軋轢を抱えており、江戸への「直訴」を試みたことに、権之助の焦りとある意味同情すべき苦労が見られるとしている。

オイド;尻。居所(いどころ)すなわち座る所の意で、それがイドと約まったもの。

断ち包丁(たちぼうちょう);裁ち物用の刃の広くまるい庖丁。たちぼうちょう。

天狗さん(てんぐさん);深山に棲息するという想像上の怪物。人のかたちをし、顔赤く、鼻高く、翼があって神通力をもち、飛行自在で、羽団扇(ハウチワ)をもつという。今昔物語集20、「今は昔、天竺に―有けり」。  落語では、「天狗裁き」に天狗の写真があります。

奥の院(おくのいん);主に寺院の本堂より奥の方、最高所などにあって、霊仏または開山祖師などの霊を安置する所。高野山のそれが有名。

素惚け(すぼけ);陰茎の亀頭の皮を被ったままのもの。かわかむり。包茎。

尼さん(あまさん);出家して仏門に入った女。あまほうし。尼僧(ニソウ)。比丘尼(ビクニ)。右写真、尼さんの衣装。
 (パーリ語 ammā 「母・女性」の意からか) 出家して仏門に入った女性。具足戒を受け、中古ごろは頭髪を肩のあたりでそぎ、のちには剃るようになった。敏達天皇13年に善信尼らが出家したのが日本での始まりとされる。尼僧。尼法師。比丘尼。

公家(くげ);朝廷。朝家。また、主上。天皇。

業病(ごうびょう);悪業(アクゴウ)の報いでかかると考えられていた難病。主にライ病(ハンセン氏病)を指すことが多い。

抹香臭(まっこうくさい);抹香のにおいがする。仏教的なくさみがある。坊主臭い。抹香=香の名。沈香(ジンコウ)と栴檀(センダン)との粉末。今はシキミの葉と皮とを乾かしたものを粉にしてつくる。仏前、墓前に用いる。

夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ);浄瑠璃の一。並木千柳ほか合作の世話物。1745年(延享2)初演。夏祭を背景に、団七九郎兵衛・釣船三婦(サブ)・一寸(チヨツト)徳兵衛ら三人の男達(オトコダテ)の侠気を脚色。後に歌舞伎化。
 概略:団七は、幼いとき浮浪児だったのを三河屋義平次に拾われ、今ではその娘のお梶と所帯を持って一子をもうけ、泉州堺で棒手振り(行商)の魚屋となっている。元来義侠心が強く、名も団七九郎兵衛と名乗り老侠客釣船三婦らとつきあっている。 団七は恩人である泉州浜田家家臣玉島兵太夫の息子磯之丞の危難を救うため、悪人大鳥佐賀右衛門の中間を誤って死なせてしまい、これで入牢となるが兵太夫の尽力で釈放され、罪一等を減じられ堺からの所払いとなる。

イナ;鯔(ぼら)の若魚。ボラの若齢時の呼び名で、具体的には体長10~30cmほどの大きさのものを指す事が多い。大きくなるにつれて呼び名が変わる出世魚にもなっている。
 関東 - オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド。
 関西 - ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド。
 ボラは、全長80cm以上に達するが、沿岸でよく見られるのは数cmから50cmくらいまでである。体は前後に細長く、断面は前半部で背びれ側が平たい逆三角形、後半部では紡錘形である。背びれは2基で、前の第一背びれには棘条が発達する。尾びれは中央が湾入する。上下各ひれは体に対して小さく、遊泳力が高い。体色は背中側が青灰色-緑褐色、体側から腹側は銀白色で、体側には不明瞭な細い縦しまが数本入る。ボラ科魚類には側線が無い。 鼻先は平たく、口はそれほど大きくない。唇は細くて柔らかく歯も小さいが、上顎がバクの鼻のように伸縮する。目とその周辺は脂瞼(しけん)と呼ばれるコンタクトレンズ状の器官で覆われる。

 

張形(はりがた);水牛の角や鼈甲(べつこう)などで陰茎の形に作った淫具。張り子。

火吹き竹(ひふきだけ);火を吹きおこすのに用いる長さ30~60cmほどの竹筒。一端の節を残して小さな穴があけてあり、この穴の反対側から空気(息)を勢いよく吹き出すことができるようになっている。

死力四層倍(しりょく しそうばい);死ぬ気を出せば普段の力の四倍以上は出せる。

 


                                                            2022年4月記

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